寺の子
たまに行く横浜の町中華、決して常連ではないがそれなりに店主にも数名の常連さんにも顔は覚えて貰っているようだ。
その日も軽く一杯と酎ハイに焼売、ピリ辛もやし、青菜の炒め物を注文しチビチビ始めた・・・
店の中には必ずと言っていいくらい良く見る親父さんと三十歳くらいの女性が親しそうに話している。女性はかなり酔っているようで少し親父に絡んでいるようにも見える。
「ねぇ〜わかる?ちゃんと聞いている?もう〜・・・」
「聞いているよ!だからさっきから言ってんだろう!考えすぎるのはダメだってよ!」
「けどさぁ〜・・・」
「ねぇちゃん、今日はちょっと飲みすぎたな!それくらいにして帰んな!」
「ラーメン食ったら帰るよ!うるせいなぁ〜、半ラーメンちょうだい・・」
「はいよ〜!」
店主も親父さんの彼女の扱いには慣れている様子だ・・・
ラーメンが出され彼女はスープを啜る。
「あぁ〜美味しい!」本当に美味しそうでとても可愛い口調だ!
「美味そうに食うねぇ!」
「美味いもん!」
「ありがとうね!いつも美味しそうに食べてくれるから作りがいがあるよ!」
「イェ〜!」と親指を立てる仕草・・これがまた可愛かった!店主も親父さんも
ケラケラっと笑う・・何とも下町のいい雰囲気といったん感じだ!
「ご馳走さん!、じゃぁねぇ〜、おっさんありがとうね、バイバイ」と
親父さんに手を振り、ついでにこちらにも「お先〜!」とにっこり笑って手をあげ、
店を出ていった!
テーブル席にいた親父さんがカウンターに移りL字のカウンターの角を境に親父さんと二人、その中央カウンター内に店主という状態・・・
「騒がしかったろう、悪かったね・・・」と親父さん
「いいえ、全然、・・・」
「飲み物は?・・」
「あっ同じものを・・・」
「はいよ!じゃぁ一杯サービスするよ」
「あっいいですよ!」
「貰っときな、貰っときな!原価は大したこたぁねぇんだからよ!」
「じゃぁ〇〇さんに付けとくか!」…「馬鹿野郎!」と飛び交う下町の会話
この雰囲気大好きだ!
親父さんがタバコを深く吸い込みゆっくりと吐き出しながら・・
「さっきいた娘ね・・・あの娘さぁ〜」
と自分の飲んでいるグラスを揺らしながらゆっくりと話し出した・・・
「デリヘルって言うの?ほらホテルに派遣されて行くやつ?・・やってんだって」
「そうなんですか」
「あの娘、京都の方から来たんだろ」と片付けをしながら店主が、言われてみれば、あの可愛らしい口調、アクセントは京言葉から感じられるものだったのかと納得がいく。
「苦労しているらしいぜ、パニック障害ってのがあってなかなか仕事が出来ないらしい、出生も複雑っていうか、赤ん坊の時に寺で引き取られ親の顔もしらねぇって・・」
「そうかよ!いつも何となく突っ張っているって言うかそれでもって寂しそうでな!」
「寺の子って言うらしいんだけどよ、寺が行政からいくらか貰って親代わりで面倒見てやるのがあるらしいな・・何人か同じ寺で生活して子がいたって言っていたよ」
「自分も人から聞いたり、テレビとかでも見たことありますよ!」
「色々、問題もあるんだってよ・・ちゃんと子供のためにやっている人もいればよ、その金欲しさに受け入れて、子供たちの面倒なんてろくに見ねぇやつとかよ・・・」
「全く無償で個人的に受け入れているお寺、お坊さんもいるみたいですね!テレビで何度か特集していましたけど、でも、あれは登校拒否とか、親子関係が上手くいかなくなった子とかが中心だったからちょっと違うかもしれないけど」
「あぁ見た、見た!(おじさん)とか言われている坊さんの奴な…学校の先生に怒鳴ってたよ!それでも担任かぁ〜!とか言ってよ!」
「そう言う、大人がいなきゃダメだよ!最近はすぐ体罰だとかよ!呼び捨てにするなとかよ!馬鹿野郎なんて言ったらどうのこうのってな」
「本当にその子の事が大切だと思ったら、時には罵声も浴びせれば、手も出ますよね!」
