2019.5.19.しあんカフェ"愛"レポート
バラのきらきら咲く5月、ゆるふわ哲学会「しあんカフェ」の記念すべき第1回が開催されました!何もかも手探りの初回でしたが、ちょこっと物思いのきっかけになるすてきな会になりました。その模様をレポートしたいと思います。
しあんカフェとは
テーマについて深く考えることにトライし、それを人と語り合うことの楽しさを体験してもらうためのゆるふわ哲学カフェです。敷居のないバリアフリー設計、考えたことがない人でも独りぼっちでも大丈夫、「ふざけない」「ばかにしない」「あきらめない」をルールにとにかく思考を始めてみよう!という会。なんだか地に足がつかないほどふわっとした企画です。それもそのはず、主催者は哲学について大学はおろか高校でも学んだことがありません……!(倫理・政経は政経が無理過ぎて選択しなかったのです)そんな劣等感を、先入観や傲りなく語りに入れることへの誇りに変え、非常にゆるゆるした感じで初回を計画いたしました。
会場は松山市二番町にあるSHISHA CAFE CIRCUS duo。松山初上陸のシーーシャ(水タバコ)専門店です。何故そんな怪しげなところで?と思われるかもしれませんが、こちらをお借りして大正解でした。くつろげる雰囲気、甘いフレーバーの香り、思考の合間にたゆたう煙が、非日常の思案の世界へ誘ってくれました。
テーマは"愛"、参加者は3人
今回はこのような奇特な会に、2人もの方が足を運んでくださいました。主催者を含め、参加者は3人。シーシャもこのような会も(こんな会が他にあるとはなかなか思えませんが)初めて&初対面のお二方。呼ばれたい名前と好きなものを書いた名札を胸に貼りつけて、準備完了。シーシャが出揃うくらいのタイミングで軽く自己紹介をしましたが、この時点でなかなかカオスと和やかが入り混じったような絶妙な空気に。良い傾向です。主催者のTwitterを見て、やや不気味なタロットカードの解説書と深紅の薔薇をお持ちいただいたYさん(好きなものはアントシアニン)。仕事終わりに急いで駆けつけてくださった映像クリエイターのKさん(好きなものはかわいい女の子)。そして主催者ながら話をどんどん散らかしていくわたし、魔女オランジーナ。今回はこの3人でテーマ"愛"について考えます。
好きなものから愛を語る
まず取っ掛かりをして手を付けたのは、名札にも書いてもらった「好きなもの」。それについて語ることによって、自分が対象をどんな風に愛しているのか、どうすることが愛する事なのか、愛の形にせまることが狙いでした。
・魔女(好きなもの:ねこ)「ねこは、生活にあんまり実益をもたらすわけじゃないけど、かわいいことだけで世話をしたくなる。餌をやっても自分の腹が膨れるわけじゃない、生存からいったら完全に非合理的だけど、それでもそうせざるを得ない。そういうのが愛で、ねこは愛を体現しているような生き物だとおもう。」
・Yさん(好きなもの:アントシアニン)「アントシアニンっていうのはこのバラやブルーベリーなんかに含まれている物質。健康面での効能が高く、このバラのように見て美しい。色んな面で味わうことができるところが好き。この味わいたい、食べたいという気持ちが愛のひとつ」
・Kさん(好きなもの:かわいい女の子)「顔立ちが整っているとかっていう要素より、ぶりっ子が好きなんですよ。女性からしたら嫌われるかもしれないですけど……愛されるための努力をすごくしてるじゃないですか。そういう人って自分とは違ってすごい、かわいいって思うし、ちょっとなってみたい気もする。付き合いたいとは別の、憧れとかに近いかもしれません」
……と、三者三様の好きなものとその理由が挙がりました。なかなかみなさんユニークなお答えをくださいました。ここでわたしたちは、「愛」と一言に言っても、様々な形があるということに改めて気づかされます。更にYさんは、先ほど述べた「食べたい」以外にも「なりたい」「えこひいき」といった愛する気持ちがあると言います。Kさんのかわいい女の子への愛も、薔薇を愛でたい、摘みたいといった「食べたい」より、「なりたい」に近いようだと、それぞれの気持ちを分類していきました。
様々な愛の形
