書評|『中上健次短編集』
文・キミシマフミタカ(2480字)
わりと最近(2023年6月)岩波文庫から発売された短編集だ。初期作品から後期作品まで、(編者の道簱泰三に)選び抜かれた10編がバランスよく収録されている。長編のイメージが強い作家だが、中上文学の物語世界が凝縮された短編作品も魅力的だ。
ここでは、中上文学を論評するのではなく、文体について考察したい。
作家にとって文体の変化は必然なのだろうか。変わる作家、あまり変わらない作家がいる。この短編集は、作家活動の初期から後期までが網羅されていて、中上文体の変遷を一望することができる。文体を吟味すると、変化した部分、変化しなかった部分に気づく。あらためて読んで思ったのは、どの時代の中上文体も「意外と読みやすい」ということだ。
中上健次は-ー有名な話だがーー原稿用紙ではなくマス目のない集計用紙に、改行もせず文字をびっしりと埋め尽くしていったという。集計用紙が文体を作ったのか、文体に合うのが集計用紙だったのか。ニワトリと卵の話なのだが、前者であったような気もする。中上文学における「路地」の存在と同じように、集計用紙が彼の文学の出自だったと考えると興味深い。パソコンに向かって『枯木灘』を書いている中上は想像できない。
昭和48年(27歳のとき)に発表された『十九歳の地図』の文体を見てみよう。新聞配達をしながら予備校へ通う鬱屈した青年の話である。
初期の中上は大江健三郎の影響を受けていたという。そう言われる理由もよくわかる。やや作りすぎ感のある(?)比喩表現が、独特のリズムを生み出している。でも基本的に文体は素直で伸びやかだ。誠実すぎるほど描写は初々しく、決して難解な文体ではない。
次は、芥川賞を受賞する前年、昭和50年(29歳のとき)の『蛇淫』。千葉県で実際に起きた親殺し事件の新聞記事を素材にして書いたという作品だ。文体は一転している。
「ーーた」という短文をたたみかけてくる。これはもう北方謙三かと思わせるような即物的、ハードボイルドな文体だ。暴力のひとつひとつが乾ききっていて、アクションがまるで映画の細かいカット割りのように描かれる。逆説的に暴力行為は抑制され、読者は冷静になって、登場人物の立ち振る舞いを見つめることになる。
『蛇淫』の最後の文章も印象的だ。主人公は両親を殴り殺したあと、恋人と家の金をかき集める。
なんという終わり方だろう。この文章だけ見ると、穂村弘の短歌のようでもある。読者は、脈絡なく出てきた固有名詞「天王寺」に意表をつかれる。いったい「天王寺」に何があるというのか? 何もないはずだ。でもこの文体のせいで、どうしようもなくなった主人公に、希望のようなものを見出せる。『蛇淫』は、文体と物語の内容が見事にシンクロしている。この文体を使いたいために、この物語をつくったのではないかと思うほどだ。
もうひとつ例をあげよう。昭和56年(35歳のとき)の『重力の都』。この年、中上は、自身が新宮の被差別部落出身であることを正式に公表している。この作品では、それまでの短文とは真逆ともいえる、クネクネとうねるような官能的な文体に変貌している。
まさに集計用紙にびっしりと書き込んだ文体のようだ。これは文体の変化だろうか。一見すると変化なのだが、決して「読みにくい」とは感じない。文章に曖昧さはなく、それまでの作品に見られた、誠実過ぎるほどの描写をまっとうしていて、句点のない長文は不思議なことに短文のように読める。情報量は増えても、基本的に抑制された文章だ。変わったのは比喩表現の巧みさと、むしろ「(流れるように)読みやすく」なっている点だ。
文体とはいったい何だろう? と考えはじめると沼にハマりそうなので、考えないようにしている。あえて言えば、文体とは(うまく言えないが)、文章のリズムとか言葉の選び方とかではなく、作家が世界を省略していく方法なのではないかと思う。何をどのように省略するかが、文体となって現れる。その意味でいうと、中上の文体は一貫している。
それにしても、中上健次の享年は46。早すぎる死だった。生きていたら、どのような文体に到達していたことだろう。残念ながらもう、その文体は目にすることができない。
ちなみに『蛇淫』は、映画『青春の殺人者』になった。監督は(映画を撮らないレジェンド監督)長谷川和彦、主演は水谷豊(当時24歳)と原田美枝子(同17歳)で、1976年度キネマ旬報ベスト1(日本映画部門)になっている。