見出し画像

人格形成について〜迷わない・恐れない〜

自己紹介で述べた「自分で作り上げた人格形成」について(幼少期編)暗い内容もありますが、本人はいたって明るい持ちで書いてます。防衛本能で特殊な経験をしたことが今の人格の核になっています。似たような経験をした方はいるのだろうか。


母子家庭の闇

一番古い記憶は保育園の頃。
よく母に叩かれていました。恐怖が一番刻まれるんだと思います。

生まれた時から父がいなかったので、母は仕事をしないと生きていけないのに、私が小さいから独りにできないというジレンマにイライラしていたと思います。笑顔より怒った顔しか覚えていない母の顔。
完璧主義という性格もあって、私が物心ついた時には母は育児ノイローゼだったんだと思います。

自我の形成

ノイローゼの母は、毎日怒っていました。保育園で覚えてきた言葉「しょうゆ」のイントネーションが違うと叩かれて修正させられました。家では親子でも敬語で話す。そのため目上、目下という観念を園児で身につけていました。
とにかく、私は怒られたくないので母をよくよく観察し、下手に刺激しないよう口を閉ざす子供でした。

それでも毎日叩かれるので、ひとりで泣いていると、頭の中(?)あたりで「その涙は、自分がこの世で一番可哀想って思うから流れるんでしょ」と声がしました。私は「あぁ、その通りだな」と思いました。すると涙がスッと止まって哀しさを拭えました。
頭の声のおかげで、客観視するスキルを得たのです。4才にして!

小学生になって、家が大嫌い、学校の方が好きだった私は門限になっても帰らず、しょっちゅう怒られてました。怒られると分かっていても家が嫌すぎて近くの公園で時間を潰しては、また怒られるという毎日。

怒る(教育する)ことを諦めない母との闘いが激化し、裸で外に出されたこともあれば、ランドセルをハサミで切られたこともあります。
当然、他人に見られて、問われて、詮索されて、親子で恥をかいているにも関わらず続きました。
ただ、母は学歴がないために仕事で苦労したので、学校だけは大学まで通わせようとしてくれました。

頭の声は、家だけでなく学校でも聞こえて、先生の言うことにも「否」と唱えることがあり、学校の先生の中でも、心から心配して話しかけてくる人と、決まりだからと押しつけてくる人がいる。
大人だからといって全部いうことを聞く必要はないと、私の中で話を聞く、聞かないの線引きをしていました。

得たスキル

中学生終わりまで続いた母の体罰は靴べらで叩かれることが多く、アザも常にあったので、プール授業はいつも仮病で見学していました。
そんな靴べら攻撃から、両手で頭を庇っていたある日のこと、手の全部の爪から血が滲みだし、それを見た母が「手から血がでるから両手を下ろしなさい!」と靴べらを再び振り上げたときに、新しいスキルが発動しました。

頭の奥に小さな穴が生まれ、実際には違うだろうけど、私の脳の感覚と言いますか、とにかく頭の奥の穴から音がする。覗くと、お祭りやパレードのような賑やかな感じで、体の痛みはあるのに、見たい!見たい!という楽しい気持ちになって、私はその世界に飛び込んでました。

そしたら強い衝撃があり、おそらく現実で母に何かされたようで、ふと気づくと目の前に怒りで震える母が「どこ見てるの!焦点合わない目して!」と怒鳴っていました。
そこからは叩かれながらも、こっそりと脳内に行って、母に気づかれないよう目の焦点を合わすために半分現実で半分はパレードを覗くという奇行をしていました。

そうすることで、痛いのは痛いけど、半減する感じ。たぶん、体の痛みより、血が出てもやめてくれない母を見ている“心の痛み”が限界にきて、現実を見なくてもいい脳の処理になった。

この体験から、暴力を恐れなくなり、客観視できるスキルを身につけました。
そのおかげで、感情に溺れることはありませんでしたが、生きている実感は全く無く、心はあの目と同じ常に虚ろでした。

この頭の声や穴は、18才になって家を出てやっと自分の人生を自分で歩めるようになった時にキレイに消えてしまいました。またあの声を聞きたいなと思ったりもします。


その後

ちょっと暗い話になりましたが、子供の順応力ってスゴイんだなぁと振り返って思います。
大人の今なら耐えれていなかったかも。
私のようなスキル、頭の声は、強いストレスに対する防御能力だと思いますが、間違えば解離性障害(多重人格)になるようです。

20才で私を産んだ母は、感情任せの怒りをぶつけていましたが、その中には「完璧な子に育てたい」という愛情があったのも事実です。
この当時はそれが分からず、18才で母と絶縁して家を出ました。まだ未成年なので、家を借りるにも親の保証というものが必要なので、私は会ったこともない実の父と連絡を取ります。
私に興味すら示さなかった父に比べたら、ノイローゼになりながら育ててくれた母の方がよっぽどマシ。
でも二度と戻るもんか!とも思いました。

なんの力もない子供が唯一の庇護者に暴力を受け続けた18年間に比べると、大人になった今は、良いこと悪いこと全て自分の選択次第なので楽勝です。大学で初めてできた彼氏のおかげで虚ろから少しずつ抜け出せました。

頭の声は消えましたが、客観視することは忘れていません。不安?恐れ?それ、どこから来てるの?幼少期のトラウマ?だったら向き合い方を真剣に探してみてください。嫌と思ってるところに好きな自分が居ます。迷い、恐れのない人生は最高だから。

そして、私は30才でこの母と再会します。トラウマと向き合い10年かけて母娘の関係を修復できたと思います。この話もまた書きましょう。

またもや長文になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!