「そう、それが愛情だからね!昔はそうやって人の愛とか恩とかを感じて成長したんだよ!人の痛み、殴られた痛みとか殴った時の不快感を学ぶんだよな!この店なんか客にも馬鹿野郎とか言っちゃってよ、ぶっ飛ばしてんもな!(笑)」
「やってねぇよ!(笑)で、あの娘の寺は大丈夫だったのかい?」
「そうでもないらしいよ!いや、飯とかはちゃんと食わしてくれたらしいけど一緒に生活していた者同士のトラブルとかは見て見ぬふりっての・・・」
少し声のトーンを落とし・・・我々も頭を寄せ合わせるようにし・・・
「12歳だか、13歳だったかの時によ・・15と17歳の同じ寺で暮らす男二人によやられちゃってよ…坊主の奥さんに相談したんだって、そうしたら…フンって笑って、わかった、ちゃんと言っとくからって、で坊主がその男の子たち呼んで話しての聞いたらしいんだけどよ!‥お前らダメだよ!やるならちゃんとゴムつけてやれよ!・・
出来ちゃったとか言われたらお前らも出てってもらうよ!・・・
こっちは責任取らないよ!ってな事言ってたってよ!」
「何だそれ!」
「ひでぇなぁ〜!」
「その話を聞いて、もう1日も早くここ出ようと思ったってまだ13歳とかだよ」
「その後は大丈夫だったのかね?」
「極力寺には帰らないようにして友達の所行ったり、寺の外で寝たりしたらしいけど毎日ってわけにはいかねぇからな・・・その後も結構しつこかったって言ってたよ」
「やっぱり、ガキども反省もしてねぇって事だ・・なぁ〜」
「その坊さんの言い方じゃ指導でも、諭しでも、教育でも何でもないですもんね!」
「人を導く立場の人だろう、ありがたい人だろう、ガキも悪いが・・その坊主は最悪だ」
店主は怒り震えている様な少し涙ぐんでいるようにも見えた・・・
そして彼女は15歳になり中学を卒業すると同時に上京し東京のある運送会社の事務員として就職した。
元々真面目で学業成績も良かった彼女は仕事もどんどん覚え社員みんなから可愛がられた会社の寮(と言っても4畳半一間のおんぼろアパートだったそうだ)に住んでいたがよく社長の奥さんから呼ばれ一緒に買い物に行ったり社長宅に招かれ食事をご馳走になったりとても良くしてもらった、社長のまだ小さかった一人娘の面倒もよく見て「オネェちゃん!オネェちゃん!」ととても懐いてくれた、本当に妹ができたような気持ちになって給料をもらうと色々なものを買ってあげたり遊園地に連れて行ってあげたりもしてあげていたという。
彼女が17歳の時、会社の運転士でいつも優しく、陽気で色々揶揄ってくる四つ年上の男性と恋に落ちる。とても幸せな毎日だった、社長の奥さんに打ち明けるととても喜んで一緒に彼の弁当を作ったりもしてくれた。彼と社長の娘を連れて三人でディズニーランドに行ったのは最高の思い出だとニコニコしながら話していたそうだ。
彼には自分の生い立ちも話し、理解もして貰えていたそうだ。
ただ、あの忌まわしい出来事の事はなかなか言えず・・・ずっと心の中で燻っていた。
彼と付き合って2年目の記念日、何となく二人の会話の中に“結婚”というニュアンスが感じられるようになってきたこともあり、思い切ってあの出来事を打ち明けた・・・
彼は「そうか・・そんな事があったんだ・・・・」とだけいい、話を逸らすように仕事で行った地方の温泉と食堂の話をし、「今度行こうぜ」と・・・
その日を境に二人の間に距離感を感じるようになった、徐々に話も、目が合うことも減った。「終わったな・・・って思ったよ、笑っちゃうよね!」と悲しそうに・・・
「で、彼とは・・?」と親父さんが聞くと・・・
「それっきり!そんなもんやろ・・そこから本当に狂ったわ人生」と吐き捨てる様に…
その頃になると新しい事務の女の子が入り、その子に色々教えたりする事と自分の仕事と忙しくなる、真面目な彼女は手を抜く事ができない・・気持ちばっかりが焦りミスも増える・・・そしてある日、ちょっとしたミスからパニックになり過呼吸で倒れる。
