機動警察パトレイバー 劇場版 2

驚異のカット数

さて、本編尺99分の本作品。総カット数は806しかない。通常テレビシリーズ1本の正味尺が21分前後で350カット前後(注1)なので、如何に少ないかがお分かりいただけるだろうか?
制作上の進行は、このカット単位で管理される。「何だ、じゃぁ少ない方が楽じゃん」と思われるだろうが、さにあらず。同じ尺ならカット数が多い方が現場は俄然楽なのだ。
まず、カット内の芝居が増える=カット辺りの枚数が増える。作画の負担が増し、時間がかかる。
動画やペイント等の負担も増えるし、何よりも撮影の物理的負担が激増する。(注2)
結果、流れは滞り、ミスが増えて全体の流れが阻害される。要するに、あまり良いことは無い。
しかし、待望の劇場オリジナル制作である。その他にも、普段テレビシリーズではできないようなことがてんこ盛りなので、誰も気に止めていないようだった。後日、ちゃんとそのツケが回ってくるのだが…

激重カットの嵐

冒頭の軍用レイバー暴走シーン。攻撃を受けた暴走レイバーが飛行ユニットを切り離して墜落するカット=約800枚。
同、蜂の巣にされるカット=約800枚。
前後に400~600枚のカット多数。もうね、数えててゲロ吐きそうだった。(注3)
他にも数百枚クラスのカットはゴロゴロあるが、極めつけはピザ屋のシーン。遊馬と野明が向かい合って話しているカット=2600枚…更に撮影用マスク追加で計3600枚…段ボール箱2つ分のウルトラスーパースペシャルカットだった。(注4)
枚数だけではない。
前半方舟内、エレベーターのカット。芝居は地味で使用枚数も少ないが、延々と動き続ける背景は2メートルを越え、付随するセル(book)はそれ以上の長さ。特殊効果が入って取り扱いはデリケートを極め、撮影さんを苛んだ。
大画面で見ると、テレビなどでは気づかないような小さなガタも盛大にガタって見える。慎重に慎重を重ねて延々と作業しなければならないのだ。
それでもミスは起きる。そしてそのミスは自分の(部署の)責任とは限らないが、リテイクになれば等しく再作業が待っている。
前後するが、件のダブル箱カット。ひたすら地味な芝居が長い上に、止せばいいのに向かいのガラス窓に全部写り込んでいる。写り込む絵は逆視点なので別作画だし、ダブラシと言って反射している絵を多重撮影しなければならない。ただでさえ長いカットの上、撮影の手間は更に倍以上なのだ。
これ、撮影さんにとっては超ウルトラスーパースペシャルデラックスヘビーなだけあって、特別に撮影監督から事前通告を受けていた。曰く「このカットを撮ると撮影台が1台、26時間塞がる。このクソ忙しい時にだ。分かるな?こいつだけは、絶対にリテイクを出すな。いいか?絶対にだ!」
怖かった。絶対服従の撮影監督直々の勅令だ。許される返答はひとつ「イエス!サー!イエス!」
でもね、そんなんに限ってね、起きるのよ。ミスが。
箱二つを台車に乗せての現場参り。「大丈夫?」「大丈夫!」「絶対?」「絶対!」「ホントに?」「しつけーよ!(怒)」などのやり取りを経て、超特別扱いで持ち込んだ撮影で、最終確認。「大丈夫だな?絶対二度と撮らないからな!」「大丈夫です!完璧に大丈夫っす!」
そして迎えたラッシュチェック。(注5)
立ち会った数人が手に汗握って凝視する中、それは起きた。一瞬だが画面のほぼ中央、野明の膝掛けがパカったのだ。(注6)
全員が凍りついた。暫し誰も声を発しなかった。空回りする映写機。やがて聞こえる嘆息。「あ~やっちゃったね~」
やっちゃったねーじゃねーよ!(泣)あれ程、あれ程確認したのに!絶対大丈夫だって言ったのに!(呆然)
他にも気になる点が無かった訳ではない。しかし、このカットの重さを考えれば、見なかったことにしてもいい。だがアレはダメだ。画面のド真ん中、かなりの面積が盛大に変化していた。直さない訳には行かない。
二日悩んだ末、意を決して修正済みのカットを持って撮影スタジオへ向かう。既に追い込み時期で、戦争状態だ。目が血走った撮影監督がカットを見て一言。「何だこれは?」
「実は斯々然々で…本当に申し訳ありませんが…」平身低頭僕。
「撮らねーよ」(怒)
「…いや、でも…」(泣)
「絶対に二度と撮らねーって言っただろ!お前が大丈夫って言ったんだ!お前が何とかしろ!」(激怒)
取り憑く島もない。撮影のミスではないのでお怒りはごもっとも。修羅場の中で何とか遣り繰りをして撮った超めんどいカットを、意図も簡単に「直したから、もいっかい撮ってね」とか持って来られたら、誰でもキレるっしょ?決してそんなことは無いんだが、あちらからはそんな風に感じられたんだろうなぁ…
ともあれ、下っぱの進行じゃ話にならねぇ、と云うことで、プロデューサーに出張ってもらって話をつけていただき、どうにか再度撮影の運びとなった。リテイク上がりのチェックは生きた心地がしなかったし、無事OKが出た瞬間は、心底ホッとした。実際に作業された撮影さんには、本当に頭が下がります。

