種子、咲く場所を探して

maiyaは自己肯定感が低すぎます。もっと自分を好きになりなさい。でないと、他人を好きになれないよ。と、高校時代の恩師に言われたことがある。16歳の時だったと思う。とても重い命題だな、とずしんとした錘を自分の中に抱えた気分だった。

自分のことを、好きになる? 自分を俯瞰するもう一人の自分が常に私をチェックして、厳しく足りない、至らない、と告げているのに? 求められた期待に応えることが、存在意義なんじゃないの? と思っていた。でもそれには限界があるのだと、歳を重ねてゆっくり少しずつ分かるようになって、恩師の言葉が清々しく再現前化する。こんなにも継ぎはぎだらけだけど、自分を肯定して、私は一体何が好きで何が嫌いなのだろうかと、徐々に本当の自分を知る道程にいるのだ。

「誰かを好きになるということは、その人のぜんぶを好きになるということだと思う」と、昔高校時代の先輩と話していて発言したことがある。
「それってつまりどういうこと?」と重ねて問われたので、こんなふうに答えたと思う。記憶はよく再構成されて嘘をつくので、正確じゃないかもしれないけど。

「目の前のその人の姿に囚われず、文字通り全部ということ。過去にどんな人と出会ってどんな経験をしてきたのか。それは決して楽しいものばかりじゃなかったと思うけれど、苦い経験も含めて今のその人の感性や考え方があると思うし、その考え方はこれから先も変わっていく可能性を持つ。これから誰に出会うか、どんな世界を見るのかは分からないのだから。その人は、その人個人で成り立っているわけではないから、その人が大切にしているほかの人も含めて、大事にしなければならないのだと思う。それが、好きになるということ。」と。

言えていても、その言葉が意味を持つためにはそれが成されなければならないのだが、悲しいかな、まだ私は私の定義の「好き」を獲得しきれてはいないのだ。

今回、また愛をテーマに書こうと思ったのは、ある人との会話がきっかけだ。様々な作品から自分のアンテナでキャッチした愛に関する言葉は数多あるが、彼の人を思い浮かべながら、引用するのはこの曲の歌詞がいいかもしれないと思った。

“The Rose”

Some say love, it is a river
that drowns the tender reed.
Some say love, it is a razor
that leaves your soul to bleed.
Some say love, it is a hunger,
an endless aching need.
I say love, it is a flower,
and you its only seed.

It’s the heart afraid of breaking
that never learns to dance.
It’s the dream afraid of waking
that never takes the chance.
It’s the one who won’t be taken,
who cannot seem to give,
and the soul afraid of dyin’
that never learns to live.

When the night has been too lonely
and the road has been to long,
and you think that love is only
for the lucky and the strong,
just remember in the winter
far beneath the bitter snows
lies the seed that with the sun’s love
in the spring becomes the rose.

「おもひでぽろぽろ」のエンディングテーマに使われた、高畑勲の邦訳もなかなかよい。

”愛は花、君はその種子”

やさしさを 押し流す
愛 それは川
魂を 切り裂く
愛 それはナイフ
とめどない 渇きが
愛だと いうけれど
愛は花 生命(いのち)の花
きみは その種子(たね)

挫けるのを 恐れて
踊らない きみのこころ
醒めるのを 恐れて
チャンス逃す きみの夢
奪われるのが 嫌さに
与えない こころ
死ぬのを 恐れて 
生きることが できない

長い夜 ただひとり
遠い道 ただひとり
愛なんて 来やしない
そう おもうときには
思いだしてごらん 冬
雪に 埋もれていても
種子は春 おひさまの
愛で 花ひらく

その人とユートピアの話をしていた時、私は、それはむしろディストピア願望では? と答えていた。他人や世界の幸せを追求するあなたの描く世界に、あなた自身がいない、と感じたから。理想の世界のために、自分は死んでもいい、とでもいうような。それは私にはとても悲しい光景に思えた。まるで凍てつく雪原で冷たい風が頬を刺すようだ。あなたはもしかすると、そこにぽつんとひとりっきりでいるのではないか。
私の暮らす場所は春なので、残念ながらそこへは行けない。でももし、あなたが私を訪ねるならば、本当の理想郷の実現のために、惜しみない賛辞と、ささやかで稚拙な花を差し上げようと思う。

「不出来な私の過去のように 下手ですが精一ぱい 心をこめて描きました。」とは、石垣りんの詩の一節だが、今の私の心境にもぴったり重なる気がする。

不出来な私の過去のように、下手ですが精一杯、心を込めて書きました。

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