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エイサー、ハーリー、闘牛。石川の祭り ー沖縄の「へそ」うるま市石川のローカル生活(27)

今日は石川の祭りについて。詳しい解説は行政や観光のサイトに譲り、在住経験者ならではの、各祭りに対する周囲の印象や僕の実感を綴っていこうと思います。

◯エイサー

沖縄のお祭りで、県外の人にも最も有名なのはエイサーではないでしょうか。

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沖縄でお盆(旧盆)の時期に踊られる伝統芸能で、念仏踊りによってお盆に帰ってきていた祖先の霊を、あの世にまた送り出すという意味があります。なので元々は地域行事なのですが、今では沖縄市の全島エイサーまつり(上記写真)など、町おこし的なフェスティバルも盛り上がりを見せています。盛んな地域の地元の青年会は、年に一度のこの祭りに人生を賭けている節があります。

石川でも、各地域の青年会(踊りの主体)がエイサーに熱心に取り組んでいます。お盆の時期には地域行事として町内を練り歩く行事も行っているようですが、沖縄にお墓や実家があるわけではないナイチャーの僕にはちょっと縁が薄かったですね。またうるま市のエイサーまつりもなんだかんだ、見に行きそびれてしまいました。(沖縄市の同僚に誘われて、全島エイサーは何度か見に行きました)

うるま市のエイサーを調べると、いつも与勝や具志川エリアの青年会が取り上げられている気がしますが、以下の市の観光物産協会パンフレットには石川地区のエイサーについても網羅されており、勉強になりました。興味がある方はどうぞ。

◯ハーリー

ハーリーとは、旧暦の5月4日に沖縄各地の漁港で行われる、伝統的な手漕ぎボードでの競漕のことです。各地の中で先陣を切って行われる那覇ハーリーがおそらく最も有名で、GW時期の観光イベントとして当日は屋台やステージ、花火などさまざまなイベントも同時に行われ、一大フェスティバルの様相を呈します。

石川の石川ハーリーは、観光を意識していない分、「地域のお祭り」という本来の趣旨が全面に出ていました。大会の日に石川漁港に見物に立ち寄ったことがありますが、自治会の運動会のようなローカル色の強い盛り上がりでした。

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職場の同僚(石川出身・在住)が「仲間と一緒にハーリー出場したよ」と言っていたり、通いのバーで、店員のお兄さんお姉さんが「うちらでハーリーに出場して優勝したんだよね」と自慢してきたり、職場やPTAの仲間で出場しているのを応援していたり。エイサーは地域の若者が参加する祭りですが、ハーリーは老若男女が気軽に参加できることもあってか、石川ではずいぶん身近に愛されている印象を受けました。

石川ハーリーについては以下の記事が勉強になりました。

◯闘牛


闘牛といっても、スペインのように人間と牛が闘うのではなく、牛同士を闘わせるイベントです(闘鶏や闘犬と同じ)。うるま市は昔から闘牛が盛んで、中でも石川は「闘牛のまち」と銘打ち、珍しいドーム型の闘牛場(石川多目的ドーム)も有しています。

一度くらい見てみたいと思いつつ、意外と入場料が高い(3,000円)こともあって二の足を踏んでいました。しかし何の機会だったか失念しましたが、闘牛が無料で観戦できる大会があり、その時にちゃっかり初観戦が実現。

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2頭の牛ががっぷり組みます。どちらかの牛が敗走したら勝敗が決します。派手に技を繰り出し合う闘いもあるようですが、僕がみたときはジリジリと組み合ってお互いに体力を消耗させるという地味な勝負でした。

うるま市の観光行政は、市内の「4つの見どころ」として伝統エイサー、勝連城跡、海中道路と並ぶ観光資源として、闘牛を取り上げています。

しかし僕が周囲の地元の人に聞いた限りでは「そこまで推す?」的な反応でした。どうも昔はおじさんたちが闘牛で賭け事をしており、そのイメージが強いようですね。競馬や競輪を観光に推すのに近い感覚なのかな、とその話を聞いて思いました。

また、生き物を闘わせるというのが(伝統行事としては尊重するにしても)、現代の価値観的に観光にはどうなの?という風潮も今後、出てくるかもしれません。上記のうるま時間は全体的に今風というかオシャレな雰囲気のサイトですが、その分、闘牛のページの異質さが際立って見えま、せんか?

……などと取り上げられ方について元住民として疑問は呈しつつ、生き物同士の闘いは、好きな人にはたまらないもののようです。公式動画も迫力あるものですので、こちらも興味がある方はご覧になってみては。


なお沖縄の地域の祭りでもう一つ有名なものとして、大綱引きがあります。ただこれは那覇や糸満など南部の祭りのイメージで、石川にはなかったのではないかと(あったらごめんなさい)。


僕の地元、九州の友人でも「お祭り男」は、若い頃は神輿の担ぎ手として祭りにどっぷり浸り、歳を重ねて引退した後も、毎年祭りの度に、県外からでも必ず駆けつけて盛り上がっていました。まさに「祭りに命をかける」ような人生です。

現代では、全国各地のお祭りは、観光資源として着目されがちでした。しかし沖縄で僕が感じたのはまさに「ハレ」と「ケ」の概念のように、地域の人々にとって「祭り=ハレ」というのが「日常=ケ」の先にあるカタルシスなんだろうなぁということ。大舞台での主役となり、日常で蓄積されるストレスを発散させ、歌って踊って騒いで楽しむ瞬間は、生きる喜びに満ち溢れているように見えます。そして非日常を終えたあとは、その思い出を糧に来年まで、また慎ましい日常に帰っていくのです。

新型コロナウイルス感染症の影響で、ここで取り上げた沖縄の祭りの多くも昨年から中止が続いているようです。今の日常=ケがあとどれくらい続くのか分かりませんが、その先に進化した新しい祭り=ハレが形作られることを祈り、楽しみにしています。

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