今回テーマは単に「愛」という言葉だけでしたが、その言葉が指し示す範囲が思いのほか広く、多義的であることが見えてきました。そこで、スケッチブックに「愛」のつく言葉を挙げていくことに。親愛、敬愛、友愛、性愛、慈愛……「この愛は自分で言うところの「えこひいき」にあたりますね」「赤の他人の結婚式を見てもなんか良いなって思うんですけど、これはどんな愛に当てはまるんでしょう」など、愛を感じるモデルケースを挙げながら、自分の「愛」の定義を深める思考をしていきました。
「なんか考えてみると、愛っていう言葉には自分との距離に違いがある複数のものが含まれてる感じがするんですけど」とKさん。初めは???となっていましたが、皆で話を掘り下げて図示していくことに。するとこんな世界観が見えてきました。
1.自分の中で完結している愛(例:花に水をやる→自己満足)
2.他者からの関係性のなかにある愛(例:感謝される→嬉しい)
3.愛を目撃したときに抱く愛(例:他人の誕生日会を見て微笑ましく思う)
4.誰でもない誰かに対しての愛(例:道で倒れている自転車を誰の為でもなく起こす)
あまり時間がなく、この分類を精査することはできなかったのですが、「自分と関係が薄いところにも愛が存在する」ことや、「人が喜んでいるのを見る、想像して喜ぶことが共通している」ことなどの気づきを得ることができました。様々な愛の形があれど、根源的な感情は同じなのではないか?と主催は主張していたのですが、実例を出していくことで否定とも肯定とも取れる事例が多く挙がり、頭を抱えるばかりでした。
結論は出ない、でもそれが面白い
「これって、結論は一体どこになるんでしょうか……?」Kさんがそう仰ったので、私はかなり焦り散らしました。確かに。しかし会は開始から既に3時間弱経過しており、思考体力もわりと限界でした……。そして、"愛"とは何かなんてテーマは、素人に3時間そこそこで結論が出せるようなものではないのでした。何だかモヤモヤとした感じになりましたが、今回はここまでの感想を述べあって閉幕ということになりました。
口々に飛び出したのはまず、「考えたり、聞いたり話したりするのって難しい」ということ。わたし自身、思っていることを伝えるための言葉が全然出てこないことに気付き、かなり焦りました。学生のときにはよく友達とこういう話をしていたのですが、それがなくなって数年でこんなにも思考が固まってしまうのかと……。相手の主張を集中して聞いてそれにレスポンスする力もまだまだ足りないな、と痛感するばかり。しかし、皆苦痛なだけの時間ではなかったようです。自分の考えが他者との会話でまとまっていく感覚、知らない人の考えを聞いて得られる新鮮さ、そういったものが強く残った、これからもこういう機会が欲しい、と言っていただけました。それこそが、この「しあんカフェ」の最も大きな目的。目に見えた結論は出ずとも、この会は成功だったと感じました。
「しあん」を非日常から日常へ
今回行ったのは「議論」ではなく、「思案」ですらなく、まさしくフンワリした「しあん」だったのではないかと思います。いきなり、多くの先人たちが人生をかけて研究してきたテーマについて、経験の浅い若者たちが結論を出そうとすることなど無謀なのです。しかし、その無謀さすら実感する機会は、日常にはありません。きっと参加者の皆さまにとって「しあんカフェ」は非日常そのものだったと思いますが、今回抱いた感想——普段こんなにものを考えていないんだな、人の考えを聞くのって面白いかもしれないな、発言するのも悪くないな――この気づきは、日常へ戻っても残り続けます。「無知の知」という言葉がありますが、愚かなことを思い知ることはつらくとも必ず豊かな精神の礎となります。正しい人生や誰かを論破する力が欲しいわけじゃない。ただ、身の回りのこと、もしくはうんと遠いところのものを、ゆるっと考える「しあん」くらいは日常で芽吹かせてほしいなあ、と、わたしは2台目のシーシャをくゆらせながら思いました。
今回の参加者の皆さま、そしてSHISHA CAFE CIRCUS duoの皆さま、ありがとうございました。次回はもっとすてきな時間になるようがんばります。
次回は7月!隔月最後の日曜日に定期開催を目論んでいます!続報を待たれよ。