かもしれない
新型コロナが世界に蔓延し、もう誰がかかってもおかしくない状況。私の暮らすフランスは全国民がロックダウンの状態だが、それでも日々感染者数は増え、死亡者数も残念ながら増え続けている。ピークは今週か来週と言われている。でもそれを超えたとしてもまだまだ収束というわけではない。
つまり、本当に誰がかかってもおかしくない。
そう。なのになぜか、(今や新型コロナ中心地の欧州だが)ここ(家)にいれば大丈夫と思っている自分がいた。もしかしたらお隣さんがかかっているかもしれないってことだよね、という程度。
ロックダウンの生活なので、情報はひたすらテレビ画面やラジオ、ネットで流れてくるものばかり。実際の人たちの生活は全て画面を通す。そしてそこでみる限り、本当にこのウイルスが世界中に与えているインパクトたるや、凄まじいものがある。
それでも。画面を通してしか見えないからなのか、バーチャルだから、なのか。実際の生活ではしっかりロックダウンのルールを守りつつも、どこか一連のことが「バーチャル」にとどまっていた。頭の中ではことの重大さも理解しているのに。
そんなある日。「ちょっと体がだるいなー、閉じ込められているからだろうか」と夫が言い出した。ちょっと微熱もあるかもー、とそれから数日間は仕事をしつつもよく寝るし、頭も痛いらしく数日間は疲れがたまると言い続けた。
それでも私たちは、「病は気からって言うよね」という感じで、焦りもなかったし、軽い風邪か疲れだな、で片付けていた。まさかコロナと真剣に結び付けたりもしなかった。もちろん、手洗いの徹底や、お互いなるべく触れないようにする、食器なども触れないようにする、などの点は気をつけてはいたけれど。
ところが。もうだるさもなくなったよ、と言ってた翌日あたり。あれ、ワインが変な味。と言う。そして、「わかった。匂いがしないんだ!」と。
フランスでは、嗅覚を失ったら新型コロナにかかっている疑いがあるということは割と知られていた。
だからここにきてようやく、これは、そうなのかもしれないね。と言う話になった。
フランスには自分の症状などに関する質問に答えていくと、最後にどうしたらいいのか教えてくれるサイトがある。それをしてみると、夫の場合は疑いがあるので医師に連絡必須、とのことだった。そしてさっそく翌日にかかりつけ医とテレビ診察を受けることとなった。
かかりつけ医は一連の症状の話を聞き、「おそらくそうでしょう」と。
まさかのコロナがリアルになった瞬間だった。自分の家の中でそれが起きていたのだ。ようやく画面を通して見ていた世界がリアルの世界と結びついた。
でも、入院をしなければいけない人や明らかに重症化している人でなければ検査は受けられない。夫は嗅覚以外はいたって健康者そのもの。非常に軽症だったケースでしょう。と言われる。ご家族にもうつる、あるいはうつっている可能性もあります。と。そりゃそうだ。もしかすると私が無症状の感染者だったという可能性もある。
残りの家族も幸いなことに(今のところ)誰にも症状が出ていない。専門家ではないので全く詳しいことはわからないが、得られる情報から憶測するに、このロックダウンが始まる直前に夫は感染していたようだ。
この閉じ込められた生活。鬱陶しいよね、早く終わらないかなー、と軽く愚痴っていたのだが、これはかなり意味があると言うことも実感した。
そもそも夫が本当にかかっていたのかどうか、私たちが本当に感染しているのかどうかなんてこのままわからずじまいだ。それでももしかしたらそうかもしれないと考えると、誰にも会っていないくてよかったと思う。もしかしたらかかっているかも、かかっていたかも、と言う友人たちもちらほらいる。それを考えると公表されている感染者数なんて本当に氷山の一角に過ぎない。
とにかく、世界的に深刻な状況で、それを第一線でなんとか最小限に止めようと働いている人たちがいる。私にはこの新型コロナウイルスに関する専門知識なんて全くない。だけど、友人が務める病院では、院内の区画を見直して場所を工面して入院患者の受け入れをしているほどドタバタなのだという。そういう生の声を聞くと、それだけケアを必要としている人たちがいて大変なことになっていて、だからその数を減らしたい、という点に関しては、シンプルに、そうだろう、と思うのだ。
ロックダウンで生活がストップし、家に閉じ込められていると、当たり前だがいろんなことが実際に体験、経験できない。
こういう時こそ考える力や想像力が試されている。実際に自分の身に起きてからようやく理解が実感になる。
画面を通した世界がよりインパクトを持ち始めた。