「ファンを作ることへの使命感」オリックスの名物職員・花木聡が抱き続ける思い
<トップ写真:©︎2024 MAISHIMA PROJECT>
舞洲に拠点を置くプロスポーツ3チーム、大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セレッソ大阪で働くクラブスタッフへのインタビュー特集企画「舞洲を支える人々」。クラブに関わることとなった経緯やチームへの思い、舞洲にまつわるお話などを伺います。
今回登場するのは、オリックス・バファローズ広報宣伝部プロジェクトマネージャーの花木聡(はなき・さとし)さん。これまで本拠地の球場長を務めたりブログを執筆したりと、顔の見える球団職員としてファンから親しまれてきました。現在はプロジェクトマネージャーとして広報活動やファン対応など多岐にわたる業務を担当しています。長年にわたりオリックスと共に歩んできた花木さんのキャリアを振り返りながら、記憶に残るエピソードや舞洲での思い出について伺いました。
ファームチームのネーミングライツ、番組制作、球場長、ブログ執筆…花木PMの仕事遍歴
ーオリックスに入社されたきっかけを教えてください。
きっかけは公募です。阪急ブレーブスがオリックスに変わって2シーズン目の1990年に応募し入社しました。今ほど転職が当たり前の時代ではありませんでしたが、とくに悩むことはなかったです。スポーツ関係の仕事をやりたかったし、野球オタクでもありましたしね。なるべくしてなった感じです。
ー入社後から現在に至るまで様々な業務を担当されてきたと思いますが、改めて振り返っていただけますか?
最初はチケットを売っていました。当時は球団職員も多くなかったので、シーズンオフになると球団本部の通訳担当も含めてみんなでシーズンシートの営業をしていた記憶があります。僕を含めて全員がセクションにとらわれずいろんな仕事を手伝っていたので、今思うといい経験を積めたのだと思います。
入社2年目は、球団にとって節目の年でした。神戸への本拠地移転やブレーブスからブルーウェーブへの名称変更など、あらゆるものが急速に変化していって、僕個人としても刺激的な毎日を送れて楽しかったです。
そのあとはイベント運営や球場運営をはじめ、いろいろな経験をさせてもらいましたね。特徴的な仕事でいうと、2000年にネーミングライツでファームのチーム名が「サーパス神戸」になったのですが、その立ち上げと営業に携わりました。スポンサーだった穴吹工務店と一緒にチーム名のお披露目やユニフォームのデザイン、CM制作なんかもやらせていただきました。
2002年にはサンテレビで放映していた球団の応援番組『ブルスポエキスプレス』の球団側の制作担当を務めました。試合のハイライト以外に「ファンの夢を叶えます」みたいなコーナーがあって選手にも協力してもらったのを記憶しています。オフにはゴルフロケや宮古島キャンプロケもやりましたね。面白い番組で、当時の制作スタッフとは今も仲良しです。覚えている人はもう少ないと思いますが、今もう一回やったらかなり視聴率が取れそうな気がしますね(笑)。
2005年からはスカイマークスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)の球場長をやりました。ファンの皆さんを巻き込んでいろいろな活動をしたのが懐かしいです。球場の美化運動では毎試合100人以上のファンの皆さんがボランティアとして参加してくださいました。
広報担当は2012年から。兼任でコールセンターの立ち上げと運営を任され、ファームプロジェクトでは連携している大学でマーケティングの講義を行っています。
ー経験業務の多さに驚きました…!以前はブログの執筆もされていたとか?
