『進撃の巨人』完結記念、私のエルスミ論
ずっと分からなかったところがあります。皆が大好き「白夜」の回で、フロックがエルヴィンを「悪魔」と呼ぶくだり。なぜ「悪魔」なのか?結構きちんと考えてみました、長いです。進撃の巨人完結記念、エルヴィン・スミスはなぜ人類の希望たりえたのか。
まず状況を整理するために、かの有名な「白夜」につながる大激戦、ウォールマリア奪還作戦時の戦況をおさらいします。
ウォールマリアの壁を境に南北で二手に戦場は分かれます。南側のシガンシナ区内はエレン・ミカサ・アルミン・104期やハンジたち、北側壁内はエルヴィン団長・リヴァイ兵長・新兵たち(プラスお馬さん)、前者は超大型巨人と鎧の巨人の登場で大爆発の大火事状態、後者は獣の巨人の投石地獄+突如現れた無垢の巨人包囲網に取り囲まれ(投石により、ベテラン勢全滅)、壁を挟んで両グループとも人類勢は逃げ道なし、打つ手なし、という絶望的状況でした。
普通に考えて、リヴァイの言うように、この戦況から生きて帰れる人間はほぼゼロでした。考えられる唯一の手段としては、エレン巨人にほんの数人が乗ってその場を逃げ切る(その他人間が囮となること必須)、それが精一杯。あの状況であのまま何もしなければほぼ全員生きて帰れなかった、苦肉のこのリヴァイ案でも99.9パーセントの人間は死んでいたのです。
以上が当時の戦況の大前提です。デフォルトはほぼ「全滅」です。その中で、人類最後の希望の灯りであるエルヴィン・スミスは獣の巨人を討ち取る算段を思いつきます。これがまず、すごくないですか。この「完全に詰んだ」状況で、敵から逃げるではなく、まさかの打ち倒すまでの起死回生の策を思いついたのです。
エルヴィンの作戦実行の結果、エルヴィン含め99.9パーセントの兵士は命を落としましたが、リヴァイ兵長が獣を見事討ち取ります(正確には討ち”取る”まではいってないけれど)。これはあの絶望的な状況を考えると、とんでもなく素晴らしい成果です。何の戦果もなく大敗北の中で死んでいくはずだった兵士達に、獣を討ち取ったという「意味」を与えたのは他ならぬエルヴィン団長の天才的な名案のおかげでした。しかも彼は(自分だけ生き残るといった卑怯な真似はせず)最後まで誇り高く兵士を鼓舞し、先陣をきって石の砲弾に倒れたのでした。
なので、ようやくここで私の最初の疑問に戻ります。なぜエルヴィンを、フロックは「悪魔」呼ばわりするのか、この理由がいまひとつ理解できず、長い間じんわり(?)と謎でした。
無情な突撃作戦を命令したのがエルヴィンだったから?普通に考えればそうだと思います(最初私もそう思っていました)。でも、よくよく考えてみてください。あの逃げ道を絶たれた最悪の状況で、どのみち全員が死んでいたのです。その状況下でたとえ彼らの命を引き換えにしたとしても、戦果をもぎ取ることが出来たのはエルヴィンのおかげです。むしろ、彼らから感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないのではないでしょうか?まして彼らは新兵とはいえ、人類に「心臓を捧げ」ることを誓い自ら戦場に赴いた兵士たちです。普通の若者達が突然無理やり召集され「特攻」に駆り出されているわけではないのです。
理由を分析するため、話を進めます。エルヴィン作戦の慧眼は以下です。
平地のど真ん中に鎮座して石を投げまくってくる知性巨人・獣の巨人、こいつがまず人類側には大問題でした。獣の周りにはアンカーとなる立体物がない、つまり立体機動装置が使えない、人類側の最強兵士であるリヴァイというカードが十分に機能しないのです。いくら人類最強の兵士とはいえ、立体機動装置無しで巨人と戦うことはまず不可能です。だからこそ、リヴァイ自身も、あの時点で「敗走」の覚悟しているのです。
ここでエルヴィンは素晴らしい機転を働かせました。なんと獣の横にずらっと並ぶ無垢の巨人を逆にアンカーとして利用し、立体機動装置をフルに使ったリヴァイに獣を背後から奇襲させる。この作戦を知った時は「おおおおお!!!その手があったかああ!!!」となりました、私は。人類の退路を断つためにズラーーーーッっとうざいくらいに横並んでいる無垢のおじさん巨人たちの包囲網を、逆に利用することを思いつくとは!さすが人類の希望、エルヴィン・スミス!!!!
