来日12年目、アイラ ・ブラウン(大阪エヴェッサ)が抱く思い「日本バスケ界の進歩を愛している」
<トップ写真:©︎OSAKA EVESSA>
舞洲Voiceでは、3つのプロチームが拠点を置く舞洲ならではのインタビュー記事をお届け。『#舞洲での思い出』と題し、長くプレー経験のある選手にお話を伺います。
今回登場するのは、大阪エヴェッサのアイラ・ブラウン選手です。2011年に来日すると、2016年には日本国籍を取得。2019年から大阪エヴェッサでプレーし、加入4年目のシーズンを迎えています。
高校時代はバスケだけでなく野球選手としてもプレーし、MLBドラフトで指名を受けるなど、異色の経歴を持つアイラ選手。バスケットボール選手として来日した経緯から、大阪での生活、日本バスケ界への思いについて伺いました。
野球選手として培った「プロフェッショナルとしての自覚」
ーかつてアイラ選手はバスケだけでなく野球もプレーしていましたよね。2001年のMLBドラフトでは、カンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けています。
そうですね。野球と共に育ってきましたし、本当に大好きなスポーツでした。より高いレベルでプレーするチャンスもありましたが、怪我をきっかけにバスケットボール選手への転向を決断しました。もともと高校を卒業してから5年のうちにMLBでプレーすることができなければ、大学でバスケをしながら勉強して、学位をとろうと考えていたんです。
ー大学で野球を続けようとは思わなかったのですか?
二度とプレーができないような大怪我ではなかったので、もう少し休養する期間を設けたうえで、続ける選択肢もありました。ただ、プロになった途端、野球を「仕事」と捉えるようになってしまったんです。当時は野球を続けるパッションが無かったので、バスケに転向しました。
ー野球を通じてどのようなことを学び、それは今に活きていると思いますか?
毎日きちんと時間通りに練習場へ行き、一生懸命プレーすること。正しい栄養を摂り、体を鍛えて強くすること。プロフェッショナルとしての自覚は、すべて野球をしていたときから引き継いでいるものです。
来日のきっかけは、大学時代の友人からの電話
ー来日のきっかけは何だったのでしょうか?
ゴンザガ大学時代に仲良くしていた友人から「チームが選手を求めている。日本でのプレーに興味はないか?」と電話がかかってきたんです。
当時、彼は富山グラウジーズのマネージャーをしていました。話を聞いたとき、かつて日本でプレーしていたコーリー・バイオレットなどの選手たちが「もし日本でプレーする機会があれば、ぜひ来てほしい」と言っていたのを思い出したんです。それまで所属していたチームと比べると報酬は低かったのですが、気にせず日本に行くことを決めました。
ー日本に来て、文化の違いに戸惑いはなかったですか?
食事の面では少しカルチャーショックを受けましたね。白米を食べるとき、私はミルクや砂糖を混ぜていたんです。周囲の人からは「それは変だ」と言われました。食文化の違いは、日本に来た外国人の多くが経験することだと思います(笑)。
あとは契約の中に「寮に滞在する」という内容が含まれていたんです。人生で寮生活をした経験がなかったので心配でした。実際、部屋は狭く、トイレも共用で…最終的にはチームにお願いして、アパートを用意してもらいました(笑)。
富山は雪がたくさん降るので常に寒かったのと、英語を話せる人が少なかったので苦労したのを覚えています。スーパーマーケットでは日本語が分からないので、何を買えばいいのか困りましたね。
さまざまな困難はありましたが、私は世界中を旅することが大好きです。アルゼンチン、メキシコ、フィリピン、そして日本。新しい冒険にはいつもワクワクしています。
日本の誠実な文化を感じた出来事もあります。あるとき、ATMで引き出したお金を取り忘れてしまったんです。すると、女性が追いかけてきて、「あなたのお金ですよ!」と。同じことがアメリカで起こったら、こんな行動をする人はいないと思います。日本人はまるでパフォーマーのようです。困った人がいれば助けて、道に迷った人がいれば目的地まで一緒に歩いてくれるでしょう。
日本に来た瞬間から、この国に魅了されました。長く生活していますが、間違いなく、日本が大好きです。
「日本のバスケットボールの進歩を愛している」
ー海外と比較して、日本のバスケットボールについてはどう感じましたか?
日本人選手は、とても努力家です。技術を磨くために数え切れないほどの時間を費やす姿を、とても尊敬しています。早くから練習場に来て、練習が終わってからもシュートを打ち続けますよね。「疲れないの?」と聞いても、「疲れない」と答えます。私生活でも体に良いものを摂取し、正しいケアをすることによって、長いキャリアを実現できるのだと思います。
メキシコやアルゼンチンにいたときは、マッサージやストレッチをしてくれる人がいなかったので、自分で体のケアをしていました。日本には選手を手助けしてくれるトレーナーがいるので、ありがたいですね。
ーチームメイトとのコミュニケーションはいかがでしたか?