書いていましたね。球場長ブログ『閑話球題』。当時はブログ全盛の時代でしたが、球界としては先駆けだったのではないかと思っています。あの頃は本当にエネルギーがありあまっていてほぼ毎日更新していました。ファンと球団あるいは僕自身をつなぐ上でとても有効活用できたと思います。
球場探検イベントを自前で開催、近鉄ファンの「恩人」に
ー最も印象に残っている出来事や取り組みを教えて下さい。
球団にとってはもちろんですが、ボクたち球団職員にとっても2005年の球団統合は大きなターニングポイントでした。それぞれの球団のファンが一緒になってファンが増えるとか、そういう単純なことは全然なくって、当初はむしろ統合前よりファンが減ってしまったのではないかと感じていました。
当時、僕はスカイマークスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)の球場長をやっていて、それこそさっき話していたブログを書いていた頃ですけど、神戸の球場にあまり馴染みのなかった近鉄ファンの皆さんを、この素晴らしい球場を使ってなんとか振り向かせることができないか、そう考える毎日でした。
そんな中やり始めたのが「超探検ツアー」です。試合が行われる球場の内外を探検するイベントで、たとえば花火の打ち上げ現場とかスコアボードの中など、普段は入れないような場所にファンの方々を案内していました。イベントの告知は僕のブログでやって、月1回くらい30〜50人の規模で開催していました。小さい規模の企画ですし、大きな効果を期待したわけでもなかったのですが。それでも自分の手の届く範囲でできることをしたかったんです。
ある日の「超探検ツアー」。その日の試合は雨による中断が1時間ほどあり、そこに延長戦が重なって、終了したときには時計は間もなく午後11時30分になろうとしていました。「超探検ツアー」のラストメニューは「グラウンドで好き放題」。試合終了後にグラウンドを開放し、ご参加の皆さんに自慢の美しい天然芝を思う存分満喫していただこうという企画です。終電もなくなろうかという時間でしたが、楽しみにされていた参加者の皆さんのため敢行することに躊躇はありませんでした。ただ気の毒だったのはグラウンドキーパーの面々。雨上がりのグラウンド整備はただでさえ大変なのに、作業のスタートは午前0時を超えることが確実です。それでも彼らは、嫌な顔ひとつすることなく、そればかりか芝の説明をしてくれたり、グラウンド整備のあれこれを教えてくれたりと、積極的に参加者の皆さんを楽しませてくれました。彼らは今も僕の盟友だけど本当にありがたかったです。遅い時間にもかかわらず参加してくださった方々は大満足でした。
後日、「超探検ツアー」に参加した方のブログをたまたま目にしたのですが、その人は元々は近鉄ファン。球団統合にわだかまりがあり応援する気にはならないが、球場には興味があったので参加したとのことでした。そこで実感したスカイマークスタジアムの美しさ、そして、深夜にもかかわらず笑顔を絶やさなかったグラウンドキーパーたちの優しい心意気。「オリックスを応援することに決めた」。ブログはそう締めくくられていました。僕の振り向いてほしいという思いに、もしかしたらたった一人かもしれないけど、反応してくれた方がいらっしゃったというのは感激でしたし、自信にもつながりました。
ーそんなエピソードがあったんですね。とてもいいお話を聞くことができました。
ちなみにその方とはこの「超探検ツアー」をきっかけに今も交流が続いています。後に言われたことですが、その方にとって僕は「自分を野球に引き止めてくれた恩人」なんだそうです。あのイベントがなかったら野球からは離れていたって話してましたね。そういう意味ではウインウインの関係ですね(笑)。
好きになるきっかけは何でもいい。でも野球の魅力にハマってほしい
ー「ファンを作って育てることが大事」とお話されているのを拝見しましたが、そのように考えるに至ったきっかけは?
これは昔話になるんですが、僕が好きだった阪急ブレーブスって、日本シリーズを3連覇するすごく強いチームだったんです。でも残念なことに人気があるとはお世辞にも言えなかった。周りは阪神ファンと巨人ファンばかりでした。阪急は話題にも上らないんです。こっちは関西で生活しているから阪神の情報が自然と入ってくるし、だからこそ「阪神より阪急の方がーー」って話をしたくても、向こうはそもそも阪急のことを知らないっていう。話が積み上がらないんです。
その頃から漠然と世の中なんか間違ってるなという思いがありましたね。価値って正しく評価されないんだなって。これは阪急だけじゃなくて、パ・リーグ全体にも言えることだと思っていました。なので、そのころから阪急ブレーブスとパ・リーグを正しく知ってもらいたい、ファン増やしたい、話し相手を増やしたいっていう一種の使命感みたいなものがあったような気がします。オリックスに入った動機のひとつと言えるかもしれません。
ー球団を好きになる理由は人それぞれ違うと思いますが、花木さんとしてはファンの方々にどのように応援してほしいですか?
