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あなたに知ってほしいAYA世代の7つの悩み・支援 #56

こんにちは、心療内科医で緩和ケア医のDr. Toshです。緩和ケアの本流へようこそ。

緩和ケアは患者さん、ご家族のすべての身体とこころの苦しみを癒すことを使命にしています。

今日のテーマは「AYA世代とは何か」です。

動画はこちらになります。

AYA世代という言葉があります。皆さん、聞いたことがありますか?

英語でいうと、Adolescent and Young Adultです。この頭文字を取ってAYA(アヤ)と言います。日本語で言うと、思春期と若い大人の世代という意味で、日本では15歳から39歳までを言います。

この世代は進学、就職、結婚、子育てと、夢と希望にあふれた世代です。しかし、同時に、人生の岐路を何度も迎え、努力が必要な世代でもあります。そして、この世代でもがんになる人はいます。

彼らは苦しんでいます。周りに同じ病気の仲間が少なく、孤独になりがちです。

彼らは自分たちのことを知ってほしいと思っています。

この記事を見て、AYA世代のがんのことを知っていただき、彼らをサポートしたいと思う方たちが増えてくだされば嬉しいです。

本日もよろしくお願いいたします。


AYA世代のがんとは

AYA世代の中で、年間約3万人が、がんの診断を受けています。がん患者さん全体の4%程度です。全体で見ると少ないですが、がんは、この世代の病死の1位なのです。自殺、不慮の事故に次ぐ多さです。

がんは年々治るようになっています。20~30年ほど前は、がんの5年生存率は、約50%でした。今年は68%を超えました。がんの治療成績は年々良くなっているのです。

ところが、AYA世代のがんは、ここ30年で治療成績が全く良くなっていないのです。まず、自分ががんだと疑わないこと、生活のことを優先して、発見が遅れることなどが原因としては考えられます。まさか自分がこの年でがんになるなんて思いもよりませんよね。

さらに、AYA世代のがんは、高齢者など、他の世代のがんに比べて、患者さんの数が極めて少ないため、最適な治療法が確立されていないという点もあります。

また、AYA世代は、学校生活や、就職、仕事、結婚、妊娠、子育てといった生活環境、社会環境が劇的に変わる、特徴のある世代です。治療だけでなく、様々な支援が必要なのですが、十分とは言えない状況です。

1番大きな問題は、社会保障制度が整っていないことです。介護保険は40歳以上が対象です。また、小児がんに対する「小児慢性特定疾患」は18歳未満が対象で、18歳以上には適応されません。

AYA世代はまさに狭間の世代なのです。

AYA世代のがん患者さんは、病気の治療を優先しないといけません。ですので、学業、仕事、結婚、子育てなど、自分の周りの同世代の人がしていることをあきらめたり、犠牲にしてしまう人も多いのです。自分の苦しみをまわりに分かってもらえず、また、自分と同じような病気の仲間も少ないため、社会的に孤立しがちです。

私は、このように苦しんでいるAYA世代のがん患者さんを多く見てきました。AYA世代のがん患者さんが抱える問題を多くの人たちが知り、一緒に考えることで、彼らが救われ、社会も変わると信じています。

後で説明しますが、彼らへの支援も一部始まっています。私たちができることを一緒に考えていきましょう。


AYA世代の悩み・支援

これから、AYA世代のがん患者さんの様々な悩みや、それに対する支援についてお話していきます。

1. 学校のこと

治療期間が長くなると学校生活に影響が出てきます。高校、大学は義務教育ではないため、小学校や中学校のような「院内学級」がありません。勉強内容も難しくなり、短期入院でも大きなハンデとなります。

また、治療期間が長くなると、休学せざるを得なくなることもあります。
そのことで進学が難しくなることもあります。

自分の将来計画を変更せざるを得なくなることも起きてきます。

今後はITなどを用いた、入院中でも学べるシステム作りなどが必要だと思います。学校によっては取り組みを始めているところもあると聞いています。入院中でも単位が取れる大学もでてきています。

2. 仕事のこと

AYA世代のがん患者さんは、就労の面でも大きなハンデがあります。

AYA世代のがん患者さんの約40%が「病気体験は就労計画にマイナスに影響した」と感じています。ある調査では、がん診断後1年以内に仕事を完全にやめてしまった人は、「がんが治ってもほとんどの人がフルタイムの仕事に就くことができなかった」と言われています。