私は日本語を学びはじめたばかりですが、「バスケットボール」という共通言語があるので、コート内でのコミュニケーションは比較的簡単だと感じています。日本は試合中のプレースピードがすごく早いのですが、優秀なコーチたちがシステムに馴染めるようにしてくれました。そのおかげで、良いパフォーマンスが発揮ができたと思います。
コート外ではKJ(高野慶治)やリューイチ(堀川竜一)と仲が良く、一緒に過ごす時間が多かったです。さまざまな場所に連れて行ってくれて、兄弟のようでした。言葉は理解できなくても、身振り手振りでコミュニケーションを取ることができましたし、私もできるだけ彼らのことを理解しようと努めました。
ー日本のコーチングについてはいかがですか?
通訳は経験がなければ難しい仕事だと思いますが、ミズキさん(竹内瑞希通訳)は素晴らしいです。一方で、指導者のレベルは海外と比べると、まだ差があるのかなと思います。
ただ、日本のバスケは成長しています。例えば、ヨーロッパからアシスタントコーチを招聘し、彼らから学ぶことで進歩しているのです。日本のコーチはよく勉強していて、年々レベルが上がっている。そこが大好きなところです。
日本の選手たちに関しても成長していると感じます。彼らは速く、大きくなりました。さらに、彼らは若いころから強いメンタリティを育てられています。強烈なダンクのできる外国籍選手が相手でも、恐れることはありません。私は日本のバスケットボールの進歩を愛しているのです。
ー日本に来て以降、ご自身を取り囲む環境に変化はありましたか?
正直、最初に富山に加入したとき、私たちは平凡なチームでファンは多くありませんでした。ただ、チームが勝ちはじめると、ファンが増えていったんです。私にとって、日本のファンのサポートは世界一だと思っています。
彼らは、選手が活躍するために何でもしてくれます。私にも富山にいたころからサポートしてくれるファンがいて、今でもフルーツやステーキなどを送ってくれています。彼らのことは、家族だと思っています。これはアメリカでは決して発生しない関係性だと思います。
来日12年目、大阪は「日本のなかでも最高の都市」
ー大阪エヴェッサに移籍して4年目となりますが、大阪の街についてはいかがですか?
冗談ではなく、日本のなかでも最高の都市だと思います。「大阪は私の街だ」と言えますね。理由はいくつかあるのですが、まずは中心街へのアクセスが良いこと。東京ではどこへ行くにも満員電車に乗らなければいけませんが、いま住んでいるところからは、梅田や心斎橋まで10分程度で行くことができます。
あとは、住んでいる人たちが素晴らしいです。とてもフレンドリーで、家族のような人たちばかりです。かつて所属していた琉球ゴールデンキングスの本拠地である沖縄の人たちも、大阪の人と似た人間性を持っていて素晴らしいと思いました。ただ、沖縄は少し狭く感じたんですよね。大阪は近くに京都や奈良、和歌山などがあり、いろいろなところに出かけられるのがいいですね。
ーちなみに、大阪のオススメスポットはありますか?
チームのスポンサーをしてくださっている「上方温泉 一休」は、お気に入りの場所のひとつです。週に3〜4回、温泉に入ってリラックスすることがありますね。
食事では、福島によく行きます。すごく良いイタリアンやメキシコ料理のお店があるんです。焼き肉やお好み焼き、たこ焼きも好きですよ。あとは友だちと心斎橋にボウリングをしに行ったり、バーに行ったりしています。
ー日本や大阪のことが大好きなのですね。
私は教育においても、日本が世界一の国だと思っています。実現することはできなかったのですが、家族全員で日本に移り住むことができたら良かったなと今でも思います。日本で規律を学んだうえで、創造性を重視するアメリカの教育を受けさせることができていたら、素晴らしい大人に育つだろうなと思いますね。
40歳で迎えたシーズン、苦しみながらも「まだ成長できる」
ー舞州で思い出に残っている試合はありますか?
私にとって、かつての所属チームである琉球との試合は特別です。彼らと戦うときは、本当に良いプレーをしたいと常に思っています。琉球と対戦するときは、いつもより点を取っているはず。より攻撃的に、チームメイトのことを考えずにプレーしてしまうこともあるほどです(笑)。
ー最後に、今シーズンの目標と展望を聞かせてください。
リーグ戦は残っていますが、重要な試合を落としてしまった私たちはチャンピオンシップ出場が難しい位置にいます(注:2月22日時点)。今シーズンの目標は「できるだけ力強く戦い抜くこと」だと考えています。私たちはとてもとても難しいリーグに所属していますが、新しいヘッドコーチや選手たちと力強く戦って、できるだけ多くの試合に勝つことが目標です。
私にはまだまだポテンシャルがあります。今シーズンは新しいヘッドコーチのもとで、これまでとは違うポジションでのプレーを求められています。たとえそれが難しい変化でも、ベストを尽くさなければいけないのです。未来に何が待っているかは誰にもわかりません。一生懸命プレーをして、成長し続けたいと思っています。