そんな症状が続き、心配した社長の奥さんが病院へ連れて行ってくれた・・・
「パニック障害ですね・・・」
医師からそう言われるが自分の中ではよく理解できなかった・・
ただ怖かった、また呼吸ができなくなるのでは・・・
その恐怖は処方された薬では取り除く事はできなかった
バスや電車に乗る事も不安を感じる様になった
社長・奥さん・医者と相談し退社した・・・
「いつでも戻ってきて良いんだよ・・・」社長夫婦からの言葉は忘れられない
環境を変えようと社長から紹介された飲食店で働くもパニック障害は治らない
それからいくつもの仕事を転々とした・・・
ある人の紹介で夜スナックで働く事になった・・・
お酒が入ると少し気持ちが楽になった・・一つの不安が消えた様な感じだった
この仕事なら・・・そう思った、お客さんと話すのも楽しかった・・・
しかし、ある日、飛び込みで団体が入った、店はてんてこ舞いだ…その時
何も聞こえない、グルグルと周囲の景色が回っている、苦しい・・・
取り敢えず薬を飲み落ち着かせた、その日からスナックの仕事も怖くなった
そして、たどり着いたのが今のデリヘルだという・・・
親父さんとはそのスナックで知り合い、色々相談する様になったと言う・・・
今の仕事を決める時に親父さんは反対したが・・・
「うちだって昼間の仕事がしたいさ、もちろんスナックでも・・・だけどパニックが出たらみんなに迷惑かけるやろ・・それが嫌なの、怖いの・・・」
その時の彼女の訴え方は凄かった、腹の底からって感じの強さを感じたと親父さん・・
「何も言えなかくなっちゃってよう!」と俯き何度も頷く・・
「うちも今の仕事はやりたくてやっている仕事じゃないけどやらなきゃ生きていけん」
「まぁ・・・・うん・・・・」
「人は不潔だとか・・最低だとか・・売りだとかさぁ言うけどさぁ・・・人の物取ったり、騙したり、傷つけたり、裏切ったりするよりまともだと思っているし、綺麗事ばっかり言って、人の心や命を粗末にしている奴らより全然、うちの心は綺麗だよ!絶対!」
「そうだな、おねぇちゃんの言っている事は間違ってねえな・・・」
親父さんはこの娘に何かを教わった様な、気付かされたようなとしみじみと語った。
「やりたくない仕事だけど…お客さんには一生懸命接しているよ!」
「おぉ、そうか・・・」
「だって、ありがたいじゃん、理由はどうあれうちにお金使ってくれてるやん」
その言葉を聞いて親父さんはこの娘にできる限りのことを・・とは言っても話を聞くとか何か言ってやれる事があったら言ってやるとか、バカ言って和ませてやったりしてんだと、ちょっと照れくさそうに話していた。
「こんな自分やけど…いつか旦那と娘と手繋いで三人でディズニー行くのが夢やねん」
と話していたそうだ。
「娘か…娘ってのが・・・自分と重ねてんだろうな!」
自分が出来なかったこと、して欲しかったこと、自分の知らない家族の温かさを彼女は自ら作り上げて行くことを理想としているんだろうなと思った。
わずかな時間、ただ近くで耳に入ってきた会話の中にも大人びたと言うか悪い言い方をすれば「すれた」感じと、その真逆の純粋な本当に少女の様な可愛さを見せた彼女・・
様々な辛い、寂しい思い、経験から生まれた現実と憧れや理想・・・
彼女の奥底にある本当の優しさを見た様な・・・
あの親父さんや店主もそんな彼女の内面の美しさを感じ支えているんだろうと思った。
また、あの娘に会いたい、親父さんとのやりとりが聞きたい、出来るならその中に入って・・・・なんて思った。
それから数ヶ月が過ぎ、あの店に行ってみた
「お知らせ・・都合により閉店いたしました。長い間ご贔屓頂きありがとうございました。」との張り紙・・・その張り紙の右下に汚い字で(毎度、ありがとな!)とあった。
あの店主らしいなと思うと同時にものすごく大切なものを失った様な寂しさも感じた。
店主・親父さん・そしてあの娘は元気でいるだろうか?