へい

ただのにんげんです

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ただのにんげんです

最近の記事

朝、学んだこと。 成功者の共通点、マイクロブレイク、書く習慣、モーニングルーティン、2次活動、アウトプット重視、フィードバッグ、腹八分、単純化、断る勇気。

    • 創造する難しさ

      毎日、本を読む 知識を得る アイディアが浮かぶ ここまでだ。自分の限界点は。 クリエイティブなチカラが欲しい。 想像を現実にするチカラが。 どうすれば、クリエイティブになれるのか。 それは、やり続けることでしかない。 歴史をなぞるのはもう辞めにして、ひたすら書き続けるしかないのだ。 それがどんなに息苦しい行為だったとしても、それでしか表現できないものがある。 偶発性に任せるのもよいが、意思を持って書き続けることこそが自身の成長につながるのだ。

      • 神に踊られる子

        • カシンとケイソツ

          元部下に自身が持つ最強の能力を奪われ、その能力を手に入れたことで悦に入り、油断した元部下に対し反旗の一撃を喰らわした直後のセリフ。 過信と軽率。元部下こと黒ひげは確かに手に入れた能力を過信し過ぎていたし、その点においては軽率だった。 しかし、自分の失敗を翻ってみるに過信と軽率は黒ひげだけの弱点ではない。歴史上のあらゆる失敗も遡ると過信と軽率に行き着く。こればきっと、人類共通の弱点だ。 結局、ニューゲートはやられてしまうのだけど。

          弱い者は助けたいけれど。

          先日、後輩がさっそく組織に対する不満を漏らしていた。すごい不愉快な気分になったので、なんでかなぁと思ってぐるぐる考えていたら、上記の一節を思い出した。 弱者と臆病者と違いはなんだろうか。 たぶん、戦う意思があるか否かだ。何かに向かって努力できるか否かだ。そこから一歩動こうとしてるか否かだ。 確かに、組織に配慮に欠ける点はあったかもしれない。しかし、何かを進言したり、提言したり、相談したりしたのだろうか。文句を言う前にできることがあるんじゃないか。 現に、新しい組織はな

          弱い者は助けたいけれど。

          どうでもいいめのガイドラインを引く

          こどもが体調を崩す。 こどもの面倒を見る。面倒を見るというとなんだか上から目線であまり好きではない。まあ。一日一緒に過ごした。具合が悪さと機嫌の悪さは比例する。ごはんを食べるのも、服を着替えるのもとても時間がかかる。 すこし復調してきた様子だったので、外へ出掛けてみる。 ベビーカーには乗らないというので抱っこして出かける。電車に乗ってすこし遠出してみる。電車を眺めるのが好きなようで、電車が駅に停車するたびに反対車線の電車がいないかチェックしていた。 当てもないので海にでも

          どうでもいいめのガイドラインを引く

          気が付けば6月

          気が付けばもう六月。 しかし、あまり、梅雨の気配はない。 僕がこどものころは6月と言えば、雨がしとしと降っているイメージだったけれども案外そうじゃなかったのかもしれない。 人間の記憶なんてものはあいまいである。 ぼくはと言えば、絶賛求職中で、今日も職安へ行ってきた。 相談窓口がすこし混んでいたので、整理券を貰い、街をぶらぶらしていたら 「通り過ぎたら後悔するぐらい旨いよ」的な看板を掲げたインド料理屋が あったので、通り過ぎたけどそのうたい文句が気になって、まんまと立ち寄って

          気が付けば6月

          インターネット開通記念

          早いものでもう4月も最終日。 あたらしい生活にもようやく慣れてきた。 けっこうな田舎から都会へ越してきたのだけど、そのギャップがおもしろい 単純に人の密度も違うし、生き物の濃度も違う。 昔は都会を毛嫌いしていたけれども、すこしは楽しめそうだ。 あまり長くは暮らすつもりはないのだけど。 僕が暮らすには、少々騒がしすぎる しばらく日記をつけて暮らしていきたいと思う。 元来自分はあまり感想とかをもたない性質があるらしい。 そいえば、読書感想文とかかなり困ったもんな。ひた

          インターネット開通記念

          22.4.6

          ここ数日はせっせと引っ越しの準備をして過ごしている。 今日は不用品を選別し、引き取り業者にもっていってもらい、午後は役所へ行き、引っ越しに必要な手続きを済ませてきた。 5年も住んだ土地を離れるのには、それなりの労力がいる。 これから先のことが決まっていないので、やることがあるのはありがたい。 夢叶い、動物園の飼育員として過ごしてきたが、これからはそのような肩書きもなくなった。 何者でもない状態である。 肩書があることは精神的な安らぎをもたらす。反面、その肩書に頼り

          アライグマは凶暴か

          自分が勤める動物園では、アライグマを飼育している。 まぁ、自分の担当動物でもある。アライグマの前を通ると、よく 「アライグマって狂暴なんだよね。」 という声を耳にする。 そのあとは「決まってテレビでやっていた」という声を聞くのだ。 現に、目の前で巣箱の中でスース―寝息を立てている灰色のまるっこい動物が狂暴に見えるのだろうか。 アライグマは狂暴か。 自分が飼育してみた経験上、そんなことはないと思う。他の動物よりも好奇心は旺盛だ。そして、しつこい生き物だとも思う。こな

          アライグマは凶暴か

          動物園ってなんだ?

          永らく「動物園とはなにか」が私の疑問であった。最近、なんかこうようやく答えが出そうな気がするので急ぎメモとしてブログに残しておく。 そんで、自分の中で動物園とは何かを考える時に命題が3つぐらいあるんだけど、それについてそれぞれ書いていきたい。 動物園は誰のための施設なのか動物園は誰のための施設かというと、それは紛れもなく人間のための施設だと思っている。 だって、動物園は人間が作り出した施設だし、人間が生み出した概念である以上、ヒトの価値観の枠を超えることが出来ないからだ。こ

          動物園ってなんだ?

          動物福祉は動物園の目的になり得るのか

          最近、エンリッチメントやハズバンダリートレーニングが普及することによって業界の中で動物福祉ってやつがかなり普及してきている。 それ自体はとっても良いことだと思う。しかし、一方で動物園で暮らす個体を幸せにすることが「良い動物園」という図式が成立しつつある気がしている。 つまり、動物福祉に配慮すること自体が、動物園の目的になりつつあるのではないかと感じることがあるのだ。 そもそも。 動物福祉とは、 人間が動物を利用する場合、動物に対して心理的、肉体的に最低限の苦痛しか与えな

          動物福祉は動物園の目的になり得るのか