2024年7月ジャワ旅⑤ピンドゥル洞窟
ジョグジャカルタ3日目・後半
流れ流され川下り
お昼ごはんに続くまったり休憩後、ガイドのアウグス氏に促され本日の洞窟その②ピンドゥル洞窟へ向かう。ジョンブラン洞窟ですでに確かな達成感は得たのだが、ツアーメニュー的にはまだ1/3の消化である。
ちょっとしたテーマパーク風の楽しげな入り口の前にはでっかい浮き輪(チューブ)が山積みである。地元の人もたくさん訪れているようだ。この辺りの一大レジャースポットなのだろう。

ここで濡れてもいい服装に着替え(山に行くはずだったので水着なんて持ってきてないよ)、ガイドと他のメンバーとごあいさつ。さっきの洞窟その①でも見かけていた韓国人のそっくり母娘である。こちらがアンニョンハセヨー!とあいさつすれば、コンニチワー!と返してくれるノリの良さで和気あいあいとスタート。一人ひとりチューブとライフジャケットが与えられ、軽トラの荷台に乗り込んで出発だ。
川岸からエントリーしてチューブに乗っかり洞窟の中へ。水は冷たく大変に気持ちよい。しかし、わくわくしたのは入っていくときだけで、洞窟の中は暗くてコウモリだらけで実際大変キモかった。ガイドがライトで天井を照らすと、ビッチリ張り付く小型のコウモリたちが頭上で羽をパタパタやってるのがハッキリと見え、とたんにコウモリのフン~あらゆる病原体の宿主~感染症といった負のワードが頭の中に出現。コウモリ…確かコロナの発生原因疑いのひとつにあげられていたよな…。い、今すぐここからでなければ。見上げる顔にフンが落ちてきでもしたら一貫の終わりだ。1分1秒でもはやく!外へ!という考えにとらわれ、ずっとうつむき加減でやり過ごして脱出。ああ、全然楽しくなかった。
内心ほうほうの体で洞窟の川から上がり、再び軽トラの荷台で別のポイントへ移動する。その途中では、先のジョンブラン洞窟で一緒だった、ミーでもナシでもない食事を求める夫とその妻、イタリア人風家族と合流。
田んぼを通り抜け別の川へ。ここには不気味なものはなにもない。空がひらけている。

真っ青な空の下、肥沃な緑色の水にプカプカ流される、ただそれだけなのに、なんと気持ちのいいことか。人工物はほとんど見えず、聞こえてくるのは水と風の音、鳥の声ぐらい。
途中の飛び込みポイントでは西洋人若者グループがびょんびょん飛び込んでいたが、全体的に年嵩の我がグループからはイタリアキッズとその父だけが挑戦して静かに盛り上がっていた。ガイドも我々にはトライしたいかと聞いてもこなかった。
ところで、このツアーの旅程表には、やんわりと当地ではビキニなんかは刺激強いからよーく考えてそれなりの格好をするように的なことが書かれていたが、西洋人はお構い無しにビキニである。日系のツアー会社だからそこまで触れるのか、西洋人はそういう注意書きがあったとしても聞く耳もたねえのか。おそらくどちらも、なのであろう。
飛び込みするほど若くはないが水に入るのは好きなので、途中でえいっとチューブから川にダイブしてみる。ああ、気持ちいい~。快適快適。
しかしそれは最初の10分ほどであった。ライフジャケットがバカ浮力でずり上がりずっと首と脇を圧迫して、泳ぐにもチューブにつかまって立ち泳ぎするにも、苦しくて仕方ないのだ。ライフジャケットは本来の役割を立派に果たしているだけなのに、自由に潜ったり泳いだりできないことへの恨めしさが募り、この忌々しいライフジャケットめ!と脱ぎ捨てたくなるが、そういうわけにもいかない。
どうしようもないので観念して仰向けになり、川の流れのままにゆらり流されてみるが、日焼け即シミ行きのお年頃なので太陽ご対面タイムが続くのはつらい。つらいのでもうチューブの上に戻りたいと思っても、流れながらチューブにはい上がるのはまずムリである。こうして悩みもがいているうちに足までつって、大変苦しかったのだ。

