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2歳差ワンオペ育児の母、自由を求めてカントリーマアムを食す
2人目の誕生、拘束感に比例してついていく脂肪
下の子が生まれて9ヶ月間、晴れて2児の母になった私はぶくぶくと太っていった。妊娠したからではないことは、体つきを見ればわかる。顔と二の腕とお腹がみんな一回り大きくなるなんて、妊娠中にはなかったことだ。
子が2人いるということは私を見る目が1人の頃と比べて2倍ということだ。
子が1人のときも何となく拘束されてる感があったものの、まだ隙があった。
2人いると本当にいつも見られていて自由がない。
上の子はトイレトレーニングのためパンツにしていたので、おしっこを床に垂れ流す。下の子は赤ちゃんなので言わずもがな。
私がされている何もかもへの拘束を解いてほしかった。
自由が欲しかった。必要だった。
子供の世話をしないでいい自由。
時間の使い方を自分で決める自由。
好きなことに集中する自由。
でも実際問題ワンオペで自由などない。自由を求めるストレスはやがて…
カントリーマアムに化けた。
私はまるでノルマかのようにせっせせっせとカントリーマアムを口に放り込んだ。
1日1袋。もちろん小袋ではなく大袋。当時は20枚入っていたし、今よりほんの気持ちだけ大きかった。が、子の目を盗んで気付かれずに食べるにはちょうどいいサイズだった。
こんなことをしていては糖尿病になる、太るじゃ済まない。
頭じゃ分かってるのに、気がついたらマアムがないと禁断症状のようにふらふらと近所のドラストに足が向いてしまう。もはやうちの第二のお菓子置き場。
やめられない止まらない、諦めるしかない
私は諦めた。
いつかこれにも飽きる日がくる。飽きるまで毎日食べればいつか見るのも嫌になろう。
予定通りカントリーマアムに飽き出したころ、上の子が幼稚園に入った。幼稚園の制服に身を包んだ我が子はそれはそれは愛しく可愛らしかったのだが、私ときたら目は腫れぼったく贅肉まみれの体で、一緒に写真を撮ったことを後悔した。
幼稚園入園と自由の再認識
それでも上の子が入園した。水曜は午前中で帰ってくるけど、基本8時半から3時ごろまでは下の子しか見なくてよくなった。
平日は束の間の天国のようだった。そして気付いた。
あの頃私はカントリーマアムを食べてたんじゃなくて、自由を食べていたんだ。
どれだけ拘束されてやりたいことも自由も奪われていても、口の中までは覗けないし監視されない。悪いことしても見つからない。だから私はあんなに執着してたんだ。
いつしかドラストに行くことも減り、気がついたら体型は私比で少し太ったかなくらいに落ち着き、自分で受け入れられるようになった。
環境で自分は変わる。無理矢理変えなくていい
もちろん私はカントリーマアムを頑張ってやめたのでも、ましてやダイエット頑張ったのでもない。自由が戻ってきて、いつのまにかお菓子に手が伸びなくなっただけ。
環境が全てなのだ。
環境が変わるアテがあるのなら、無理矢理自分を変えなくたっていい。そんなしゃちほこばって変えようとしなくたって、良くも悪くもゆるやかに人は環境に慣らされていくし、子ども自身もその環境も自分が自分を変えるより早く変わっていく。少なくとも私はそうだった。
受け入れ、諦め、時を待つ。
それは子供に対してだけでなく、自分に対しても必要不可欠なんだ。
子が大喜びで食べるカントリーマアムを眺めていると、あの頃を思い出す。
あれだけ食べれば見るのも嫌になるかと思いきや、むしろ温かい気持ちで見ているのはちょっとだけ嬉しい誤算かな。