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私の希死念慮のピリオド
あぁもう辛過ぎる、この世から卒業したい…
そんな絶望に感じる頻度がものすごく多かった方だと思います。
正直、生きてるこの世が地獄でした。
昔、途轍もないダメージを食らって、本気で自主卒業を考えたことがあって、けっこう大真面目に計画立てようとしてました。
北海道に仕事で行き来してた頃だったから、大自然に触れて自分がいかに小っさい生き物なのか知りました。
仲良くしてくれるキタキツネの母子の必死の生き様と比べると、嫌々生きてる自分が申し訳なく感じて。
命の生死がごく身近な環境だったから、境界線が滲んで、あの世の方が未知で甘美な気が…
でも、いざとなると、どの方法もイマイチ、誰にも迷惑かけない方法って意外と無いもの。
それに失敗してしまうリスクもある。
もし運よく成功したとして、後のことを考えると後任が心配。
両親の管理を誰かに押し付けることになるのが罪悪感、たぶん弟ではこれまでも無理だったし耐え切れない。
そりゃそうだ、私でさえ逃げ出したくなっているもの、誰が請負ってくれるものか…
はぁ~あ、命って、好きな時に始めて、好きな時に終わることができん仕組みや。
ただ、有難いことに生き物の死亡率は100%、必ず終わりは来るんです。
そうか! 何もせずともあの世から必ずお声がかかるのだ、と気づきました。
私の脳みそでアレコレ苦心して考えてみてもは答えが出せん。
もうこれは私の担当外案件や!
やけくそで開き直って、死んだつもりで生きるしかない、と決心しました。
無抵抗で全部受け容れ、流れて去るのを見送り、そうして終わりを待つしかない。
これが私の甘えた希死念慮のピリオドになりました。
そうして、概ねの操縦を諦める方向へ舵を切りました。
そうは言っても、何とかしようともがく悪癖は残ってはいましたが。
徐々に良い加減に脱力していけたように思います。
もしかしたら人生とか生きてくっていうのは、抗って上流へと必死で漕ぎまくるより、流れに身を任せてただ景色を楽しむような、そういうことなのかも知れません。