未修整リテイクの山

そして無情に時間は過ぎる。嫌も応もない。
いよいよ残り時間も僅かとなり、全てを間に合わせるのは不可能なのが確定となる。残り作業に優先順位を付けなければならない。
最優先は白身、つまりまだ一度も形になっていないカットだ。これだけでも間に合うかどうか…
更には膨大な量のリテイク。この時点で100を越える再作業カットがあった。内容の重要性や必要な時間、作業の軽重で振り分けてランク付けする。ザックリ半数はここで諦めた。そして残りを時間の許す限り追い込むが、やはり全てを直しきることはできなかった。
これらの瑕疵は最終的な完成映像にも残ったままだ。
船で出撃する遊馬達を見送って防波堤を走る隊員達…盛大にガタっている。方舟で吠えるワタリガラス…透過光マスクがズレまくっている。
等々…誰の目にも明らかなミスが大量にある。
見返す度に後悔する。もうちょっと何とかならなかったのか?あの特大リテイクが無ければ、もっと数多くの修正ができたのでは無いか?
全ては後の祭り。昨今のアニメ事情からすれば「上映には間に合わなくても、原版を直しておけばいいじゃん」とか「円盤で直せばいいじゃん」などと言われるだろうが、この時は「それは絶対にしない」と決めていた。(注7)
これはカントク以下、現場の総意である。
それでもやっぱり、後悔はある。極限状態まで追い込まれて心身共にボロボロだった自分にそんな力が残っていなかったのは、自分が一番知っている。
それでも、だ。

