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人生を振り返ってみる①

初めまして!まいのこ社長です。

ダイエットblogのつもりで始めたnote。
書くのがめちゃめちゃ楽しくなってきたので、ダイエットから外れた記事も色々書きたい!

ということで、自己紹介を兼ねて、今までの人生の棚卸しをしてみます。
一体どんなやつが書いているのかを知っていただくことで、記事の説得力を高めたい!と思っております。

自分でハードル上げましたが、まぁただのアラフォーのおばさんです笑
でも遠回りや失敗など、経験は人よりちょこっと多い方ではあると思いますので、暇つぶしにぜひお付き合いください。

遡ること、大学受験。


私のコンプレックスのすべては、ここにあります。

小さい頃から生活の大半を占めていた芸事で、東京藝術大学を目指しました。他の国立・私立には一切目もくれず、一心不乱に藝大一点集中。

お察しの通り、1回目落ちます。

合格発表の後、上野の駅前、1人きりで3時間くらい泣いたことは今でも忘れられません。

当然、浪人決定。

ただ、藝大です。次で受かる保証は一切ありません。
ちょっと臆病になった私は、東京のある学校(専門ともいえない微妙なところ)に通いながら仮面浪人を選択。

いざ、2回目。散りました。

青春時代を捧げ、自分にはこの道しかない!と信じたものが、このザマ。
もうどうでもいいやー、なーんもしたくねぇーーーー。

と思っていたら、なんと妊娠。
あの時、ちゃんと逃げずに結婚してくれた主人には感謝しかありません。

華の藝大生になるつもりが、専業主婦です笑
人生なにが起こるかわかりませんね・・・。

そこから約7年、大学も出ず、就職もせず、家で子育て。
ちゃっかり2人目も生みました。

いよいよ働き始める

いよいよアラサーに差し掛かり、子供も幼稚園に行き始めたので、フィットネスクラブでパートを開始。

この時の私は、「なんとか今までの遅れを取り戻さないと!」の一心でした。パートではありましたが、将来のキャリアアップのためにセミナーに行ったり、資格を取ったり。

最初は扶養内で働いていましたが、資格取得と同時に時給が爆上がりし、気づいたら月30万ほど稼げるようになってきました。

「扶養から外れてしまったら、もうこのまま上がれるとこまで上がってやる!」

と4年半続けたパートを辞め、外資系保険会社のコンサルタントに転職。

初めての正社員

そりゃあもう嬉しかったです。
東京での研修、名刺を持つこと、スーツを着ること・・・。
大体の方は20代前半で経験することを、30過ぎて経験。

ノートの余白がなくなるくらい、商品の勉強、FPの資格の勉強しました。
勉強は好きな方なので、とにかく楽しかった記憶があります。

しかし!!!

分かってはいたものの、保険外交員、嫌われます。笑
忘れられない1件は、飛び込みで入った小さな青果店。

迷惑にならないように他にお客様がいないことを確認し、挨拶ついでに名刺を従業員さんに渡そうとしたところ・・・。
店主である70代後半の女性に、いきなり罵声を浴びせられ、雑巾投げつけられて追い出されました笑

飛び込み営業がちょっとトラウマになった私は、セミナー営業に方針転換。
ママや若い世代対象のマネーセミナーを開催。

「めっちゃ性に合ってる!」

知識を提供して、喜んでもらえる!
保険売れるか売れないかは、二の次でした。笑
私が保険会社で生き残っていくには、ここしかない!

集客をコンスタントにできるようになって、波に乗ってきたところでコロナ襲来。

病む、退職。
初正社員、約二年の短い命。

親戚縁者・友達には一切保険売らなかったので、辞めやすかったのは不幸中の幸いでした。

1年半、家に閉じこもりました。
ただ、何かしていないと焦燥感が襲ってきます。

さぁ何しよう・・・。

プログラミングスクール入学!

当時はプログラミングスクールがどんどん伸び始めたタイミング。
お値段は高額でしたが、このビッグウェーブに乗らないと!って感じでした。

今振り返ると、気持ちが病んでいる時は突拍子もないことするもんです笑

ただ、本当に突拍子もないことか?というとそうでもなくて、この時点で心のどこかに「起業したい」という芽が生まれていました。

起業をするならPCは使えたほうがいいし、プログラミング学んでおけば、プロダクトを作って起業みたいな道が開けるかな?

なーんていうふわっとした感じでしたが。

結論、これが人生の転機になりました。

3ヶ月朝から晩までPCに向かい、今となってはほとんど覚えていないRubyを必死で学び、さて卒業!

エンジニア転職を狙っていましたが、その時点で30代半ば。
30代未経験エンジニア、SESにしか書類引っかかりません。

エンジニアにこだわる必要ない!一応営業の経験もあるし、学んだことを少しでも使えるIT業界で、幅広く応募してみよう!

ナイス判断だったと思います。

赤坂のIT企業にカスタマーサクセスとして転職成功!

コロナ真っ只中、フルリモートの仕事に就けたのは本当に助かりました。
家で子供の面倒を見ながら働けることで、今までの遠回りが少し報われたような気がしました。

エンジニアではないけれど、エンジニアさんが話す技術的な内容を少しは理解できたので、スクールの経験は無駄じゃなかったと思います。

この頃から、独学でデザイン系の勉強も始めました。

できる事が増えるととても楽しいもんです。

一旦ここで人生の凪を迎えます。
大学に落ちたことがずーっと心に引っ掛かっていましたが、自分なりに必死にキャリアアップをしたことで、ちょっとはコンプレックスが和らいだ時期でした。

副業したくね?

仕事にも慣れ余裕がでてきたところで、長男の塾代がかかるタイミングがきました。

「塾代稼ぐぜ〜!!!」

ということで、プログラミング・デザインスクール営業の副業を始めました。

この頃、最高年収を叩き出します。
大学でていなくても、専業主婦からでも、ここまで来れるんだ!と自信満々だった時期ですね笑

退職してフリーランスに

私の悪い癖ですが、「ある程度できるようになったな」と思ってしまうと、一気に熱が冷めて次に挑戦したくなります。

そもそも「ある程度できるようになったな」という事自体が、大いに勘違いなことに後から気づくのですが笑

IT企業、社内は何の問題もないホワイト企業だったのですが、とんでもないモンスタークライアント企業を担当し、「ふざけんな!辞めてやる!」という勢いで退職。

上司から「少しだけでも残ってくれると嬉しい」という身に余るお言葉をいただき、業務委託の形態で契約を結び直し、ここからフリーランス開始です。
(今でもこの企業はお付き合いがあり、大事にしてもらっています。本当に感謝しかありません)

前述のプログラミング・デザインスクールの営業については、この時も続けていました。途中会社が変わったので、スクール2社経験してますね。(これについても今後記事にしたい)

フリーランスになったからには、年収青天井です。
がんばるぞー!!

・・・・・とはならなかった笑

なんか人生駆け足で色々詰め込んだせいか、疲れちゃったんですね。

毎日、自分の好きな時間に起きてダラダラ仕事する毎日。
年収なんか上がりません。

つづく・・・・










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