民主主義のための「非民主的」選挙 その1 #015
腰のまがった老婆が杖と手すりを頼りに、階段を一歩ずつ昇る。
衆院選の投票所。
簡単に追い越すことは安易でも、ステップから足を踏み外してしまわないか、滑落してしまわないか。
彼女の背後を行く筆者が、老婆の安全を気にしすぎるあまり、決めていたはずの立候補者と比例区の政党を失念してしまうのは構わない。
本当に恐れなければならないのは、老婆の足元と、民主主義の在り方。
2階という高みにたどり着けない者に、主権はないのか。
1階に投票会場を設置できないのか。しないのか。
能登はどうだろう。
避難所生活を送らざるを得ない住民。
仮説住宅への移転を余儀なくされた住民。
時間的余裕に恵まれない住民。
それどころでない住民。
そもそも交通環境が単一で希薄だったが、震災で投票所へのアクセス手段を完全に失っていないか。
彼らの、投票権はきっと形式的には保障されているはずだと信じているが、実質的にはその行使自体が、困難な状況に置かれていないだろうか。
この状況は、災害時に限った特殊な問題ではない。
黒ノ巣にも、すでにおなじみになった単語は少なくない。
人口減少、高齢化、過疎化、地方における交通。
従来の投票所方式による選挙実施は年々困難になっているに違いない。
投票所までの距離が遠い、免許は返納したが路線バスも通らない。
体力的に投票に行けない。
家族は人口集中部に引っ越した。
わざわざ、選挙投票のために帰省したりはしない。
民主主義を実現する、たった一つの行動が実現できない。
これらの問題は、まさに現在進行形で深刻化している。
本稿では、あえて現行の選挙制度や法体系との整合性を一時的に脇に置き、真の民主主義を実現するための「非民主的」とも取れる選挙方法について考察する。
1. 現行制度の本質的問題
1.1 形式的平等の限界
投票所まで電車と徒歩で十分な都市部の生活者と、車に頼らざるを得ない山間部や地方の生活者。
平日や休日に期日前投票が可能なサラリーマンと、自営業で日中に時間がとりにくい個人事業主。
避難所に居を移さざるを得ない被災者と、通常生活を起こることが容易な非被災者。
現行の選挙制度は「一人一票の原則」という形式的平等を重視している。
もっと強調すれば、過度に重視しすぎている。
この形式的な平等は、実質的な投票機会の不平等を、うまくオブラートに内包してしまい、同時に「重視するがあまり」に、明らかな機会の不平等を創出してしまっている。
1.2 選挙区制度の矛盾
特に参院選での合区は、非民主的な選出であろう。
合区に限らず、人口減少地域では、選挙区の統廃合が進んでいる。
これは一票の格差是正という名目で行われているが、実質的には地方の声を政治から遠ざける結果となっている。
広大な面積を持つ選挙区では、候補者が地域課題を十分に把握しきれるとはいいがたい。
その傾向は、選挙区が拡大するごとに強くなる。
つまり一票の格差のみに着目してしまうと、吸い上げるべき課題も希釈されてしまうという、嬉しくない副作用が発症する。
有権者側も、生の声を耳にできる機会は削ぎ落される。
物理的な問題に起因するものの、票格差の是正を進めれば進めるほど、選挙区の拡張・拡大し、結果的には理想論的な民主主義から遠ざかる。
2. 考えうるシステム
2.1 地域特性に応じた投票
a) 過疎地域モデル
既に導入されている地域も少なくないはずなのが、移動投票所であろう。
地域交通や免許返納の問題はさておき、投票所が向こうから訪ねてくれるスタイルには、一定の効果を見積もることができる。
これは、過疎に限らず病院に入院せざるを得ない方などにも、応用されるべきであろう。
もっと理想論を述べれば、移動投票所が高い頻度で来訪してくれる方がうれしい。
投票が完了すればこの限りでないが、投票先を決めかねているタイミングで投票を促すのは、少し違う。
