科学と物語の役割。
新年は、山登り。
#ゆるゆる登山 。
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科学と物語、それぞれの役割について考える。
科学は、自然と自分とを切り離し、自然を客観的に観察することで得られてきた知見、またはそのように考える考え方のこと。用語は定義され、それは特定のルールに従って進められる。
一方で物語は、自然と自分とを結びつけ、そこから様々に自分自身に感じられることを、自身の言葉で語ったもの。またはそのように語ること。自分自身が見たこと、感じたことを心の奥深くで捉え、語る。
要は、客観的か、主観的か。
なので両者は本来対極にあるものなのだろうけれど、どうもそれらは奥の方で密につながっているような気がしてならない。
ものすごく「科学的」な事柄は、極めて物語的であるし、真の物語はとても科学的であるように思える。
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写真は、新年に登った山で出会った岩。その名も「天狗岩」だという。
(真ん中前方にある小さな神社は、「針の耳神社」。)
この岩が突然現れたときにはとにかく「驚いた」。
この驚きを科学的に考えていくと、どうしてこんな形になったのか、この岩を構成している成分は何なのか、などを考えていくことになるだろう。どうしてこんな形になったのか、何万年とかけて、隆起と沈降を繰り返し、雨水による侵食等を経てこの形になったことを思い浮かべると益々興味深いし、圧倒される。
自分に引きつけて考えると、わっと現れた見たこともない不思議な形の石。これを何と言葉で表現しようか。山の中に突然現れる石には畏怖を感じる。この気持ちを表現しようとして「天狗石」と名前を付ける。天狗が宿る石。ここに住む天狗はどんな姿をしているのだろうか。感じた畏怖心から様々に想像が膨らんでいく。
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自然の中を歩くと、科学と物語とが一体となるような場所(瞬間)に出会う。まだ答えは見つからないけれど、2020年も科学と物語とが出会う場所、その2つをつなぐ言葉を探したい。
2020年も、どうぞよろしくお願いします。
追記:このお話の後日談。同じ山に大学生たちと登り、この岩を一緒に見た時のこと。「どこから見ても天狗に見える!」と1人の学生が言っていました。「見事な表現」というか、何というか。本当、どこがどう「天狗」に見えるという訳ではなく、雰囲気全体、佇まいそのものが「天狗のよう」なのですね。ぱっと出た言葉に思わずはっとしたのでした。一緒に何かを見ること、感じた言葉に耳を澄ますこと。物語の種はこういうところにもありそうだ、と改めて思う。(2020年7月19日)
#エッセイ #私の仕事 #科学と物語とをつなぐ言葉 #科学と物語とが出会う場所 #考え中
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