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ほどほどが大事
皆さんこんばんは。ハルです。
今日は、何事もほどほどが大事ということを書いていきたいと思います。
今日は正直、天理教とは全く関係ない話ですが、お読み頂ければと思います笑。
やりすぎは良くない
何事もやはりやりすぎは良くないでしょう。
例えば、腹八分目が丁度いい、という言葉があるように、何事もほどほどで止めておくのが大事ということがあると思います。
上記の腹八分目を例にとれば、もしそれ以上を食べるとなると、食いすぎで動けなくなったり、気持ち悪くなったりします。
せっかくその料理を作ってくれた人がいるのだから、美味しく笑顔で頂きたいですよね。飲食店でも家庭でも、作ってくれた人は笑顔になってもらえた方が嬉しいわけです。
食事以外でも、ほどほどが大事ということはあります。
例えば筋トレとかでも、やはりやりすぎると体を壊して、逆に体に悪いといったことがあります。
勉強が大事、といっても、小さい時から勉強しかしてないと、やはり人として大切なことを見失ってしまうこともあるでしょう。時には勉強以外のことをして、例えば友達と遊んだり、恋をしたり、芸術に触れて感動したり、ということも人間として必要なわけです。
例を挙げればキリがないですが、おそらく何事もほどほどが大事なわけです。
一つのことをやり続けている時は、周りがよく見えていない時もあります。熱中しすぎて、自分が危険な状態にある、行きすぎてしまっていることに気づかない、なんてこともあるかもしれません。
だからこそ時には休憩して、普段とは違う世界に足を運び、視野を広げる。そういうことも大事なのではないかと思うのです。
そして、そのような言ってみれば「寄り道」は、決して無駄にはなりません。
もちろんあまりにも寄り道ばかりでは無駄になるでしょうが、適度なものであれば何かしら自分の力になるはずです。
私なりのほどほど
私の場合、ほどほどを意識するのは、自分が調子が良くイケイケの状態の時です。
例えば、自分の趣味に打ち込んでて、めちゃくちゃ楽しいと感じる時もそうですし、例えば勉強などの自分の課題に取り組んでいる時にすごくはかどっている時などです。
「あー、自分今、めっちゃ調子いい!」そう感じる時こそ、「いや、ちょっと待てよ。一旦落ち着こう」と一息入れるようにしています。
これが良いことなのか悪いことなのかは正直分かりません。しかし状態がいいときは周りが見えてなかったり、ハイになって逆に冷静な判断ができない時もあります。そう考えると、一呼吸置くのはあながち間違いではないのかなと思います。
まとめ
ということで、今日は「ほどほどが大事」ということを書いてきました。
本当に、何事も適量だと思います。適量を意識するからこそ、大きな怪我やトラブルなく、何事も継続してできるのだと思います。スポーツ選手などで、才能に恵まれていながら、怪我のために選手生命を絶たれてしまう、といった例を聞くと、本当にもったいないというか、悲しくてやり切れない気持ちになります。
だから、そんなことにはならないよう、ぜひ皆さんも今後、「ほどほど」や「適量」を意識してほしいと思います。
それでは今日はこの辺で。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。