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ジャスティス!
「正しい」を頼りに奮闘し続けた結果、そんなこと関係なかった、という想い出です。
親を管理するジャスティス
私の両親はそれぞれが問題人物で、私は「親を管理する」という役割を担っていました。主にお金の管理をし、他人に迷惑をかけないようにすることが私の使命でした。
父は安定しない仕事を転々とし、少しでもイレギュラーが起きると激昂し、話も通じません。母は目先の楽しみだけに生きていて、私が本腰を入れて解決に取り組み始めた頃には、借金の額はかなりのものになっていました。
「私さえ犠牲になっていれば、2人を覆い隠せる」と思い込んでいました。高卒後に結婚し、すぐに離婚した私は、それを負い目に感じながらも、親の問題に対処することを自分に課しました。
信頼できる誰かに相談できれば、もっとスマートに解決できたかもしれませんが、私なりにとにかく必死に家族のために支えました。
昼夜働きながら、親の監視と問題解決に追われる日々。最も堪えていたのは、終わりが来るという希望が無いことでした。
心の支えは、「今苦労を乗り越えれば、幸せが待っている、だからこれが正しい行いだ」という信念でした。
当時の周囲からのアドバイスは無責任で曖昧、時折私の「正しい」が揺らぐこともありました。
「正しい」の見本がない人生で迷走し、自分自身の存在さえ正しいのかわからない日々。
悩み迷い、それでもこれまでの苦労を有効にしたい執念が勝り、これが正しいんだと自分を洗脳していました。
ちょっとだけ明るく
色んなことがありましたが、なんだかんだ私が背負って、親優先で全てをこなしてきました。好きな人との結婚は諦め、独りで支える為キツイけど高給な正社員に転職し、節約第一です。
それが、おかしな展開で再婚することになり、そのおかげで人並みの方向へ目途が立とうとしてきました。
ボロ借家から持ち家への引っ越しを検討し始め、両親の老後も考慮しなんとか生活を落ち着かせようとします。
すると、お金を目先の快楽に使いたい母が猛反対し始めます。
毎晩飲み歩きほとんど家に居つかない母に警戒しながらも、騙しだまし計画を考えていました。
そんな頃、私が流産し、不妊治療が選択に挙がります。
今回こそは私のターン、ついに正しい行いの報われる番が来たと思いました。
今までずっと尽くしてきたのです。母の希望を優先し、私はできる限り我慢してきました。それもこれも、他人に迷惑をかけないためです。
でも今やっと、安定した将来へ向かい出しました。娘が奇跡的に家庭を持て自分の人生を歩めそうになっているのです。
さすがに譲ってくれるだろうと期待しました。そうすることが正しいことなんですから。
超絶怒涛の崩壊
母はこれまで以上に猛反抗し始めました。
孫なんていらない、あんたは今まで通り出張アリの高給な仕事を続けるべきだと言ってきます。出張中だと監視が緩むからです。
身体的にもブラックでマタハラもあるので主人の為にも退職を考えていたので、娘の健康なんかより自分の享楽しか考えられない母に、何度目かの心底ガッカリを憶えました。
住まいやお金の管理についても、「親子でも価値観が違うんだ!」と母の周りの🈮像模造も巻き込み私にお説教してきます。
やれやれ、価値観、なんて難しい言葉良く仕入れてきたなぁ。
聞き流していると、間もなく言い出したのが、自分は子宮がんで入院手術したことで人生を考えた、
「これからは自分の為に生きたい!」
です。
はぁ~???
もう気が抜けて爆笑しました。
ついでに、今までやったことのない独り暮らしを2年程挑戦してみたいそうで、その後は帰ってくる予定だそうです。
いつも意表ついてくるなぁと腰砕けつつ、悪い予感しかしないのでバカらしいけど気を取り直して諭します。
もういい歳だし身体のこともあるし、何より少しは私に報いてほしい、と下からお願いしてみます。
すると、母は堂々と言いました。
「助けてくれと頼んだ覚えは今まで一度も無い! 放っておいてほしかった! 考えを押し付けたり恩着せがましいのが重荷だ!」
以前から嫌だった、と。
あの時の結婚話を断った理由も、親のせいにするな!と言います。
え”~~~~~っ!!!
という経緯で、私の「正しい」はあっけなく消し飛びました。
正しくない人からの教訓
確かに、正しい基準は私自身にも見出せなかったです。
日本基準?世界基準?親子の基準にも発見できませんでした。
基準があるのかさえ、今でも分かりません。
そして、正しいの御旗の元に、親にも自分にも苦痛を強いていただけだったのです。私は一体、何を必死にやってきてたのか…?
母に言わせると、長年の行いは私が好きでやってきたことで、誰からもお願いされてはいなかったのでした。
絶句…。
断腸の想いで決断してきたこと、全部返せ!
よそ様の玄関先で土下座までしたのは、誰のためだ!
ショックでしたが、正しくない人物の正しい見解でした。
確かに、私自身もひたすら辛かっただけ、自分をねじ伏せてやり通してきました。独り意固地に悪戦苦闘していただけ、親たちはマイペース保ってただけです。
もしかしたら、正しいを武器に母の関心を自分に向けたかったのかも知れません。ここまで来ると、正しい親子関係はすっかり諦め、母との関係には疑問しか生じてきません。
ここまで来なくても、こたえはもうとっくの昔に出ていて、認めたくない罪悪感を正しいで包んでいただけでした。
それでもしばらくは手放せず執念で握りしめていましたが、この後まもなく母が家出したことで全てが終結していくことになります。
正しい、に拘り続けて依存し過ぎていました。本質も掴めていないのに…。
少しばかり余裕がある今なら何となく間違いが分かる気がしますが、それでも未だ「正しい」のこたえははっきりしていません。
実際は、正しいかどうかなんて、本当は関係なかったのです。
いつか正しいの答えがわかる日を期待しつつ、あれから、正しいは私の中にだけそっとしまってあります。
もし、誰かに振りかざしたくなったら、このことを戒めとしています。
この痛い失敗は、「これからは自分の為に生きたい、」という母の PowerWord とともに、私の持ちネタの一つになり皆に笑ってもらい供養としています。
それにしてもあの頃の大変な頑張りようを、私だけは労って赦してあげたい、ご苦労さんでした、合掌👏