今はいろんな切り口があるので、好きになるきっかけは何でもいいと思います。BsGirlsとか、今年から始まるBsGravity、あるいは選手のビジュアルとか。球団の取り組みを見て面白そうだと興味を持っていただけるのは本当にありがたいです。
ただ、重要なのはその後かなと。どこから入ってもいいけど、そこから先、いかに選手や野球のことを知ってもらうか。欲を言えば野球そのものの魅力にハマってほしい。実際、試合を観て野球を面白いと感じてくれる方って多いんですよ。去年の日本シリーズは負けちゃったけど、その激闘を見て野球というスポーツの面白さに気付いてくれる人も沢山いました。
僕としては「自分が応援する選手がいる中で、野球を楽しむ」っていうところまでは皆さんを誘いたいので、今年の「オリメン投票」も盛り上がっていますが、アイドル化で止まることを良しとはしていません。野球そのものを好きになってくれたら一生ファンでいてくれると思いますしね。
GWは「野球三昧」のはずが…舞洲での苦い思い出
ー舞洲で思い出に残っている出来事はありますか?
2018年と2019年に開催した「野球三昧」というイベントですね。昼は舞洲でファームの試合を観て、夜は京セラで一軍のナイターを観るという、丸一日野球を楽しむ企画だから「野球三昧」。舞洲では試合前に練習見学会と特別イベントがあって、さらにお弁当も用意しました。
2019年、「野球三昧」の開催を予定していた5月1日は朝からあいにくの雨模様。京セラドームの試合は問題ありませんが、舞洲の試合は早々に中止が決まりました。その日は練習見学会と、当時二軍投手コーチだった小松聖さん(現スカウト)と僕とのトークショーが予定されていましたが、あえなく中止。開催を期待して舞洲にお越しになった参加者の皆さんには用意したお弁当を持って帰っていただきました。ちなみにこのお弁当、「野球三昧弁当」と名付けた非売品の特別製。包み紙には小松聖さん自筆「野球三昧」の文字が入っています。いいお土産になったかなあと思う反面、実はファームの試合は中止だからお弁当代を含んだチケット代金は全額払い戻し。タダでお弁当を配っている自分はいったい何をやってるんだろうなあって思った記憶がありますね(笑)。
※小松聖さん:元オリックス・バファローズ投手(2007〜2016年)、元オリックス・バファローズコーチ(2017〜2020年)。
ー今そのイベントを開催したら舞洲に人が殺到しそうです。
今やったら人が大勢集まるイベントはいっぱいあると思います。昨年「オリ姫」の企画もすごく注目されたけど、これはやり続けてきた強みですよね。くじけずに長年やってきたことがここにきて大いに日の目を見たというか。あまり偉そうなことは言えませんが、積み重ねてきた結果です。だから球団としてやり続けてきたのは尊かったなあと。だから今ポッと出でやり始めたわけじゃないということを、分かる人には分かってもらえたら嬉しいなとは思います。
ー最後に、読者の方にメッセージをお願いします。
ぜひ球場に応援しに来てほしいですね。そこで楽しんでもらって、野球もオリックスもどんどん好きになってくれたらなと。僕たちもオリックスを好きになってもらえるように努力しますので。
あとはファームにもぜひ足を運んでいただければありがたいです。一軍と違って派手なイベントはないけども、その代わりにベンチの声が聞こえたり、ボールを打つ音が聞こえたり。二軍には二軍の楽しみ方があります。一度来てみるとプロ野球の見方が広がると思いますよ。もしなにか知りたいことがあったらぜひ聞きに来て下さいね。球場でお待ちしています!