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シアワセ 3種盛り

いつも幸せなイイ心地でいるのが目標ですが、このイイ心地『快』にも種類があって、バランスよく満たすのが鍵みたいです。




ドーパミン的快楽

報酬や達成感、新しいことに挑戦することで得られる喜びの感情。目標を達成したり、夢中になっているときに感じる充実感や高揚感など。

私の場合は、自分の世界に没入してしまって、周りが消えてしまう、あの【 FOCUS 状態 】の事かなぁと思います。
子ども時代には誰しも経験していると思うけど、大人になったら周囲に広く意識を分散するから、それはしなくなるものなのかも知れません。
会社勤めの時に私って異常なんだ社会不適合なんだなぁと感じた一つは、いくつになってもこの状態になってしまうからでした。本当に悪気ないのに、周りを無視しているように見られてしまいます。

これは、子育てにも圧倒的に向いていない理由の一つだと思います。世話がかかる時期はこういう時間が持てず、私自身が滅入って病み病みしてしまうし、成長してからは息子に説明して理解してもらっているけどやっぱり寂しいのではないかと申し訳なく感じています。

博打みたいな仕事をしている時や、多々あった人生のピンチの時にも、ノルカソルカで血が逆流して盛り上がるのでアブナイ性質です。
今はもう、各国の時代劇の騎馬戦で激しい気性を納得させています。


セロトニン的快楽

安心感や満足感、リラックスした状態で得られる幸福感。家族や友人と過ごす時間を楽しむ、趣味に打ち込むなどして得られる心地よさがこれに相当。

私は【 森hiking 】でこれを得られているようです。
外で働くのを辞める直前は、ノイローゼのように小鳥の唄声を欲していて、晴れて自由になってから毎日、朝も昼も、何度でも依存症のように森へ行っていました。
全身の、内も外もすっかり清められて、心地良い無になれるんです。それでしばらくして澱んできたら即、森へ、という日々でした。
最後の職が IT機器関連の主に機械を扱う内容で、私とは真逆の人間環境だったのがダメ押しになって参ってたのかなと思います。

おかげで【 薄味の幸せ 】信者になれたので、記念日に誰にも気づかれずいつもの日常で終えたことを有難いなと感じたり、お風呂場から聞こえる父子の笑い声に至福を感じたりしています。

若い頃は予定びっしりが満足だったけど、時間に追われるばかりで結局なに一つ心に残っていない予定たちだったのが、今は何もしなくていい時間が最幸で贅沢なことと思えます。
クマのプーさんの、「何もしない、をしている」みたいなのが一番、セロトニンには効くみたいです。


オキシトシン的快楽

愛情や絆、信頼関係から生まれる温かみのある快感。大切な人と触れ合ったり、思いやりの気持ちを持つことで得られる安らぎや幸福感。

こういう幸福感を求めつづけて、ずっと空回りしてきた気がします。
それを好転させてくれたのが息子とのご縁、おかげで私の方が充電してもらえたこの十数年です。
子育てどころかスキンシップも縁遠い私が、小さい嵐に巻き込まれて汗だくで抱っこにおんぶに添い寝に、もみくちゃの日々。今でも変わらず欧米的愛情表現の息子にたじたじです。

先日、私とは正反対の愛情深いタイプの先輩お母さんが、ウチの子たちは甘えたりおねだりしたりしないまま成長して遠くへ自立してしまったと嘆いていらしたのが驚きで、わが家は真逆で羨ましく思いました。
神さまたちは本当に上手く采配されていて、そういう組み合わせになるようセッティングしているのかなぁ。
そう考えると、私がオキシトシン枯渇状態だったことさえ息子に役立ったのかも知れないな、なんて都合よく考えています。


3種の幸せ

これらの快は、それぞれが異なる神経伝達物質に関連しているので、偏らずにバランスよく、が大切のようです。

傍からみると十分幸せそうに見えるのに、意外と心配不安ごとに苛まれて物足りなさを感じているのは、このバランスが傾いているのか、それともそれを受信する感度がなまっているのか… 私にも大いに思い当たる節があるので、色々考えさせられます。

ほんとうの幸せについて、ちょっと気にし出した最近では、道路脇の野花が季節のそよ風に揺れている様や、思いがけず人からの小さな気遣いが心に染みてしまって、自然と涙が…
でもこれは私の受信感度が上がった訳ではなく、歳を重ねて気弱になったせいかも知れませんが。
それでも心が動いていることが心地良い、今日この頃です。
一日の終わりに、今日の3種類はどうだったかな? なんて思い巡らしニヤニヤ眠りにつくのも良いかも知れません。



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