モナ・ハトゥム《はらわたのカーペット》
本稿で取り上げる作品(https://fabricworkshopandmuseum.org/collections/entrails-carpet/)
はじめに
モナ・ハトゥムは、ロンドンを拠点とするパレスチナ人アーティストである。その作品はしばしばビデオやパフォーマンスを通じて国家的、政治的、心理的アイデンティティを探求する。彼女の作品は、人体の断片を使用することで、視覚的およびテクスチャ的な結びつきから鑑賞者に対して強烈な感情的体験を提供する。作品を通じて、ハトゥムは国家、民族、性別といったテーマに対する身体の関与を探求し、それらの問題をより直接的かつ感情的に訴えることを目指している。
本稿で取りあげる《はらわたのカーペット》(Entrails Carpet, 1995)では、人体の内臓を模したシリコン素材を用いることで、宗教的・民族的な「他者」としての区別を生物学的な違いに還元し、人間の普遍性を強調しようとしている。この作品は、見る者に対して人間の共通点を思い起こさせ、偏見や恐怖を超えた理解を促すことを意図している。本稿では、この《はらわたのカーペット》という作品が制作された意図である政治的メッセージ、この作品の表現方法が持つところの、従来のジェンダー観や美術史の転倒について論じる。
問題意識と表現手法
人体を政治的、フェミニズム、言語的なネットワークの中心として位置づけ、身体を通じてこれらの複雑な問題を表現し、鑑賞者に対して強烈な感情的な反応を引き起こす。
パレスチナ出身の彼女自身の経験を反映し、国家と民族の亡命、移動、紛争といったテーマを探求しており、家庭的な空間が安全で保護された場所としてではなく、恐怖と混乱の場として表現されている。
カーペットという日常的な家庭用品を用いた彼女の作品は、家庭の空間が保護と安全の場ではなく、むしろ不安と混乱の場となることを示唆している。さらに、作品は人間の腸に類似した形状と質感を持つように設計されており、視覚と触覚の結びつきによって「おぞましさ」を誘発する。シリコン素材の使用とその形態により、見る者は一見して美しいと感じるものの、近づいて詳しく見ると不快感を覚える。この対比が作品の核心であり、人間の内側と外側の境界を曖昧にすることで、視覚的な挑戦を与えているといえる。
社会的・文化的意義の考察
ハトゥムの作品には3つの特徴があるだろう。まずは、国籍や民族による差別や理解を促進するものであること。パレスチナ出身の女性アーティストであるハトゥムは、自身の経験を通して、国家や民族による差別がいかに人々に苦しみを与えるのかを理解し、アートを通じて他者に向けて発信しているのである。
次に、不快さやグロテスクさといった要素への取り組みである。ハトゥムの代表作である《Corps etranger》(1994)のようなビデオ作品では、彼女自身が内視鏡を用いて自身の身体を探検する様子を映し出す。この作品は、女性の身体が単なる客体ではなく、主体であることを示唆しているのである。《はらわたのカーペット》は、カーペットという家庭を連想させるものと腸の組み合わせにより、潜在的な女性性を持ちながらも、身体が複雑な存在であり、様々な機能を持つものであることを示唆している。体内というテーマは実際の機能においてはともかく、視覚的・表面的・ジェンダー的な男性性・女性性を曖昧にする場所といえるのではないか。
3つ目は、芸術の役割の再定義と新たな表現の可能性の探求である。美術史において、従来の芸術は美しさや感動を与えるものと考えられてきた。しかし、ハトゥムは美とは正反対の不快感や嫌悪感といった感情に注目している。これにより彼女の作品は、鑑賞者に新たな視点を与え、芸術そのものについて考えさせる機能を持つのである。
結論
《はらわたのカーペット》は、腸の形をしたカーペットというグロテスクなモチーフを用いることで、身体、アイデンティティ、国家、民族、ジェンダーといった問題意識を深く掘り下げる。その表現は鑑賞者に不快感や嫌悪感を与えることで、女性性の再考や芸術の再定義に貢献し、現代社会における重要な問題提起を行っている。
参考文献
キャロリン・コースマイヤー『美学 ジェンダーの視点から』長野順子、石田美紀、伊藤政志訳、三元社、2009年。
"Mona Hatoum (b. 1952) , Entrails Carpet", CHRISTIE'S, 2024年7月11日アクセス.
"Mona Hatoum", White Cube, 2024年7月11日アクセス.
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