でもそのリヴァイの奇襲作戦には兵士たちの「特攻」という表向き絶望的な囮が必要でした。そして、背筋が凍るのはこの後の考察以降です。
よくよく考えてみますと、エルヴィンは上記の作戦の骨子を、特攻する新兵達には伝えていないのです。このあたり、漫画でもアニメでも微妙な描かれ方ではあるのですが、あらためて読む(観る)とわかります。この作戦のキモである無垢巨人を利用して奇襲するくだりは新兵への最後の演説中では触れられておらず、エルヴィンとリヴァイの二人の会話の中「だけ」で語られているんですね。新兵たちにはただ、「我々が囮となる間にリヴァイ兵長が獣の巨人を討ち取る!!以上が作戦だ!!」・・・・おしまい!・・・、、兵士たちからすれば、ええええっっ、、、!!!????だったと思います。気の毒です。
エルヴィン団長から突撃作戦(作戦?)を命じられた新兵達は、これは「無意味な特攻」である、と心の底から絶望します。リヴァイ兵長の攻撃のために自分たちが囮になる、でも実際のところ、獣の周りは更地だし立体機動が使えない、敵に近づくことすらできない。ここに突っ立ったまま岩に打たれて死ぬくらいなら、最後は兵士らしく突撃して死ねということか・・完全にやけくそじゃないか(兵士たちの心の叫び)
それでも「前に進め」とエルヴィンは兵士たちを鼓舞します。この作戦は全くの無意味だ、しかし次の生者に意味を託す!!!! 当然ながら、その先なんて兵士たちは誰一人、信じていないわけです。
実はエルヴィンはこの作戦を思いついた時に、一条の勝機はもっていました。本人も認めているようにかなりの大博打ではありましたが、これはいわゆる絶望的な(やけくその)特攻ではなく、非常に冷徹なストラテジーに裏付けられた「賭け」でした。そして何よりもエルヴィンはリヴァイの実力に信をおいており、だからこそ、自分の唯一の望みを彼に託し、子供の頃からの夢を諦められたのです。
ではなぜここでエルヴィンは、新兵達に、彼らの犠牲の先にある希望の光を示さなかったのか?「あの若者たちに死んでくれと・・・、一流の詐欺師のように体のいい方便を並べる」と、最終作戦の演説に向かう前、エルヴィンはリヴァイに告げていました。ですが実際のところエルヴィンの最終演説には、一欠片のヒロイズムも夢も希望もありませんでした。
「一流の詐欺師」ならば、もっと気持ちよく新兵達を死に向かわせるべきではなかったのか。せめて少しでも、「未来への物語」を信じさせてあげていれば、彼らの死はあそこまで悲惨なものにはならなかったはずです。
さて、エルスミよ、何故なのだ。
結論をいいます。この人類の命運をかけた作戦には、リヴァイの卓越した戦闘能力だけでなく、囮となる新兵達の「絶望」が必要不可欠だったからです。
哀れな人類の哀れな捨て身の「特攻」、本人達もそう思っているので、獣の巨人であるジークも完全にそう信じ込みます(「しまいには壁の中の奴ら全員年寄りから子供まで特攻させるんだろうな・・」)。それだけ、新兵たちの表情には絶望の一色しかなかった(特に原作の諌山画に注目)。ここでもし、リヴァイが立体機動で巨人をつたっていくというこの奇襲作戦のキモを新兵たちが知っていたらどうなっていたでしょうか。そちらの方角を死に際にチラ見してしまう兵士がいてもおかしくありません。また、あれほど兵士たちの表情にリアルな絶望の色がなければ、ジークは他所からの奇襲をより警戒したかもしれません。作戦の成功率が格段に落ちるのです。
この作戦を確実に成功に導くには、囮となる新兵達に余計な情報は与えられるべきではなく、死を前にした彼らから希望は根こそぎ奪われている必要があったのです。エルヴィンは美辞麗句を並べて彼らの死を英雄化できる立場にあった、でも “あえて”しなかったのです。
元の議論に戻ります。まとめです。 エルヴィンは、なぜフロックに「悪魔」と呼ばれたのか。これまで見てきたように、あの場でエルヴィンが無策であろうとなかろうと、ほぼ全員の死亡は確定していました。あとは正直、死に方選びだけでした。無垢巨人に喰い殺されるか、爆風と熱波で死ぬか、獣の投石で死ぬか・・。だから単純に、新兵達に捨て身の突撃を命じたからエルヴィンはフロックから恨まれたのではありません(実のところ、当のフロック自身もきちんと理解しきれているかは分かりません)。エルヴィン・スミスの真の恐ろしさは、作戦の成功(=人類の勝利)のためであれば、 新兵ひとりひとりを絶望の闇の中で絶命させることを厭わない、その人間離れした状況判断の速さと冷徹な実行力にあります。 彼が「悪魔」と呼ばれたところの本当の意味は、その一点にあったと私は思います。そしてエルヴィン・スミスがなぜ人類の希望たりえたかの理由も、まさにそこなのだろうなと。
長くなりましたが、最後に。
自己犠牲の精神で調査兵団に入団した新兵のマルロが、特攻の最後に思い出したのは、同期のヒッチという女の子のよだれたらした寝顔なんですよね。「あいつはまだ寝てるか・・・いいな」、と。人が最後に想うのは、自己犠牲とか人類の勝利とか栄光とかそんな大層なものじゃなく、本当に個人的で具体的なくだらない小さな日常なんです。 兵士たちが最期に見た景色は、「無意味」なものだったのでしょうか。
体が岩で砕かれる残酷さと人間の弱さ、何とない日常の美しさと儚さ。これが『進撃の巨人』なんだなと、思います。(2021年6月8日記)