見出し画像

川が泣いてる。

集中豪雨で、熊本の球磨川が氾濫した。福岡の筑後川も氾濫した。岐阜県と島根県の川も氾濫した。

熊本県人吉市には昨年、友人と旅行に行っていた。

穏やかで悠々としていた球磨川が氾濫する映像を見たとき、涙が止まらなかった。

何にもできない私。それでいてただ涙を流すことだけではどうしようもないってことは分かってる。

でも「川が泣いてる」ようにしか見えなかった。そう感じられて、仕方がなかった。

***********

昨年、大学の時の友人3人で人吉に旅行に行った。
商店街で食べ歩きして(餃子がとにかく美味だった!)、球磨焼酎繊月の工場見学して、ラフティングして、夜は自由に演奏ができるライブバーみたいなところで久しぶりに演奏した。
夢みたいに楽しくて、あれは奇跡の旅行だった!また行こう!って旅行から1年近く経っても、電話で話したりする時にはいつも熱を持って話題に上がるほどたった。
旅行中、やっぱり印象的だったのは、
街をとうとうと流れる球磨川のこと。
宿泊したホテルからも、ずっと川の流れる音が聴こえていて、
朝も川の流れる音で目を覚まして、窓を開けて、川がある街っていいねぇ…って呑気に話したりもしていた。
悠々と優しく見えた球磨川。
でも、決して元からその姿だった訳ではない。
人との長い共生の中で、一緒にそういう姿になってきたんだなぁということを改めて感じさせられた。
私たちは地球の上、絶妙なバランスで生かされている。
大げさに聴こえるけれど、皮肉だけれど、こういうことがあったときにはいつもこのことを痛い程想う。
異常気象、集中豪雨。
そんな言葉にあまり驚かなくなってしまっている最近。


大好きな人吉だから、普段以上に心を痛めてしまうのだけれど。
豪雨に限らず、さまざまな自然災害が頻発して、たくさんの人が亡くなったり、被害にあったり、心を痛めたり。この上なくつらいことで、普段その感覚がどれ程鈍くなっているのか…自分の感覚にも哀しくなる。

**************

どれだけ「理科教育」をやっていても、何か出来事が起こった時には、私はそれを極端に情緒的に捉えてしまう。客観的に捉えるでない、どうしても感情移入してしまうのだ。

「川が泣いてる。」

かなしませてるのは、誰だろうか…。私にも責任がある。

どうか、どんな人も、自然も、かなしむことがありませんように。地球の上で、たくさんの人が、少しでも安心して暮らせますように。

少しでも、小さな小さな力でも、できることを探したい。

「想い」だけでは、だめなこと、分かってる。

でも「想い」が届きますように。たくさんの人のやさしい想いが届きますように。

#エッセイ #私の仕事 #科学と物語とをつなぐ言葉 #科学と物語とが出会う場所 #考え中


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?