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「存在を売る」ということ

 こんばんは、魔女オランジーナです。まとまった文章を人に読んでもらいたくなったので書きます。

 わたしがとりあえずライブで物販をしてみたい!!というところから「てのひら句集」を売り始めて久しくなります。お陰さまで初刊の「行違い」は完売いたしまして、夏の句が入った新しい句集を製作しています。(春にもうひとつ作りたかったんですが間に合わずお蔵入りです)

 さて、ここでわたしが作っている「てのひら句集」について振り返ってみるのですが(知らないかたもこちらでお見知り置きを)、内容としては中々不思議なものです。形態は手書き原稿のコピー本、A4画用紙を折って糊付けして作っています。内容はなんと、俳句8句。テーマに沿った句が1ページに1句書かれています。しかもweb再録もある。それだけです。しかし価格は500円。これは一体どういう商売なんでしょうか。

 わたし自身、値付けに調子こきすぎじゃね?とは思いました。だってすてきな句がたくさん載ってる普通の句集ですら1000円ちょい出せば買えるのに8句で500円て。暴利もいいとこです。でもA4から作れる折り本ではこの文量が限界だし、なによりやってみたいことがありました。

 それは「存在を売る」ということ。

 日常のなかに、それも手のひらのなかに誰かの書いたとても短い詩があるということ。そこにたくさんの美しい言葉や風景があること。そしてそれを示す画用紙のかたまり、物体が存在することをわたしは尊いと思います。そういうものが手のひらに質感や重みを伴って確かに存在することの意味、そのものを売りたいと思ったのです。

 いまはスマホの画面ひとつでなんでも見ることができます。わたしの俳句もtumblrにアップしているし、絵も上げればダウンロードできる、音源にすれば音楽にもアクセスできるようになる。でも確からしい物体、質感やかたちを持った、五感すべてで味わうことができる存在はまだバーチャルでは再現できません。本が廃れない理由はそこで、わたしたちはいま、ここに存在することの尊さを無意識に分かっているような気がします。見て、触って、においがあって、指先が触れる音やなんならかじってみてもいい存在を、わたしたちは求めている。

 だから(まだまだですが)手のひら句集の装丁にはこだわりました。手触りや、紙とペン色の合わせかた、封をするマスキングテープの色、そのひとつひとつをページを開くその時間を想像しながら作りました。みなさんの手のひらに馴染むすてきな存在であるように。

 最近絵を買って家に飾りました。好きな作家さんの絵は画面で見るよりずっとずっとすてきで、その絵がわたしの机に在ること、この絵のために額縁を探したりアクセサリーや人形を添えたりすることが毎日楽しくてたまりません。「在る」ということはそれくらい価値があることです。毎日窓辺に花を活けるように、好きな茶碗で茶を飲むように。「在る」ことは日々を豊かにしてくれます。

 断捨離、ミニマリスト、シンプルイズベスト。物を持たない主義が一般化する時代です。しかしだからこそ、無駄な存在、ただそこに美しいから存在するだけのものが、磨きあげられた鉱石のように光る価値を持つことをわたしは信じます。

わたしが作る存在がみなさんの日々の手のひらを彩ることを願っています。

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