また、仕事をしていないと、経済的に困ったり、医療保険に加入できないといった理由で、治療の継続が困難になるケースも多いそうです。

がんと診断されても、すぐに仕事をやめてはいけません。

AYA世代のがん患者さんんの周りの方は、院内のがん相談支援センターや、職場に相談するように促してあげてください。

3. 妊娠

子どもを作る能力のことを妊よう性と言います。ところががん治療によってこの妊よう性が低下したり、失われたりする可能性があります。

その結果、将来にわたり子供ができない身体になってしまうことが以前は多くありました。最近では、妊よう性が失われる可能性のある抗がん治療の前に、卵胞や精子を採取し、凍結保存をする方法が取れるようになってきました。

4. 外見の変化

多くのAYA世代のがん患者さんが、がんを経験して、自分自身の身体や外見に対するコンプレックスをもった、と言っています。

脱毛、身体の一部を失うこと、今まで通りに動けないこと、顔色や体形が変わることなど、とてもつらく感じています。他人からどう思われているか、これまでの人間関係が、変わるのではないかと不安に感じているのです。

ウィッグであったり、お化粧をするといったこともケアに繋がります。これをアピアランスケアと言います。

外見を大切にすることで、自分に自信を持ち、社会とつながりを持てる、AYA世代のがん患者さんは多いです。

5. 友人・パートナー・ピアサポーター

AYA世代のがん患者さんは、親よりも友人、パートナーの存在が生きる支えになる人が多いです。また、同世代のがん患者さんとの出会いは、精神的な支援や、社会生活のアドバイスを得るだけでなく、「1人ではない」という思いが大きな支えになることがあります。

しかし、AYA世代のがんは非常に少なく、彼らの出会いがほとんどないことが現状です。

現在では、AYA世代のがん患者さん同士の出会いの場を設ける、ピアサポートの様々な試みが多くの場で始まっています。

例えば、若年性がん患者団体 STAND UP!! 

全国AYAがん支援チームネットワークなどがあります。

リンクを貼っておきますので、詳しく知りたい方はホームページにアクセスしてみてください。

大阪市立総合医療センターのような一部の病院では、AYA世代専用の病棟ができたりして、治療の場でも仲間作りができるような配慮が出来つつあります。

6. 親・きょうだいへの支援

AYA世代の親は、がんになった子どもに対して、自責感、罪悪感を持つことが多いと言われています。その結果、不安、抑うつなどを引き起こし、場合によっては治療、ケアの対象になります。

思春期のきょうだいは、家族の関心ががん患者であるきょうだいに向けられることで、疎外感や孤独感を抱きやすいと言われています。その結果、親との関係が悪化したり、抑うつを呈することもあります。

親や、きょうだいはケアが必要な対象なのです。緩和ケアでは、家族ケアも積極的に行っています。

7. 内面の矛盾した気持ち・死の恐怖

AYA世代のがん患者さんは、内面のつらさ、死の恐怖などを言葉で言わないことが多いです。AYA世代特有の、複雑なこころの動きがあるからかもしれません。

がんでないAYA世代の人たちは、死の恐怖を感じることは少ないと思います。だから、友人などにも、本当の気持ちを言うことができなかったりします。

親は、子どもが病気になっていることに、罪悪感を持っていることも多いので、AYA世代のがん患者さんは、それを察して、親にも、そういった恐怖を話せないでいる人も多くいます。

私たちは、AYA世代のがん患者さんとの適切な距離を計りながら接する必要があります。好きなこと、趣味のこと、仕事のこと、勉強のことなど、病気のこと以外の、普通の生活の話をすることも非常に大切です。

そういった話をする中で、ふと、AYA世代のがん患者さんが、つらさなどを口にした場合には、そのつらさをしっかり受け取ってあげましょう。

以上、AYA世代のがん患者さんの悩み、取り組みについて話してきました。これらのことを知って、今あなたができる援助は何か、考えるきっかけになれば幸いです。


忘れられない患者さん

私がホスピス医を始めたころ、忘れられない20代のがん患者さんとの出会いがありました。彼は最期まで、生きることをあきらめませんでした。そのことについてお話したいと思います。

彼は28歳男性の患者さんです。25歳の時、悪性脊髄腫瘍を発症しました。

手術を行いましたが、すぐに再発し、再度手術、抗がん剤治療を行いました。しかし効果なく、病状は悪化、下半身まひになってしまいました。

さらに脳にも転移し、これ以上の積極的抗がん治療はできないと言われ、ホスピスに入院してきました。彼はもともとスポーツマンで、高校の頃は野球をやっており、甲子園を目指していました。

