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さよならを教える♯4 ∴ 最後の再会

自己中心的で我儘な、そして危険な人物に面と向かって縁を切ることを宣言するのは、想像以上にリスクが伴う。ましてや、ショウイチは口を開けば喧嘩自慢を繰り返す、暴力的な性質を持つ人物だ。女性が恋人の男性に別れ話を切り出す際の恐怖と危険を、私は初めて肌で感じた。彼のような相手に対して、礼儀正しく「さようなら」を言う必要などどこにもないのだと痛感した。

そもそも、二度と関わりたいとも思わない相手に、わざわざお別れの挨拶をする理由などない。私がショウイチのような大嫌いな人物と向き合っているのは、ただ小説を書くために過ぎないのだ。それ以外に、彼に会う理由はもう何もない。



私は少なくても数年振りに自分から彼に連絡をした。自分が愚痴を聞いてもらい時には昼夜問わず何度も連絡するくせに此方からの連絡には全く出ない。彼はポテトチップスをバリバリと食べながら「ゲームしてて忙しいんだけど、何の用?」と、不躾態度で私を軽くあしらった。

何度となく、彼の都合に合わせて、彼の一方的な愚痴を聞いて慰める為に時間を作って会っていた私に対して、余りにも不遜な態度だ。「話があるから」と面倒くさがる彼を説得して彼の自宅近くの最寄駅で会う事にした。

久しぶりに再会した彼は、以前にも増して目付きが危険で、その巨体が暴れ出せば、簡単に人の骨を折るだろうという恐怖感が私を襲った。しかも、彼はそんな事をやりかね無い人物だったので、私は一層の危機感を覚えた。彼も、私が恐怖を感じていることを、すぐに感じ取ったようで、そのことが彼にとっては愉快だったのか、上機嫌で「よう!久しぶりだな!」と、まるで何処ぞの大将が忠実な手下に接するかのように馴れ馴れしく私の肩に手を置き、ご機嫌な様子だった。

その瞬間、彼からとんでもない悪臭が漂ってきた。もともと彼には加齢臭や汗のにおいが強く感じられることもあったが、今日はそれ以上で、今まで嗅いだことのない異様な臭さだった。単なる腋臭や体臭とも違い、独特な言葉で表現できない悪臭が漂っている。彼の話では、一緒に暮らしていた祖母が施設に入ったらしいが、もしかすると彼自身が洗濯をおろそかにしているのかもしれない。けれども、街のホームレスが放つにおいとも異なり、今まで生きて来て嗅いだ事が無い独特の不快感を感じた。

この匂いのあまりの異様さに、私はもしかして、自分が彼に抱く嫌悪感や危険を察知した事で、動物的本能が目覚めて、危険信号として脳が作り出した「幻臭」なのではないかと疑った。強い拒絶感が形を変え、私の感覚を錯覚させているのかもしれない。

駅の周辺には小汚い雑居ビルがならなんでいて、そのビルのちょうど裏手に小さな公園がある。その場所に向かう最中、彼の後ろを歩いていると、その臭いが我慢の限界に達し、吐き気がこみ上げてきた。私は「ショウイチさん、道が狭いから迷惑にならないよう、僕の後ろについてきてもらえる?」と促して、前に出て歩き始めた。だが、すぐに彼は私の横に並び、アニメの登場人物や作品批判を延々と一人で喋り、自分の話に自分で笑いながら、終始上機嫌で歩き続けた。私は彼が前に出るたび、何度も自分の後ろを歩くように注意したが、無駄だった。

かつて一度、体臭について軽く注意したことがあった。「ショウイチさん、お風呂に入ってる?」と冗談めかして聞いたところ、彼は激昂して「入ってるよ!」と怒鳴り始めた。そのときは、できるだけ気まずくならないように「耳の裏とか髪の生え際までしっかり洗わないと、においが出ることがあるよ」と優しく忠告したが、彼を不機嫌にしただけだった。それ以降、彼が気を悪くしないよう臭いのことには触れないようにしていた。

私は彼と会う場所を、空気のよどむ狭い店や密閉された空間は避け、駅前や公園など、風通しの良い屋外で会うようにしていた。彼自身は、自分の体臭が周囲にどう思われているかをまるで気にしていないようだった。おそらく彼は、自分に対する忠告やアドバイスを「悪口」や「敵意」として受け取り、批判的な言葉を全て突っぱねてきたのだろう。忠告と悪口の区別がつかず、自分の非を認めないまま孤立した典型的な例を、目の当たりにしたような気がした。

これは後日談なのだが、彼と会ったその日以来、ふとした瞬間に自分が臭うのではないかと気にし始め、実際に自分が臭っているような気がしてきたのだ。彼の悪臭があまりにも強烈だったせいで、まるでそのにおいが自分にまで染みついたかのように、無意識のうちに自分の体臭にまで敏感になっていた。そう言う意味で、彼に会った事は私に心理的ストレスを与える一方で、自分の体臭に付いて見つめ直す機会を与えてくれたのだとも思えた。





彼は何度か冗談めかしに、突然私のお腹を殴って来て、「腹筋有るねぇ」などと挨拶がわりに暴力を振るってくる人間だった。彼はそう言うのが愉快なのかもしれ無いが、やられる私は不愉快だし、もしそれで痛い思いをさせられても「そんな強く殴ったつもりは無かったごめんな」の一言で済まされる事は目に見えてた。それが故意で行ったのか、本当に事故だったのかは本人以外にはわから無い。

そんな事を悪気なく平気でやってくる人物なので、私は会った時には毎回必ず開口一番に「いきなり殴ってこないでね」と注意するようにしてた。すると彼は「ヤヨイさんは友達だからそんな事するわけないじゃん」と笑いながら発した。その高らかに笑いこける歪んだ表情を見た私の心の中には、これから友達じゃなくなる。そしたら「友人」ではなくなった私に平気で手を上げるかもしれないという恐怖がよぎった。

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