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#03 ○は○、△は△の常識を疑う

新型コロナの第6波の捉え方は、まったく違っていた

少し前の話になりますが、2022年2月17日付の朝日新聞と読売新聞の1面トップは、ともに新型コロナの第6波についての記事でした。その見出しを比べると、全く違う印象をうけました。

朝日新聞は「高齢者に感染が拡大。死者も急増し週平均で163人。最多の水準を維持している」という内容です。さらに専門家の話として「ピークを超えた」という内容を押さえています。
読売新聞は「ピークは超えて感染者は前週の0.9倍。80歳以上は微増」という内容です。
 
双方とも「厚労省に助言する専門家組織」に取材し、同じ資料を元にした記事です。添えられたグラフも、朝日新聞は2020年からの動きを横軸に取り、2022年1、2月がピークであることを示すものです。一方、読売新聞は2022年1、2月の部分を大きく切り出し、2月に感染者が減った部分を示しています。
 
内容の是非はともかくとして、見出しとしては読売新聞の方がわかりやすかったと思います。朝日新聞は「死者も急増」が、高齢者なのか感染者全体なのかがわかりにくい。また専門家の話として「ピークを超えた」という部分が、「最多の水準を維持」と矛盾しているようにも読めてしまいます。全体として見出しが多すぎて、何を伝えたいのかがはっきりしない印象でした。

その認識は真実を捉えているだろうか

それにしても、面白いですね。全く同じ資料から異なる状況を描き出しているのです。
両社の見解については、さまざまな意見があると思います。しかしここでは、なぜこういうことが起きるのかについて考えてみたいと思うのです。次の【図1】を見てください。

【図1】円と二等辺三角形

【図1】は円と二等辺三角形の図形です。もちろん、この二つは違う図形ですよね。では、この異なる二つの図形が、同じ図形を表している、と言われたときにすぐその図形を思い浮かべられますか? ヒントは、円が垂直方向から見た形、二等辺三角形が水平方向から見た形です。
 
答えは円錐形です。【図2】
言われてみれば「なるほど」と思いますよね。ことろが、異なる図形を見て、瞬時に円錐形に結び付くことはないですよね。僕たちはこんな具合に、生活の中で○は○、△は△というごく当たり前のように認識しているからです。

円と二等辺三角形は円錐形の断面

「当たり前」が生み出す固定観念

そのため、○は本当に○なのか、△は本当に△なのかということを、いちいち疑うことがありません。「当たり前の認識」がそこにあるからです。こうした認識は、図形にとどまりません。価値観・意識など形の見えないものについても、僕たちが当たり前として認識していることがいかに多いか見方に慣れ過ぎたり、囚われ過ぎたりしがちです。異なる角度からものを見ることができず、新たな価値観を見失ってしまうことにもなるのです。「当たり前の認識」が生み出すものが、固定観念なのです。
 
先に挙げた新聞の見出しは、円錐形を円として書くか、二等辺三角形として書くかの違いです。とはいえ、真実という円錐形をどう伝えていくのか、という問題は常につきまといます。どちらが間違いで、どちらが正しいかの判断は、読み手に委ねられています。そのためにも情報は複数から得て、その中から真実を読み取るリテラシーが必要になるのだと思います。
 
当たり前の認識が生み出す固定観念は、第2回のコラムに書いたことにも通じます。小学校の写生の授業で多くがマンションの窓を青く塗ったなかで、ただ一人、窓を黒く塗った級友の話です。写生の授業で、実際にアパートを見ていたにも関わらず、僕は窓を空色だと思い込んでいました。僕にとっては、窓は空色が「当たり前の認識」だったのです。これこそが固定観念です。

「王様の服」は真実を奪う装置だった

童話『はだかの王様』に描かれているように、ばか者には見ることができない布で織ったという王様の服は、事実を見ること、真実を話すことを人々から奪う装置として機能し始めました。自分はばか者ではないという自己防衛のために、側近たちは実際には王様は服を着ていないにもかかわらず、着ているのだと自らに思い込ませ、納得させました。自己防衛に囚われた人々は見ることを諦め、ことばを封じ込めることによって思い込みや固定観念を形づくっていったのです。僕たちが「常識」とか、昨今「忖度」と呼ぶもののなかにも、これに似たプロセスを踏んだものがあるように思うのです。
 
こうした「常識」や「忖度」は、「見えてはいるが、見ていない」という日常の延長線上に育まれています。しっかり見て事実を見極め、真実を追求することは、生き方の問題にも大きく影響します。『はだかの王様』では、「大様は裸だ」という子どものひと言が、真実の姿を開く切っ掛けとなりました。

新たな価値観は「見て、ことばを紡ぐ」 ことから生まれる

しかし、思い込みや固定観念は、子どもにだって知らず知らずのうちに植え付けられています。「女の子はピンク、男の子は青」「かわいいは女の子に言うことば。男の子にはかっこいいって言うんだよ」「○○君は男らしくない」。どこで覚えてくるのか、こんなことばのなかにも、すでにジェンダーの固定観念が植え付けられています。
 
一つ一つを確認しながら生きていくのは大変です。しかし、○や△を示されたときに「それは本当に○なのか、△なのか」と、たまには考える力を身に着けておきたいと思うのです。一つの情報だけ目を奪われて、隠された(あるいは見落としている)姿を浮き上がらせる力が持てなければ、ことばを使いこなすことはできません。「見ること」のなかにこそ、ことばを紡ぎ、新たな価値観を生み出す思考の芽が潜んでいるからです。

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