常に自由に投票所に行ける住民との差を思えば、常設が望ましいか。
仮に消防団が、災害にのみ対応すべき組織、を逸脱できる構造があれば、移動投票所の支援にも参画できないだろうか。
消防団の本当のゴールは災害対応ではなく、その向こう側にある住民の、ごく普通の生活の実現だと仮定すると、車両の運転や投票所の開設、住民への声かけなど、反社会的とは断定しにくいが、いかがであろうか。
もちろんICTの活用・導入も議論されたい。
そもそもの課題は、移動するか否かではなく、常時投票か移動投票所の有無に要る非常時投票かでもない。
銀行の決済処理すらも手元の端末で完遂させる現代に、選挙管理人や立会人を雇い、わざわざ紙に鉛筆で記載する重要性を、筆者は理解できていない。
当然ながら、全ての投票権をICTによって履行する状態は、願っていない。
筆者はICTで。
筆記を望む方は筆記で。郵便で。
選べる贅沢を実現できないだろうか。
b) 災害被災地モデル
被災地では、どのようなスタイルが望まれるのであろうか。
日本全国に激甚災害のリスクが内蔵されているとすると、発災前から一定レベルの災害が生じた場合、応急的な選挙システムを構築しておき、状況に応じた制度を実行できないのか。
極端には、生活に何の支障もなく、黙っていても99%明日も安心な街と、被災地が、代表者の選び方を同様なまま実行されていいとは、民主主義的にも考えられない。
おそらく憲法や法制、倫理感や主義に抵触することを覚悟で、以下を提案する。
動投票所の設置や郵便投票の拡大、ICTやオンライン投票の利活用は前項目と同じ。
まず加えておきたいのは、期日前投票期間や投票時間の延長である。
被災地や派遣された行政担当者は、復旧・復興に生活のほとんどの時間を費やしているはず。
投票が可能な時間を、通常より長い期間を設定したい。
投票所開設の時間的・人的コストが増大する二律背反に筆者も気づいていない訳ではない。
だからこそのICTではないだろうか。
代理投票にも光を感じる。
家族や信頼できる人物による代理投票を認める、またはその許容範囲を広くとることは実現不可能だろうか。
一票により強い信念を込めたい避難者が、少なくないと推測すれば、避難所内での臨時投票所設置は困難だろうか。
全ての避難所に設置が困難な気がするものの、非被災時と同じであるのは、やはり民主的でない気がする。
少しずつ炎上しそうなワードを用いてみたい。
被災地の一票の重みを暫定的に増やすことは、倫理にもとる行為であろうが実現の糸口を何度も探してしまう。
選挙制度において重要な点の一つに、「簡便である」「わかりやすいこと」があるかもしれない。
1人が一票。
確かにシンプルで分かりやすく、一見して公平平等にも感じる。
では、どうでもいい一票と、どうしても通したい一票は、同価値か。
これは、激甚災害に限らず、また投票の大小に限らず、選挙の種類に限らない。
一票を1としてカウントすることが、本当に民主主義的か。
社会とかかわっていく時間が長いであろう人(つまり若年世代)、社会的な支援を必要とする人と、何の興味もない人。
一票の価値、重みは異なるはずであるが、同じく1とカウントされる、または1としかカウントされない、別の候補者に1がわたってしまう、などの可能性をつぶしてしまってはいないのだろうか。
人による分類が難しいなら、地域や当選者数で分けられないか。
被災地の1票の重みを一時的に増やす。
被災地からの当選者数を一時的に増やす。
実現が困難なことは理解している。
様々な手続きを踏まなければならないことも、理解している。
しかしながら、通常、私たちには選挙という酷く粗い、単純な1しか与えられないこと、与えられた1で民意の代理者を選ぶしかないことを考えると、どうしても、1であってはイケない場所や立場の住民が存在している気がしてならない。
どうも筆が止まらなくなってきた。
つづきは明日の投稿にて。