
エッセイ|あれはいったい何だったのだろう? その❶ 脱兎の如く
脱兎の如く 文・キミシマフミタカ (1323字)
事件取材をしていたころ、よく聞き込みのために見知らぬ家のインタホンを押した。そのうち9割は、けんもほろろの対応で、残りの1割は答えてくれるものの、ほとんどが役に立たない情報だった。たまに、「そのことなら、知っている人を知っている」という回答があったりする。その「知っている人」を訪ねると、「知らないよ」と言われるのがオチだった。
ある瀟酒な日本家屋があった。ダメもとでインタホンを押すと、いきなり玄関の格子戸が開いて(これはかなり珍しいケース)、若い女性が顔を出した。その邸宅の若奥さんだと思ったが、もしかしたらお嬢さんだったかもしれない。ちょっと面食らいながら、事情を話す。「近所で起きた◯◯という事件について、なにか知っていることはないか」――と。
じつは、格子戸が開いた瞬間に、雷に打たれていた。その女性は、まるで私の訪問を待ち構えていたように、顔を輝かせていたのだ。彼女は、私が長いこと一緒に暮らしていた女性だった。いやもちろん、そんな事実はないが、そうとしか思えなかった。安堵感が波のように押し寄せてきて、私は圧倒されていた。失礼とは思いながら、彼女の顔から目が離せなかった。
彼女は、目鼻立ちのくっきりとした涼しげな風貌の人で、眉間に薄く静脈が浮いていた。その静脈には見覚えがなかったが、気になって仕方がなかった。彼女はしばらく私の質問について考え、やがてふと思いついたように、「◯◯さんなら知っているかもしれない」と言い残すと、格子戸を開け放したまま、どこかに向けて脱兎の如く駆け出していった。
私はその後ろ姿を呆然として見送った。「脱兎の如く」という表現以外に、適切な表現が思いつかない。彼女はしばらく戻って来なかった。私はそこで待っているしかなく、歩道に出て煙草を何本か吸った(その頃はかなりのヘビースモーカーだったのだ)。でも、いつまでたっても彼女は姿を現さなかった。やがて日が暮れてきて、あたりが暗くなる。私はその後にアポイントメントがあったため、その場を立ち去るしかなかった。
あるいは、彼女は戻ってきたのかもしれない。「◯◯さんに聞いたけれど、やっぱり知らなかった。ごめんなさい」という言葉とともに。けれど、私の記憶の中では、彼女は脱兎の如く駆け出したまま、永遠に戻って来ない。いったい彼女はどこに行ったのだろう。私も彼女の後を追ってウサギの穴に飛び込むべきだったのか。あるいは、彼女はその家の住人ではなかったのかもしれない。そういえば、返事もなくいきなり格子戸が開いたのも不自然だった。なぜ期待を抱かせたまま、私を置き去りにしたのか。
とおい昔の出来事で、それが何の事件についての取材で、場所がどこであったかも、もう忘れてしまった。その後も、殺伐とした事件の、取るに足らない情報を得るために、見知らぬ人との一期一会の出会いはたくさんあったが、彼女以外に覚えている顔はない。正確にいうと、彼女の眉間にあった細い静脈の、その生々しく儚げな色を、よく覚えている。
村上春樹の初期の短編に、「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という作品がある。これもまた、宇宙的な奇跡を逃してしまう悲しい話だ。