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幸せな記憶に生かされている

忘れてしまっている思いやり、気づいていない視点

子どもが生まれてから、予想もしない自分の変化や、
それまで思いもよらなかった観点、新しい気づきにびっくりすることがあります。

例えば、夏。

何度も往復して、バケツいっぱいの水を運んで
子供の水遊びに付き合うとき

時間をかけて準備しても、一瞬でなくなってしまう花火をしたとき

暑い中、自転車でひーひー言いながら買い物や保育園に行くとき

あぁ、あの時もしかしたら両親はこんな気持ちだったのかな
大変だなと思いながら、毎週遊んでくれたんだろうな

そういう一つ一つの気づきがあるたびに、
家族に大事にしてもらって、自分も大きくなってきたんだなということに
気づくというか。

たくさん、たくさんしてもらったことがあったはずなのに、
当時の自分にとってはそれが当然のことすぎたりもして、
ぼんやりとした記憶しかないことが多々あります。
子どもと一緒にいるときに、はっと思いだしたりして、
どうしてこんな大事な瞬間のことを忘れていたんだろうと、
ぎゅっと苦しくなることもあります。

母も、祖父母も大半が他界してしまったり、家がなくなったりしているので、
もう絶対に取り戻せない。二度と再現できない。
もう会えない。
そのさみしさが、余計にそう思わせるのかもしれません。

幸せな記憶に生かされている

親にとって、子どもが楽しそうにしていたり、
かわいい笑顔を見せてくれる瞬間って、かけがえがない。
きっと、もう会えない母も、そんな気持ちで
慣れない東京で私や弟を育ててくれていたのだと思います。
田舎の祖父母も、たまにしか会えない孫を、
大きな愛情で甘やかしてくれていたのだと思います。

自分は、これまでしてもらった幸せな経験に生かされてきた。
そして、そういった幸せな経験が今度は記憶になって、
今こうして自分を励ましたり、ほっこりさせてくれている。
自分を助けてくれていると思うのです。

今度は私が、子どもたちへ

毎日仕事もバタバタしていて、ゆとりもなくて
お世辞にもゆとりある母、優しい母とは言えない私ですが‥‥
いつか、いつか、今じゃなくて遠い未来に、
親に愛されていた記憶や、家族の思い出が、
大きくなった子ども達を癒したり、救うかもしれないから。

小さな思い出を、たくさん積み重ねていきたいなと思います。
してもらったことを、今度は私が。

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