熱を出したときのこと
子どもの発熱は親にとって代わってあげたいことの最たるもの。
真っ赤な顔してふうふう荒い息をして苦しそうな我が子は胸を締め付けられる。
長男はすぐ熱を出し9度まであがる。
熱を出すと寝られない子で、叫んでごろごろして立ったり歩き回ったりで、ちっとも良くならない。
幻覚をみるタイプなので、寝ていてもいつもうなされる。
ひとときも目が離せない。
小さい時は抱っこでも熱で苦しい為に暴れ、大変だった。ぐったりするまで身体を休めないのだ。その結果、なかなか良くならない。
高熱を出すと3日はかかる。
インフルエンザが猛威を奮った年は、高熱が続き不安になって解熱剤を何度も投与した。
後になって脳症を起こす可能性のある解熱剤ということで問題になった。
私はものごく後悔をし、影響が出なかった幸運に感謝した。たまたま薬が体質にあっただけで紙一重だ。実際脳症でなくなっているお子さんもたくさんいた。
医療というものは残酷で、犠牲が出てから一斉に何かが進む。
中学高校時代はタミフル騒動があり、騒動後は服用は見合わせてように思う。元々幻覚をみてしまうので心配だった。うなされて、反抗期真っ盛りの中学性だったが私の手を離さず、無意識化では反抗期もクソもない。不安だったのだろう。
タミフル処方後、誤って階下へ飛び降りた高校生のニュースでお気の毒にと思う気持ちと、恐れる気持ちを持たない親はいないだろう。
我が子が無事であるのは、たくさんの幸運の上に成り立っている。
妹の方は丈夫で滅多に熱は出さなかった。
それでも人生最初の高熱はインフルエンザで一歳になるかならないかの赤ちゃんの時だった。
当然、付きっきり。
抱っこから下ろすと泣くので、その日は一日中抱っこしていた。私に触れていれば良かったのであぐらをかいてそこにのせて熱い身体をずっと抱えていた。
それ以降は熱を出してもコンコンと寝ている。
そのため回復は早い。
だからと言っても可哀想で、ほんとに子どもは元気だったらそれでいいのだ。
子どもの病は本当に心が塞がれる。
我が子が生きてきた時間だけでも、医療は変わり続けた。
コロナ時代の医療は恐るべき蓄積で、後々たくさんの人を助けるだろう。
ただ生き残るために出来ることをやるのみだ。
今、我が子は二人とも親元を離れ、成人している。
自分が一人暮らしの時、風邪をひいて熱を出した。心細くて、食事もままならず大変だったことを思うと、わが子もだけれど、コロナでたくさんの若い人たちが孤独で、恐ろしい不安と戦っているのかと思うと、やりきれない。大変な試練に気の毒に思う。
ましてや我が子が、誰の手助けもうけられず、孤独に病と戦うこととなったら、と想像するだけで気が狂いそうだ。
そばにいてできるだけのことをしてやりたい。
車を走らせ飛んで行くんだ。
そうならないことを祈るしかない。
今は戦時下と同じだ、と言う人もいる。
どんな時代でも子どもを優先する社会になって欲しい。
なぜ、若者がこんな目に合うのか、なぜ我が子達が危険に晒されなければならないのか。
親は祈るしか出来ない。
少しでも若者を優先する社会になるよう考え行動すること、そのためにちゃんと学び、変わり続けなければならない。後からくる人の為に。
強いものが生き残るのではない、変わり続けるものが生き残るのだ。
わが子だけが生き残れば良い訳ではない。そんな社会はリスクがこれからも増え続ける。
互助が当たり前の社会であれば我が子が生き残るチャンスが増えていく。
我が子たちが末永く幸福であるようにそんな社会となっていること、それだけが望みだ。
儚い夢物語にはしたくない、自分勝手な大人たちの阿鼻叫喚のなかで、そう力なく思うのだ。
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