
ケープタウン・ナミブ砂漠旅⑥ナミブ砂漠ツアー2日目/憧れの場所デッドフレイ
【今回の旅程/2024年9月】準備編はこちらを見てね!
Day1・2 KIX→(SIN→JNB)→CPT(ウォーターフロント観光)→WDH
Day3 ナミブ砂漠ツアー1日目/前半・後半
Day4 ナミブ砂漠ツアー2日目/前半★・後半
Day5 ナミブ砂漠ツアー3日目
Day6 WDH→CPT(ライオンズヘッド)
Day7 喜望峰ツアー
Day8 ヘルマナスくじらツアー
Day9・10 CPT→(JNB→SIN→)KIX
サンライズを見に行く
テントの朝は早い。真っ暗なうちから周囲のゴソゴソとする音やファスナーが開く音が直撃するため目覚まし要らずとも言える。
昨晩の恐怖体験で寝不足気味の私であるが、今からサンライズを見に行くのだからいつまでも寝ぼけ眼ではいられない。気合いを入れて洗面に向かったところ、真夜中のテント開け第一容疑者である大学生たちと早速出くわしたのである。
ここで会ったが百年目、「おはよー、よく眠れた?」と水を向けたところ、「ハイ、朝までぐっすりです!」などと二人ともキラキラした笑顔で答えるではないか。な、なんだと…君らが犯人ではなかったのか。ならいったいあれは誰の仕業…?動物だったの…?
結局この件はこのまま迷宮入りとなるのだが、ただひとつ言うべきことは、大学生たちよ、疑ってごめん。
5:50に出発すると、すでにキャンプサイトのゲート前には10台以上の車が列をなしていた。6時きっかりにゲートがオープンし、みな一直線に暗闇のなかを進んでいく。それぞれ砂漠のサンライズを求めているのであろう。
我々のようなツアーのバンや小型バス以外は個人旅行者のレンタカーと思われるが、そのほぼ全てがトヨタの四駆である。さすが世界のTOYOTAだ、と少し誇らしい気持ちになるのだが、一方、昼間にこのような車列を見た際のこと、砂漠を背景にでかい四駆が何台も連なり土煙をあげる様子というのは、その昔日本中を震撼させ恐怖のどん底に突き落としたISを思い出させ、とても心臓がドキドキしたのであった。思いがけないトラウマに気づいてしまったのである。
バッドボーイジョニー
さて、きのうからうすうす感じてはいたが、ガイドのジョニー氏の運転はとてもマナーが悪い。誰も頼んでないのに何をそんなに急ぐことがあるのだと言いたくなるほど、ひたすら目の前の車を一台一台抜かしていくのだが、その態様が悪質極まりない。ぴったりと車間をつめ、オラはよ行かんかいと言わんばかりにゆらゆらする、いわばあおり運転のお手本のようなことをして、パッシングまでかますという悲惨さなのである。恋人がこんな運転したら百年の恋も一瞬で覚めるバカ運転っぷりである。一歩間違えれば大事故だ。
当然、あおられた側は怒り狂ってクラクションならしまくったり、窓を開けてブチギレ文句をぶつけてくる。ああ、私たちもイタイあおり仲間と思われているのだろうかと恥ずかしく、ずっと右を向いて他人のふりを決めこむしかなかった(ナミビアも日本と同じ左側通行だよ)。ちょうど右側にはまだ沈まぬ大きな月がぽっかり浮かんでいて、とにかくその月を見つめながら心頭滅却モードに入りなんとか心を落ち着けていたのである。
そのうち狂気のジョニー号はなんとついに先頭に躍り出たようで、目的地であるデューン45という名の砂丘には我々が一番乗りであった。デューン45とは、キャンプサイトのある砂漠の入り口地域の地点から45キロの距離かつ45番目の砂丘ということらしい。つまり我々は朝から45キロもの恐怖ドライブを耐えたわけだ。
ジョニー氏は満足気である。

誰もいないデューン45を、大学生たちが一目散にかけのぼっていく。自分達だけの映え写真をとりまくりたいのだろう。どうぞお行きなさい。続いて中年ズももくもくとのぼっていく。私といえばきのうの教訓から本日は靴下なしで来たので、時折直に触れる砂はひんやりと冷たいのを感じる。
砂丘は今日も滑らかだ。人間の足跡のない表面には、虫の移動跡が美しく模様のように広がっている。
日が昇るにつれ砂肌が赤く赤くなってきた。砂漠も目覚めたかのように温度を持ち出す。まさに刻一刻と表情が変わっていくのである。やはり生き物のようだ。なんて美しいのだろう。いつまでも過ごせそうだ。




