京都「やめました」のおみせ
参加しているオンラインサロンに名物ランニング部がある。
オンラインサロンだけどオフ会をしたりマラソン大会に参加したりとみんなで楽しく活動している。
去年、クラブ本体PLANETS刊行の雑誌『モノノメ』2号が発売となりその中の記事『観光しない京都』にかけて始まった京都オフ会が今年も5月に開催された。
全国の有志で京都の街を走り、歩き、観光だけでは無い京都の楽しみ方を共有する。走ったあとはランチで交流する。関西メンバーのオフ会を兼ねたイベントの2回目だ。
去年の楽しさがクラブのみんなに伝わったのか前回を上回る参加者で、去年のシェアハウスだけでは宿泊者をまかないきれず急遽去年にはなかった近所のシェアハウスも手配することとなった。
人数が増えたことで新しいシェアハウスは女子寮ということとなり、女性メンバーはぞろぞろと連れ立って拠点である『京宿おから』から移動する。シェアハウス『陣』までその道中わずか1分の道のりに気になる貼り紙があった。それはかつてタバコ屋を営んでいた事が分かる店構え。廃業し何年かが経過しているのだろう。あちこち壊れ朽ちかけていた。辞めてそれほどの時が経っている訳でもなさそうだ。自動販売機はそのままその頃まであった銘柄のタバコが並んで張り紙には「やめました」とだけ書いてあった。そのセンスに最初は吹き出した。それでもその「やめました」に全てが物語られている気がした。
「販売していません」でも。
「販売中止」でもなく、「やめました」がなんだか滑稽で物悲しい。
もう売られてないのにお金を入れる人がたくさんいて苦情がきたのかな?といろいろ想像をかき立てられる。
店構えをみているといかにも昭和のタバコ屋さんといった風情で、消えゆく昭和を地で行く佇まいだった。妙に気になって写真を撮った。
陣から再びおからに戻って前夜祭が始まった。宴もたけなわ、盛り上がってきた頃、何故か数名連れ立って夜がメインのパフェのお店に出かけよう、ということになった。時間がかかるという京都在住メンバーの言うこともきかず、軽い気持ちで歩き始めた一行は20分歩いてもたどり着かないパフェのお店にタクシーを使わなかった後悔が全員に漂っていた。それでも珍しい店をさしてこれはどうの、あれはどうのとワイワイしながら気を紛らせて歩き続ける。
ようやく着いたお店はちょっとした行列が出来ていた。ちょっと怯んだけれどもここで踵を返すのも、と並んで待つこと10分、直ぐに席を確保出来た。
すぐ座れたけれどもパフェはなかなかで、ヤキモキしながら私たちのパフェを待った。
それぞれのパフェを堪能し帰りはタクシーを迷わず選択あっという間におから近くまで着いた。歩きはじめ大通りから住宅街に入る。何気ない通りだ。歩いていると角の古い建物が空き家になっていた。夜の明かりでもガラス戸の向こうはゴミが山積みとなっているのがわかる。そんな家が点々とあった。かと思えば綺麗にリノベされた古民家にも突き当たる。昭和の建物が現役だったり、リノベが済んだ今どきの建物があったり、空き家になりたて、空き家のベテランそれらがごっちゃになって並んでたっている。
これが京都か。
そんなふうに感じ入りながら仲間たちのいるおからに戻った。
次の日、イベント本番スタート地点本願寺からランとウォークで一同元気に出発した。
昨夜は緊張で眠れず、歩き切ることが出来るか不安だったけれど歩きながら話しながらのウォークは楽しくてずんずんと歩くことが出来た。
道すがらたくさんの普通の建物を何となく気になって観察した。昭和レトロの建物がたくさんあった。
私の子供のころの建物だ。
無駄に円形のアーチを描く玄関や窓枠のコンクリートの丸み。タイル張りの外観、窓ガラスの模様も独特で今ではあまり見かけない。私は結構昭和の建物の風情が好きで、街で見かけると観察している。
昨日のタバコ屋もそうだけど、昭和によくあったセンスの美容室や飲食店の造りは今では少し凝りすぎて派手なのかもしれない。それが今ではレトロと呼ばれ味わいと言われているのだ。
暑さが堪えて来た頃、ウオーク組は涼しいゾーンに入った。
涼しい木陰はオアシスだった。
しばらく歩くと体力も回復し、ここをぬけると休憩所まであと少し、遅れる女性陣を何度も振り返って心配してくれるメンバーがはぐれないよう見守ってくれるのが遠くにみえる。何度も何度も振り返ってこちらを心配そうにみている。優しい。
休憩は食いしん坊のたくさんいるクラブの面々のためにウォークリーダーがセッティングしたみたらし団子発祥とされるお店で。ここはやはりみたらし団子でしょう。タレがたっぷり団子を堪能した。
発祥の地ということは長いことここで営業しているのだ。生き残ったということなのだろう。
幹事は早めにランチのお店に入ることとなったので団子の店を後にして足早に京都の道を駆け抜ける。
幹事メンバーふたりで話しながら住宅街を歩いていく。ここの周辺はそこまで空き家もなく現役の建物ばかりだった。
庭の手入れも行き届いて薔薇や名前の分からない綺麗な庭木を横目に足早に地下鉄をめざした。
京都には時間経過が千年単位の建物がたくさんある。秤にかけてみれば失われてしまうのはたかだか数十年の昭和の意匠が壊される対象になるのかもしれない。保護する、という訳にもいかない。
新築が好まれる。というのもあるのだろう。わが田舎では新築のために山が潰されているのに空き家がガンガン増える状態で、ピカピカの新築群のエリアと旧住宅街ではくっきりと明暗が別れている。
京都のように保護される所もないし、景観なんてお構い無し。昭和どころか明治の由緒ある建物でも惜しまれながら解体されるお金のない自治体なので、仕方がないのかもしれない。凝った意匠の建物も移築という選択肢さえないのだ。
由緒もない普通の建物は売れることは稀で更地にも出来ず放置という選択肢を取られてしまう。古い住宅街の空き家が増えることによって獣害も増えていてイタチやテンが山を追われて縄張りの空き家や、住宅を住処にして管理する如く見回って巣作りするそうだ。侵食されるのは人間の住処ということか。
京都はまだリノベという道が残されているかもしれないが、田舎にはどんな道があるだろう。こうやって廃業が増え、空き家ばかりになってしまう現実には。
廃業や空き家を見つけると肌感で今までのようには行かないのだぞ。と突きつけられているような気がして、寂しいけれど止めようもない。
何となくあのタバコ屋さんが「やめました」と張り紙する気持ちが分かる気がした。もうやめたくなっちゃうよね。いろんなことを、なんだか。
せめて行けるうちに大好きな店やっているお店に通うくらいのことかもしれない。
来年、京都に来たらどんな様子になっているだろう。観光客が戻ってきてオーバーツーリズムの中「やめました」のお店は残っているだろうか。
それを楽しみにするのもまた一興か。そしてちょっとしたこんな感傷も共有出来そうな仲間との逢瀬も来年までお預けだ。
京都オフ会はずっと楽しいまま閉会し、来年の再会を約束してそれぞれの地へとみんな帰って行った。
それでは京都、また来年に。