科学的ってなに?宗教、占星、アドラー心理学も考察
「科学的である」ことの条件の一つに、「反証可能性」があります。
今我々が正しいと信じている科学理論は、どこまでいっても「仮説」でしかありません。
これはどういうことかというと、
「物体が落ちる」という現象は、「モノとモノが引かれ合う力が働いているからでは?」
という考え方をすれば、その不思議な現象を、尤もらしく説明できるわけですが、
古典的な物理法則では説明できないような現象が度々現れるので、その都度、尤もらしく説明できる考え方=仮説は、何か?
をアップデートしていく、
これが科学です。
話を戻します。
反証可能性というのは、このなんらかの現象を尤もらしく説明できる「仮説」は、仮説に対する反証が可能な状態でなければならない、ということです。
はい、訳が分かりませんね。
では、話を分かりやすくするために、
逆に、
反証"不可能"な状態というのは、どういうことかというと、
分かりやすいのは占星学で、
「2021年の獅子座の運気は、仕事において大きな転機が現れる年になるでしょう。」
というようなものは、
捉え方によっては、当たる当たらないどちらにも言えてしまうものです。
こういったものは、
反証可能性がない、状態ですね。
他にも、『嫌われる勇気』、アドラー心理学で有名な、精神医学者アルフレッドアドラーは、「優越コンプレックス」をアドラー理論の中心に据えていましたが、アドラー理論は、反証可能性に欠けていたのは有名な話です。
例えば、
お偉いさん達の会議の場で、それ絶対おかくしね?と思ったことを、積極的に発言する場合は、お偉いさんたちから非難を受けるリスクを背負ってでも、勇気があることの証明をした、と説明できるし、
思っていることがあっても言わない、場合は、
自身の倫理に反く危険を犯してでも勇気がある行為を証明した、とも、どちらでも説明ができてしまいますね。
別に、占星学やアドラー心理学を否定しているわけではなく、
なぜ、
反証可能性が大切かというと、
反証可能性があると進歩するからです。
仮説を提示→立証→仮説に反する現象の確認→仮説の提示→立証…
反証可能性のない理論というのは、反証ができないから、進歩もないんです。
ですが、人々の支持を、より集めやすいのは、
アリストテレスやアドラーのように、
人の捉え方によって、解釈の幅が広いものです。
宗教や哲学などが典型かと思います。
人を動かすときには、
反証不可能性を、
世界を動かすときには、
反証可能性を、
といったところでしょうか。