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ケープタウン・ナミブ砂漠旅④ナミブ砂漠ツアー1日目/なかなか遠い


【今回の旅程/2024年9月】準備編はこちらを見てね!
Day1・2 KIX→(SIN→JNB)→CPTウォーターフロント観光→WDH
Day3 ナミブ砂漠ツアー1日目/前半★・後半
Day4 ナミブ砂漠ツアー2日目
Day5 ナミブ砂漠ツアー3日目
Day6 WDH→CPT(ライオンズヘッド)
Day7 喜望峰ツアー
Day8 ヘルマナスくじらツアー
Day9・10 CPT→(JNB→SIN→)KIX



ツアー序章

ツアー出発当日、かなり時間の早い朝食時に日本人男性(仮にA氏)と一緒になったのだが、よくよく話を聞くと同じナミブ砂漠ツアーの参加者であることがわかり、思わず握手した。これは大きな安堵である。少なくともこの先3日間、英語についていけず貝になって存在を消す展開は回避されたのだ。
さらに、その後朝食にやってきた日本人の女の子ふたり連れも同じツアーに参加することが判明。なんとこれで日本人4名だ。全体でもおそらく10名程度のツアーだと思うので、一気に日本人が多数派となったかもしれない。

一夜明けると素敵だった宿の中庭

日本人大集合

準備を整えて迎えを待っていると、陽気なガイド、サイモン氏がピックアップに登場した。すでに別の宿を回ってからこの宿に来てくれたのだが、なんとそのバスに乗っていたのは二人とも日本人男性であった(それぞれ一人参加者)。これで日本人6名だ。どんどん増えていく。
そして次のピックアップがラストだという。ここまできたら、勝手ながら最後のひとりも日本人であってほしい。みんなで、期待を込めつつ冗談半分で、まさか最後も日本人じゃないでしょうね?と尋ねると、サイモン氏はわからないけど、ぽいかも、とその方の名前を読み上げるや完全に日本人のそれだった。このツアー最初のどよめきが起こり、にわかグループに連帯感が生まれた瞬間である。果たしてヒルトンホテルでピックアップされたその方は間違いなく日本人男性であった。
なんということだ。遠く日本から離れたナミビアの砂漠を見に行く現地ツアーの参加者が全員日本人とは!これは喜ばしい。

バックパッカー経験者ならわかっていただけると思うが、やはり国民性の違いというのは如実にある。同胞のひいき目はもちろんあるが、それでも時間や場所を共有するなら日本人が最適であると考える。
日本人の多くはルールを守り、静かで清潔だ。わがままも言わないし、人のものを勝手に食ったりしない。日本人が日本人宿に集まるのは、言葉の問題などもあろうが、本当のところは時間と場所を共有するにあたってのストレスの無さにあるのだと思う。

日本人100%参加者を載せたバスはまずツアー会社のオフィスに立ち寄り、短いブリーフィングがなされた。
陽気なガイドのサイモンはピックアップだけで、ここでお別れだ。

砂漠へ

さていよいよナミブ砂漠を目指し出発である。最終的に出揃った砂漠メンバーは、女子大生2人と中年5人という構成である。

ウィントフック中心部はよくある都会だが、一国の首都とすると少し寂しい気もする。走り始めてまもなくすると郊外に出たが、その郊外も長くは続かず、やせた土地に低木とブッシュが広がる光景となった。道は舗装されていてまっすぐだが、その後ずっとこの景色が続く。

えんえんとこの景色

ガイドのジョニー氏に行き帰りで何か野生動物が見えるかね?と尋ねると、「バブーン(サル)、オリックス、スプリングボックスが多く、時にはキリンも見える」とのことである。こんな車道の脇でほんまに動物が見えるんか?と半信半疑だったが、その後ジョニー氏が挙げた動物のうちキリン以外は見ることができた。
ジョニー氏も協力的で、運転しながら常にキョロキョロ道端に目をやり、ふいにオリックスだ!などと叫んで我々に教えてくれるのだが、その視力と発見レベルが高すぎて、え、どこ?どこ?と探しているうちに通過してしまう、ということも多かった。

ダチョウを見たときは感動した。もちろん動物園などで見たことはあるが、自然の中にポツンと一頭(一羽?一匹?)だけいても、やはり明らかにでかいのである。家の近所でこんなでかいのがヒョコヒョコ歩いてたら、おもろいな。アフリカの人はこのでかいヤツにも慣れっこなのだろうか。庭に入ってきたダチョウをシッシッとかって追い払うのだろうか。

オリックスが!

