洗濯物と悟り
洗濯物を干すとき、袖や裾が片方はいったままだと心底苛ついてました。
全体的に不平不満疲労期だった頃、家族仲が険悪だったので余計と腹が立ちました。
濡れて脱水された服は、直しにくいのです。
イライラすればするほど、不思議とそういうことが続く。
そしてまたイライラ。
堪りかねて苦情を言うと、直すどころかただ拗ねる。
この繰り返しが他の小さなイライラも巻き込んで大きな紛争に。
奴らの性格まで否定してやりたくなりました。
なんかもう疲れた、もういいや。
そういうのは干さずにそのまま渡して、ご本人様に干してもらったりもしました。
でも直らない、そして苦情言ったり渡したりのコミュニケーションが面倒。
家事ダメ私がやってるの、手伝う気は無いんかい。
私が担当って決まってるわけでもなし。
そうやん、私がやらなアカン決まりは無いやん!
ということに気づいて、休日の皆の遅い起床に合わせず、私のペースで朝の森散歩や買出しへ出掛けることにしました。
帰宅すると、何とか父子で洗濯機まわして干した様子。
無理して合わせて苛々するより、放っておくほうがお互いのために良いとわかりました。
洗濯物の脱ぎ方だって、私が良いと思ってるだけかも、と気づきました。
まんべんなく乾くように干すのが正解、そのためにキレイに脱ぐのが正解、じゃないのかも、そうかも!
ということで、そのままのカタチで干すようにしました。
脇がほんのり乾いてなかったりするけど、気にしない。
そのことを申告して来ようとしたので、
あんたの村の常識ではそうなんじゃないの? 何回でもそうしてくるで、と言ってやりました。
非常識と村の衆に言われてる私のやり方じゃ違うんやろ? だから毎回そうしてくるんやろ?
世の中には色んな常識がありんスねぇ。
それからは、干した洗濯物をチラリとチェックしてきたり、気をつけて脱ぐようになりました。
今でもときどき忘れたころに片方裏返ったりしてるので、そのままの形状で干してます。
ありの〜ままの〜姿みせるのよ~て歌あってたよね、ソレソレ。
こんな風にして、小さな作業を断捨離してみると、プチ悟りを得られたりもします。
そんな私の将来の夢は、意地悪ばあさんです。