もがく私をよそに、そのうち韓国人の娘だけでなく、その母も川の中にドボーン!と入り、二人でキャーキャー笑いあっている光景は、なんだかとてもよかった。お母様のお年頃はおそらく50代後半、黄緑色のネイルに腕には黄金に輝くブレスレットをして裕福そうな身なりであるが、構わずインドネシアの片田舎の川に飛び込む心意気もあるのがステキである。
しかしこのチュービングは思った以上に長くて、次のカーブを曲がればゴールがあるはず…ない…次こそ…なかった…次…はよゴールあれよ!と思うに至るほどであったので、川に入るタイミングはよく考えていただくのがよろしい。
ロッカー使用をめぐるひと悶着
クタクタで水から上がり、洞窟その②は終了となった。今夜はぐっすり眠れること請け合いの疲労感である。
最初に寄った建物でシャワー(ホース+水)と着替えの帰り支度をするのだが、その利用方法がなかなかクセモノなのである。この個室利用には少額の支払いが必要で、回収係のオバチャンがいれば直接渡せるのだが、不在時にはポストぐらいの大きさの小箱にお金を入れる仕組みのようである。かといって領収書が出てくるわけではもちろんないので、支払い済み者であることが証明される手段はない。
私がチュービング前に着替えに寄った際にもオバチャンが不在で、たぶんこの個室利用にはお金がいるんだろうなあ?と思いつつも小銭の持ち合わせがなかったため、あとでアウグス氏に借りたらいいやとひとまず着替え、出ていったところでオバチャンが駆け寄ってきてカネを払えと詰め寄られたのだ。は、払うってば!いやいやだってさっきはここに誰もいなかったから後払いをしようとですね、、と自己弁護することもできずわーわーインドネシア語で捲し立てられ弱ってしまった。すぐにアウグス氏が助け船を出してくれ事なきを得たが、まるで食い逃げ犯のような扱いをされたことにちょっと傷つくのである。
なので今回はちゃんと小銭を準備して来たし、奥の方で掃除をしているオバチャンに対し、ほれ今からおかね入れまっせと過剰にアピールをかまし、同人のヨシといううなずきを得てから個室に入り着替えをしていたところ、外から「払った、もうさっき払ったってば!」という日本語が聞こえてきたのである。なんという既視感。誰かが二時間ほど前の私と同じ目にあっているのにちがいない。おそらく声の主はタイミング的にミーでもナシでもの嫁さんであろう、お気の毒に…などと同情していたのだが、そのやりとりはだんだんヒートアップしていき、「金払えや!(←インドネシア語なので予想)」「だから払った!」「払ってないやろ!(予想)」「先に箱にいれた!」などとすごい剣幕でのやり取りに発展していったのである。両者一歩も引かずのバチバチだが、ミーでもナシでもの嫁さんのすごいところは、全編日本語で押しきっていたところだ。片言の英語やジェスチャーを交えている気配もなく、とにかく「もう払った!」とガチギレながら述べている。確かにきちんと支払っているにもかかわらず食逃げ犯的扱いを受けるのはつらいよな、その気持ちはとてもよくわかる。が、私の同情なぞなくとも全然負ける様子なしである。
最終的に、我らがガアウグス氏がうまく間に入ってオバチャンも納得したようだったが、なんかスゲーもん見たな、という気持ちにはなった。
ビンタンの丘で
お次は有名な見晴らしスポット「ビンタンの丘」へ行く。夕暮れに間に合うようにと運転は若干飛ばし気味である。
ビンタンの丘では、アウグス氏行きつけの「建物は古いけど一番おいしい店」にて壮大なビューを眺めながら、テンペ(大豆の揚げたの)、バナナフライ、ジンジャーコーヒー(砕いた焼きショウガが入っている)をいただいた。揚げたての揚げ物よりうまいものはない。コーヒー(ホット)との組み合わせには若干疑問が残るが、どちらもおいしかった。何より景色が素晴らしく、遠くの山並みから手前に滑るように平野が広がっており、いくつかの集落が見えるのだが、それは自然の中の人間の営みの俯瞰で、いつまでも飽きなかった。

さて、これにてツアーメニューは終了である。あとはホテルに送ってもらうだけ、なのだが、我々には最後にして最大のミッションがあった。ビールの調達である。