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自分を見つめ直す事の難しさ
自分を見つめ直すって怖いよね
もしかしたら見つめ直す事で
自分が自分で考えてるよりも嫌な自分になってるかもしれないから
少し重い話をする
昔僕は、遊び人だった 男女関係なく性交渉もしたし
二股とかは、無いけど性に奔放な時期が20代後半ぐらいまであった
今の彼女?と知り合って
彼女がノンセクシャルだと知って自分なりに勉強をしてみる事にした。
そしてその頃僕は、バイセクシャルを自認していた。
勉強していく中で
「いつから僕は、バイセクシャルだったんだろうか?
生まれたときから?」
と言う事が気になったので、自分を見つめ直す事にした。
僕が、バイセクシャルになったのは、中学生の頃
同性の同級生と2人きりで遊んでるときに起きた性被からだった。
最後までは、してないけど。。。。
起きた事は、起きた事で関係を持った事実は、消えないし
友達だったので合意のもとだったって自分に言い聞かせ
記憶に蓋をした。
16年間
蓋をし続けた自分の人生の半分以上の時間に当たる時間その事を認められなかった。
自分が、合意の上でない性交渉をされた事実を同性から
そこからは、性被害者のその後を調べるようになった。
そして1つの答えが、見えてきた。
僕が、今まで性に奔放だったのは、それをする事でしか精神の安定を保てなかった自傷行為だったと言う事がわかった。
と言うか自分なりに納得させた
それがあまりにも自分の行動に当てはまるからきっとそうだったんだろうと思う
それに気づけたとき
なんか道が一気に広がったと同時に
16年分の痛みが一気に押し寄せた
自己嫌悪だったり自殺願望だったり
今は、落ち着いているがこれは、またいつか襲ってくる波みたいなものだと思う
そこからぼくは、
ノンセクシャルを自認するようになった
正直もう誰ともしたくは、無いと今は、思ってる
性に奔放な頃から行為自体に意味は、無いと思っていたし今もそれは、変わらない その行為=愛とは、思えない
それは、中学生の頃死んだんだと思う
そして意味も無いならする必要性も無いわけでする事が自傷行為にしかならないから
自分を見つめ直すと言う事ってこれほどまでに痛みを伴う事で
まー気づけたから良かったけど
なぜ、ノンセクシャルを自認したかの話になっちゃったな
続きは、またいつか