1時間半ほど走ったところの町のスーパーに立ち寄り、ガイドが3日間の食料を買い物するあいだ、我々は水やビールを調達する。キャンプサイトでも水は売っているそうだが、値段がやはり高いので、ここで買っておく方がいいとのことだ。
水はひとり1日あたり5リットル買うよう言われた。そんなに飲むかいな?と思ったが、今から向かうところはなんといっても砂漠である。素直に従い5リットルボトルをふたつ購入したが、もちろん余った。ひょっとすると聞き間違えたのかも知れないが、今となっては真相はわからない。
ビールは控えめに、種類の違う500缶を4本。地球の歩き方に「ナミビア人はお酒が大好き」と書かれていたが、確かにビールの種類も豊富であった。
ナミビアの通貨はナミビアドルだが、南アフリカランドが等価で利用できるとのことで、ナミビアドルの準備はしていない。実際にランドで支払う段になって、チッよその国のカネで払いやがってここをどこだと思ってんだ、などと思われたらどうしよう、と若干緊張したものの、なんの問題もなく支払いは完了した。
なお、ナミビアドルは南アフリカでは使えないので注意が必要だ。

さて、この町を出てしばらくすると、急に道の舗装がなくなり、THE・オフロードに突入した。スゲー振動である。ジョニー氏がうれしそうにアフリカンマッサージだ!とアフリカンジョークを飛ばしていたが、のちにA氏から「マッサージがどうのといっていたけど、あれどういう意味?」と真顔で聞かれたので、アフリカンジョークは不発だったようだ。
振動もさることながら、土ぼこりが激しい。となりの黒いバッグがみるみる間に白くなっていく。ああ、紙マスクはスーツケースに入れて宿に置いてきてしまった。今ごろ私の鼻の穴は真っ黒であろう。

ものすごい土ぼこりを巻き上げていく

この悪路に制限速度100キロの標識が出ているのもどうかと思うが、カーゴを引っ張るこの車が先程からずっと100キロでぶっ飛ばしているのも狂っている。
この頃になると誰も口を開かなくなり、車内はただただガタガタと車と荷台が揺れる音と、飛び石が四方八方からバッチバチにぶつかってくる音だけとなった。空は青く、道路わきにはパンクしたタイヤの残骸がいくつもあったのが印象的である。

砂漠の中のキャンプサイト

着いた、やっと着いた。
砂漠の中に突然、文明が現れたのである。この「セスリムキャンプサイト」にて、テントで2泊する。砂漠の中のキャンプサイトって、いかにも何もなさそうであるが、実際はとても設備が整っていた。母屋のような大きな建物があり、そこには売店とパブレストランが併設されている(宿泊棟もあるかもしれない)。Wi-Fiだって飛んでいる。ゲストはほぼ白人で、他の人種といえば我々ぐらいのものである。
ポツンポツンと大きな木のあるところがそれぞれテントサイトになっているようだ。日中はその大きな枝が影を落としてくれる。各テントサイトにはソーラーパネルがあり、そこからスマホなどを充電することも可能だ。
あるテントサイト横には自転車がずらりと並び、ツアー会社の大型バンも停められていたので、砂漠を自転車で横断したい冒険野郎が参加するツアーがあるのだろう。

さて、みなで協力してテントを組みたてることになった。二人でひとつのテントを利用するが、私は女子の余り一人なので、ひとテント独占なのである。なんたる幸運。昨日まではきっとでかい白人女子とさして会話も続かず気まずい夜を過ごすのだろう…しかも二晩…と少し憂鬱だったが、今やお気楽極楽である。
苦労して全員のテントを設営後、ランチタイムまで自由時間となった。ランチはジョニー氏が準備してくれるが、暇なので手伝う。私はホットドック用のパン切り係となり、一心不乱にパンに切れ目を入れたはずだったが、のちに女子大生が「なんかさ~パンがさ、全然切れてないの」などと言ってるのを聞いて絶望してしまった。
おいお嬢さんよ…この砂漠の真ん中でパンの切り口の甘いことにいったい全体なんの問題があるというのだい?切れてないなら指突っ込んで裂けや、と思ったが無論口には出していない。自分の仕事の甘さを棚に置くのは私の得意技である。

テントを張ったところ

ランチを食べたあとは、夕方砂丘に出かけるまで再び自由時間となった。私といえば、コソコソと準備してプールに向かう。そう、この砂漠のど真ん中になんとプールがあるというのだから行かない手はない。ツアー案内を読んだときからけっこう楽しみにしていて、日本から水着も持参していたのだ。
テントからプールまではほんの百メートルほどの距離と思うが、歩いているとじりじりと太陽に照らされ、砂漠気候を体で感じる。白人らがプールサイドで寝そべる中、いそいそと入ったプールの水はしかし驚くほど冷たく、かといってプールサイドでのんびりするには日差しがきつすぎて、あまりゆっくり過ごせなかったのは残念であった。


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