ONARAが見えた日
「ポコッポコポコポコッーーー」
大小様々なクラゲ達が生まれては、水中から顔を出し、温かく湿った空気と混ざり合い、儚く溶けていく…
オナラが「見えた」と初めて認識したのは私が保育園の頃だったと記憶している。
まだ幼かった私は、普段は当たり前に大気中に放屁し、微力ながらも環境破壊に寄与し、「オゾン層まで届いて欲しいこのオナラ!!」と、強い願いをこめて、保育園の初夏のイベントである七夕の短冊に何枚も想いをしたためて吊るし、下っ腹に精一杯の力をこめてオナラをリリースしていた。
そんなある日の入浴時、私はいつもの様に、鼻歌をまぁまぁの音量で口ずさみながら、歌詞の分からないところはハミングでお茶を濁し、少しだけぬるめの温度のシャワーを浴び、身体を隅々まで清めて湯船に浸かると、水圧のせいか、必ずある生理的な欲求が私に起こる………そう……
オナラをぶっ放したい!!
当たり前だがその生理的な欲求、ぶっ放したい願望を邪魔する者はひとりで入っている浴室には誰も居ない、そして、簡単に子供が潜れる位にはお湯が張られ、少しだけその表面が波打っている浴槽で盛大にぶっ放す私…
水底から水面へと打ち上げられていく大小のクラゲの群れ…
ん⁇
オナラが見えた!!
クララが立った!!みたいなものである。
そのあたりのアルプスの記憶は幼すぎてかなり曖昧だが、兎にも角にも全く立つ事が出来なかったクララが、奇跡的にも自らの足で立ち上がった時の様に、これまで全く可視化出来ず、大気中にリリースし続けたオナラを初めて「見えた」と認識したのである。
オナラ神の降臨である。
その日からの私は、オナラを使って、もっと「こうしたい」「ああしたい」という所謂クリエイティブな側面がマテ貝の様に顔を出し、色々な事を試してみた。
ある日は、浴槽に洗面器を沈めてその中に何発分かをストックして一気に解き放ち、その芳醇なかほりにゲラゲラと笑ってみたり、又、別の日は、顔を水中につけて、口を全開にしてオナラを受け止めて直ぐに喋ったら呼気はオナラの臭いなのか?を検証したみたり、そのどれもがとてつもなく下らない幼少期のエピソードは枚挙にいとまがない。
大人になった今でも、私のオナラと共に歩む人生は変わらない、むしろそのかほり、力強さ、発射の際の初速スピード等、あらゆる面でのスケールアップを実感しながら充実したオナラ生活を送っている。(オナライフ)
そして先日、倅と共に浴槽に浸かっている時、倅が予告も遠慮も無く盛大なクラゲを「ポコっ」と打ち上げ、キラキラした眼差しで私に伝えてきた、「今の見た!!めっちゃデカかったー!!」と。
倅にもちゃんと「見えた」らしい。
既に溶け切っている入浴剤が放つ香料と混ざり合った倅が放ったそのかほりは、CoCo壱の辛さに例えると2辛程度のカワイイものだった。(2クサ)
DNA。
親子を感じた日だった。
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