見出し画像

40歳のカナダ留学(9) カレッジ進学

40歳でカナダにのんびり留学する生活を記録します。

カレッジに進学して、1か月が過ぎました。
感想をまとめると、
1.ネイティブの授業早すぎる!語学学校の先生は優しかったんだなあ!
2.ビジネスの勉強楽しいー!…なら私、日本でMBA勉強したほうが良かった?
3.バンクーバー住みやすくて最高!
という3点です。

1.英語でビジネスを学ぶ

私がいっているのは週に5コマ(1コマ3時間)しかないビジネスカレッジ(ビジネススクールって感じです)であり、学生も留学生が多いようです。
とはいっても公用語が英語の国からきている学生も多く、授業は「英語が十分に話せる」ことを前提で進みます。
先生の出身国も様々で、先生によって対応にかなり差があるのですが、話す速さの閾値はこんな感じ。
【速度MAX】: 完全ネイティブスピードで授業。ほぼ聞き取れない。コールアンドレスポンスの速度も速すぎて発言できず。
【速度MIN】: 留学生が多いことを配慮してゆっくり話してくれるが、インド訛りが強すぎて聞き取りが難しい。質問や発言は待ってくれるので、わからなかったら頑張って発言する。
※とはいえ、私はインド訛りには結構親しみがもてていて、Rをはっきり発音するのはなんか「そうしたくなるのわかる」って感じがするんですよね。ドイツ語やってた時もそんな気がした。慣れればそのうち聞き取れるようになるかも。

「これが、海外で学ぶという難しさか~」と、先人たちの言葉を思い出しながら、心折れないように過剰に先生の目を見て授業を受ける毎日です。グループワークとかもたまにありますが、私だけ理解が間違ってたりして毎回認識齟齬が起きます。。

2.ビジネスの授業は楽しい

英語はきついのですが、授業自体は楽しいです。なぜなら、私がそもそも「口を開けば仕事の話ばっかりする、仕事大好き人間」だからなんだと思います。
とはいえ感覚派、経験によって仕事をしてきたので、改めてマクロ経済とかマーケテイングとか、事業計画の作り方とかを学ぶのはとっても楽しい。「はあ~そうか私ならこうするな」とか「あー私はこうしてきたけど、これがセオリーなのか。」「私は情報産業しかかかわってきてないけど、製造業はこうなのか」なんて、記憶と照合できるのでとても楽しい。

ただ、第1学期は内容が基礎だからなのか、どの授業も似たようなことを教えていて、かなり内容が重複しているので、「このペースだったら、1年で学ぶこと少なそう」という感じはします。
1週間で合計6種類くらい性格診断テストしたのには面食らったなぁ。。経験から大体自分の思考傾向ももうわかっているし。でも仕事をしてた時と今の、ちょっとした思考傾向の変化に気づけたのはよかった。

もともと学んだことは誰かに話したくてしょうがない私ですが、一緒に授業を受けている大学生たちはとっても授業がつまらなそう。だから、授業について楽しく振り返りできる話し相手がいない。グループワークもなんだか適当な人が多くて、せっかくならいいもの作ろうぜ!感は感じられない。さらに英語での認識齟齬も発生。

・・・私、日本で社会人向けビジネススクールにいってたほうがとっても楽しかったのでは?と感じるとともに、日本に帰ったら、仕事しながら学校行きたいかも、という気持ちが強くなってきました。
もともと2年前くらいに一度、仕事しながらMBAに挑戦しようかと思ったのですが、持ち前の怠惰さと、「ビジネスは好きだけど、私が勉強したいのはMBA(経営学)なんだろうか?」という疑問があって結局受験しませんでした。

まあでも、とにかくここに来た理由は「英語で仕事できるくらいになりたいよ!」なので、そこは見失わずに、粛々と英語を頑張るっきゃない。

3.バンクーバーは住みやすい(夏)

もう、色んな人が言いつくしていることですが、ほんとですね。
色んな出身の人がいるのでお店で注文がおぼつかなくても待ってくれるし、天気はいいし、30度超す日ほとんどないし、自然は豊かだし。
いろんな国から移住してくるのはそれはそうだなと思います。
夏の週末は花火大会とか野外オーケストラとか、パレードとか、無料のイベントがとてもたくさんあるので、お金使わなくてもいろんなイベントを楽しめます。

ただやっぱり母語でコミュニケーションとれるのはめちゃくちゃ楽だし、収入もおぼつかないし、今のところはそのうち日本に帰るという意思は変わっていないです。
それに、10月くらいから雨で暗いバンクーバーになったらどうなるのか。全然違う国みたいになっちゃうのかもしれないですね。

家にいると怠惰が発動して勉強しないので、5月ごろから基本的に図書館に入り浸っているのですが、そのおかげで勉強習慣がついてきました。次は運動習慣がついたらいいなと思っています。

ここにいると、とてもゆったりと過ごすことができ、何より自分のペースで、誰かに指図されることなく過ごすことができています。
「こうしなければ」という自分の内にある指示厨も姿を消し(というよりも、考えた瞬間に「そんな風に決めなくていいか」と思い直す余裕があるのかも。)、「心配」という名のもとに価値観を外部から押し付けられることもなく、(自分から情報を取りにいかない限り、受動的に流れ込む情報源が身近にないので)過剰な情報に振り回されることもなくなりました。

バス停でバスを待っていると、今日は暑いわねと知らない人と会話を交わし、バスでよろけると誰かが体をささえてくれる。元気であれば積極的に席を譲り、バスを降りるときに礼を言う。鳥は早朝に大合唱して、無邪気に人に近づくし、虫たちもどこかのんびりとしている。植物は街路樹も庭も公園も多種多様だし(見たことのない植物も多い)、食べ歩きしている人たちもごみは街中に多数あるごみ箱に基本捨てるし、多少ベンチが汚くても気にせずくつろぐ。天気のいい日は公園で水着で日光浴をする。ドラッグ中毒者は怖いけどバスにもみんなと一緒に乗るし、倒れていたらみんなで助けるし、子供はどこを叫び走り回っていてもほほえましいし、水が飲める場所がたくさんある。ちょっとくらい肩がぶつかっても、足を踏まれてもとくに(踏んだほうが)気にしないし、スーパーの野菜が腐っていたらそれをよけて買えばいい。店員も疲れたら休めばいいし、客と話したかったら話したらいい。必要以上の物は買う必要もないし、毎日昼にコンビニに弁当を買いに行くこともなく、飲みながら仕事の話をする仲間がいないので飲みすぎることもなく、自炊が多いと珍しくハンバーガーを買いに行く日を決めるだけでちょっとした楽しみになる。

毎日のちょっとしたことで、「息苦しくない暮らしとはこういうことなんだろうか」を発見しています。そしてそれは、ここで実感することができたけど、ここでしかできないことではないと思う。きっと日本でも、そのように生きることはできる気がする。たぶん。


いいなと思ったら応援しよう!