アニメーションを制作すると云うこと

そんなこんなではあるが、死ぬ想いで作り上げた作品が35年を経た今でも評価され続けているのは感慨深い。それはとても有難いことだ。
でもね、自分的には、この作品を見返す度に思うのが、「アニメってやっぱり妥協の産物なんだ」ってこと。
現役時代には決して口にできなかったけど、ずっと思っていた。
良く言われる「妥協を知らず」とか「最高の技術の粋を~」とか、全部嘘だ。全然そんなこと無い。妥協したり加減したりして作り上げる、それが商業アニメーションだ。そうでなければ、商品として成立しないのだ。
業界に憧憬を懐いておられる方には夢を壊すようで申し訳無いが、嘗て商品化されたアニメの全てが、大なり小なり妥協をしている。だからこそ商品として成立したのだ。これは断言できる。例外は無い。そして、長きに渡って延々と制作中のままで、完成の見込みすら立たずに再作業や変節を繰り返している作品(と言えるかどうかも怪しいが)も知っている。「妥協をしない」から「完成しない」のだ。
足し算でアニメを作ろうとすれば、それには際限が無い。
設計段階で最高のものを想定し、それを状況や制約の中で現実の枠組みに合わせて落とし込む。要するに引き算だが、それこそがアニメを、少なくとも商業アニメを作ると云うことだ。
一頃当たり前のような風潮だった、クオリティを盾にその負担を全部現場に押し付けるやり方には同意しかねる。そうして都合良く使い潰された現場の数々を目の当たりにしてきた。この当時、創成期でまだ若かった会社も、同じ憂き目に会う可能性もあっただろう。そうならなかったのは、業界内事情的に言い難いことを通してでも現場を守ると云う意思を強く表明したからだ。より良い環境を目指し、良い作品を作り続けたいと思うからこそ、目の前の作品と心中しない。クオリティの底上げとは矛盾するようでも、妥協して次に繋げる。当然、与えられた条件下での最高は目指すが、結果で条件を変更しない。それなら最初からもっと良い条件でやるべきだ。条件が良くなれば、妥協も少なくなる。当然のことだ。
まぁ、全ての現場が同じように高い志を持って運営できている訳でもないので、保険をかけるのも条件を見直さなければならなくなるのも、ある程度は理解できる。それだけが絶対的な悪だとは言わない。だが、悪用が多いのも事実だ。理想を掲げればたちまち足元を見られるようでは、現場の運営はままならない。近年、ようやく改善の兆しが見えてきているような話も聞くが、まだまだ吹く風は強い。自分は既に引退した身ではあるが、これからもっともっと、時代を跨いで残るような作品が、より良い条件で作れるような業界になることを願って止まない。

みつ

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(注1):OP/EDを除く。400に近づくと「多い」、300を割ると「少ないかな」と云うイメージ。一概には言えないが、アクションもので増え、日常系で減る傾向がある。
劇場版は尺と内容に大きく左右されるが、90分でも1500カット前後が普通。

(注2):当時の撮影は、文字通り光学撮影。撮影台に乗せた背景とセルをフレーム(コマ)の数だけシャッターを押して撮る。フィルムの場合は24コマ/秒。カットが長くなれば、ミスが出た時のダメージがでかい。途中でフィルムを継ぎ足すことはできないので、400フィート缶単位で売られていた生フィルムに端尺(ムダ)が出やすい等々。長尺のカットはとにかく嫌われた。「こんなの撮れるか!」と突き返されることもあった(泣)。

(注3):原画担当者に「いくら何でも枚数使い過ぎ!」と言ったら、「コンテがそうなってるんだから、俺のせいじゃねぇ」と宣った。「あ~ね…そーだよね!」と言いつつ親の仇の如く枚数をつぎ込む作画に辟易した。これらは通称『箱カット』と呼ばれ、我々末端作業者を恐怖させた。

(注4):当時、業界最大手のT社では、シリーズ1話辺りの使用枚数に厳しい制限があり、2800枚を越えたら演出家の首が飛ぶなどと言われていた(真偽不明)。それを遥かに越える枚数の『ダブル箱カット』… あぁ、でも、これは2カット兼用なので、1カット辺りの枚数は半分だね。うん、良かった…ヨカッ…タ…?

(注5):現像所から上がってきたバラバラの状態(ラッシュ)で試写すること。この段階でミスがあれば、即リテイクとなる。

(注6):パカ=パーツの色が突然変わったり、消失したりするリテイク。パカパカして見えるから。
今回は動画のミスに仕上げのミスが重なり、最終検査でも見逃された。これも(多分)圧倒的物量による弊害(だと思いたい)。
『中抜き』と言って、編集作業時に該当部分だけをコマ抜きする方法もあるが、痕跡が残るので見る人が見れば分かってしまう。

(注7):この辺りの詳細は又の機会に譲ることにするが、劇場用オリジナルとして、与えられた条件下で最高のものを作る。そして出来上がったものが全てであり、後出しの条件下で言い訳がましく手を加えたりしない。出来たことも出来なかったことも、全てが自分達の責任だ、と云う強い意思の現れである。現在の価値観では異論もあるだろうが、プロとしての仕事を全うするとは、そう言うことだと思っている。



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