たっぷりと砂漠時間を堪能でき、もう大変満足である。
みな少し頬が紅潮して惚けたような顔で下ってくる。先ほどまでの幸せタイムを反芻しながらジョニー氏が準備してくれた朝ごはんを食べた。
憧れの地へ
さて、次に向かうのはこのツアーの(私にとって)いちばんのハイライトであり憧れの場所、デッドフレイである。赤い砂漠を背景に立ち枯れの木がポツポツと並ぶ、ナミブ砂漠といえば、の場所だ。
デッドフレイまでは、車を乗り換えて専用車でのアクセスとなる。そして、この駐車場でジョニー氏より、ひとり2リットルの水を持参するようアドバイスがあった。
…なんということだ。きのう水は5リットル×2の10リットル分も買い込んで売るほどあるってのに、私は2リットルのボトルを持っていないのだ。大いなるバカである。手元には機内で配られた300ミリぐらいのミニボトルしかない。どうする。
もったいないが5リットルボトルの中身をここで少し捨てて、2リットル分ぐらいを持ち運ぶか。いや、持ち運ぶにはボトル自体がでかすぎるぞ。一目でバカがばれてしまう。
そんな弱った場面で手を差しのべてくれたのは大学生ズであった。
私たち、自分達のボトルがあるのでこの2リットル持って行ってくれていいですよ、と申し出てくれたのだ。なんと良くできたお嬢さんたちだ。昨晩いわれのない罪の容疑をかけてほんとごめん(再)。
若者よありがとう、日本の将来は明るい。丁寧にお礼を言って、お言葉に甘えることとした。改めて日焼け止めも塗り直し、いざ出発である。
やたらとびょんびょん跳ねる窓なし四駆にて砂漠の上をアトラクション並みのドライブで15分、デッドフレイの入り口に到着した。
デッドフレイの隣にはビッグダディと呼ばれるナミブ砂漠でいちばん高い砂丘があり、そのルートでデッドフレイを目指すと一時間半コースとのことである。真ん中ルートは60分、いちばんの近道は30分だが、さあどのルートで行くかとジョニー氏に問われ、30分コースにサッと手を上げたのは私だけではなかった。
時間の止まった場所デッドフレイ
いちばんの近道コースは平坦であるし、おそらく30分もかからなかったと思うが、目の前にデッドフレイの盆地が見えたときには心から感動した。赤い砂丘に囲まれた白い盆地に、900年前に立ち枯れた木がポツリポツリと立っている。
ずっと来たかった場所なのだ。憧れの場所が今まさに目の前にあるんだなあ、日本からはるか遠く、ナミビアの砂漠のさらに奥まで無事に来られたんだなあ、となんだかしみじみありがたく思った。





思い入れが強すぎたり、その場所の写真などを事前に見すぎている場合、実際にその景色を見たときには「ですね」という以外の感想が出てこない、単なる答え合わせになってしまうことがあるが、デッドフレイは違った。写真では伝わらないスケールというか、歴史や静寂、地球の不思議から果ては自分の存在にまで思いを馳せたくなる光景であった。あの場に立ってこそ、ここはまるで時間が止まっていると感じ、それだけでもここに来てよかったと思えたのだ。
なにをそんな、大袈裟に過ぎるとお思いになるかもしれないが、まさに私はそう感じ、この場所に立てたことに感謝した。
他にはない景色である。
デッドフレイでは、日が昇る時に砂丘が影を落とすことで、赤い砂をバックにより木々の陰影がハッキリする写真がとれるとして、ガイドブックなどでは日の出直後の訪問をオススメしている。私もできれば日が昇りきる前に行ければと期待していたので、到着した時点で完全に影がないのを感じたときはそういう場面を見逃したという点でちょっぴり残念に思ったが、そんなことどうでもいいと思えるほど十分素晴らしい時間を過ごすことができた。
自然の中の人間
なお、デッドフレイでは車両の乗降場所や入り口に看板があり、絶対に木には触るなとしつこいくらいの注意がなされている。ジョニー氏からも、次の世代に繋ぐのが我々の責任だ、だから絶対に木には触らないでと何度も言われた。900年前の立ち枯れた木なんて、それがいかに脆いものか少し考えればわかるはずだ。
しかし、悲しいがそれでも触る者はいるのだ。根に上り、幹に抱きつき、枝に手をかけ、それがいったい何のためかというと、写真撮影なのである。自分の写真を額に入れて飾りたいのか、いいねが欲しいのか知らんが、そのために一線を越えてしまうとはなんともゾッとしてしまう光景だ。
おそらくそう遠くない未来にそれぞれの木の周りに柵が立つことになるだろう。または立ち入り自体が禁止になる日が来るかもしれない。
(自分も含め)人間ってのはまったく…と落ち込む場面であった。