その後は芸術関係の道に進み、病気になる前は、市立のカルチャーセンターで絵を描いたり、教えたりする仕事をしていました。ご両親と、兄、妹の5人家族でした。

彼は入院した時私にこう言いました。

「先生、ここは死に場所ですよね。僕はこれまでがんの治療を頑張ってきたけど、もう治療ができないと言われ、どこで死ぬかということばかり考えてきました。
よろしくお願いします。」

私はもう少し詳しく聞きました。彼は下半身麻痺となって1年経っていました。
車いすでの生活を余儀なくされていました。そして、半月前主治医から治療ができないと言われたそうです。

背中に激痛が走り、痛みで夜も何回も起きてしまう。悪夢も良く見る、さらに痛みがなくても夜中目が冴えて、そのまま朝を迎えることがあることもしょっちゅうであったそうです。

気分も落ち込み、食事もおいしくなく、今まで趣味で書いていたイラストも描けなくなったこともつらいと言われました。

背中のがんの痛みがあり、さらにはがんの治療ができないと言われたことが精神的な要因となり、うつ病となっていたのです。

私は医療用麻薬と、抗うつ薬の処方を行い、治療を開始しました。すると痛みは取れ、うつの症状は軽くなってきました。1か月後、痛みは全くなくなり、本当に元気になりました。

彼は、退院して家での生活を始めました。家では、ご両親が彼の介護をしていました。2人が疲れたり、何か用事があったとき、短期入院、いわゆるレスパイト入院を繰り返しました。彼は外来で私に言いました。

「先生にも言ったけど、はじめ、ホスピスは死に場所と思っていた、でも今はしんどくなったら休む場所だと思う。」さらに彼は続けました。

「もう少し頑張って生きたい。父が東京で手術してくれる病院を見つけて来てくれたので、行こうと思う。良いですよね。」

私は同意しました。

彼は手術を受けに東京へ行きました。それから、3か月後彼は元気に帰ってきました。それから、彼は在宅療養を続けました。

しかし、脳転移が徐々に悪化してきました。脊髄の手術はできたのですが、脳の腫瘍は取り切れなかったのです。それでも彼は明るく過ごし、私の外来にも来ていました。

それから半年後のある日、お父さんから私に電話がありました。「朝から息子の意識が落ちています。揺さぶっても目を覚まさないんです。」

私は脳腫瘍の悪化と思い、「すぐに来てください。」と告げ、緊急入院の準備を始めました。入院後、ステロイドなどの投与で、彼の意識は少し戻ってきました。

彼は私に言いました。「先生、僕頑張ったよね。頑張って生きたよね。先生、ありがとう。」そういって彼は翌日みんなが見守る中、旅立っていきました。

本当に彼は最期まで自分らしく生き切ったと、私は思います。

「よく頑張った。」彼にはそんなエールを送りました。

AYA世代は、これからの人生に希望を持って歩き出そうとしている世代です。
そんな中、がんと診断され、さらにはこれ以上の治療ができないないと言われたらどうでしょうか。想像を絶する苦難であろうと思います。その中でも、彼らは最期まであきらめず生きようとするのです。

亡くなる前日まで、来月にある大学入試の試験勉強していた高校生のがん患者を知っています。

亡くなる3日前に家族でディズニーランドに行った15歳の女の子がいました。

最後に、先ほど紹介した20代のがん患者さんが、私たちに贈ってくれた、詩とイラストを紹介しようと思います。

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「いつまでも」
あくしゅをありがとう
勇気と元気と
優しい気持ちを
ありがとう
家族の手
葉っぱの手
みんなの手
心の手
あくしゅをありがとう
安心をありがとう
僕は生きるよ
大好きな
みんなが一緒に住む
地球と一緒になる
その日まで

私は、彼らは「生きるとは何か」について私たちに教えてくれているのだと思うのです。

AYA世代は多くの悩みを抱えています。彼らの悩みやつらさを知ることが、まずとても大事なことです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

私は、緩和ケアをすべての人に知って欲しいと思っています。このnoteでは緩和ケアを皆様の身近なものにして、より良い人生を生きて欲しいと思い、患者さん、ご家族、医療者向けに発信をしています。

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また次回お会いしましょう。

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Dr.Tosh /四宮敏章
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