第454話 【一張羅とは?】大喜利なら「一本!」だったかも… どうやら天然は遺伝するみたいだ(書き直し集-その16)
※以下の記事は、昨年の5月に書いた記事を書き直した。
※なので「去年の」という場合は、今から数えると一昨年のことになる。
◆3年日記帳
去年の僕は、日記帳に、ボールペンで日記を書いていた。
分厚い日記帳で、1ページが3つに区切られている。
1冊で3年分、という『3年日記帳』だ。
同じ日にちが1ページにまとまる。そういうデザインなのだ。
3年とも書いた場合、上には1年前の今日の、その上には2年前の今日の日記がある。
3年目に入って少しして、僕は、その日記帳に書くことをやめた。
ノートパソコンを買って、このnoteを書くようになったからだ。
◆ネタ帳
このnoteのエッセイを書こうとして、書くことが浮かばないと、僕は、3年日記帳を見る。
ネタ帳のような扱いだ。
お察しかもしれないが、今日も、そのようにしてネタを拾った。
まず、ちょうど1年前の日記をみた。
娘が帰省した。しかし、娘はすぐ、京都へ行った。
ゆかりちゃんは、僕の話の腰を折った。
5回も・・・
とある。
その翌日をみた。
娘がテレビに出た!
「一張羅って、なんだと思いますか?」、という街頭インタビュアーの質問に対して、
「え~、『一張羅』でしょ~、ええっと~、・・・ふんどし?」
と、間抜けな答え。
この番組は全国ネット放送だ。つまり、全国に放送された。
とある。
娘、ド天然やん。
◆トイレットペーパー
そういえば、今日、トイレットペーパーを使おうとしたら、ペーパーが10㎝しか残っていなかった。
あとは、ペーパーの芯だけ。
これじゃあ、オシリは拭けない。10㎝では拭けない。
僕は、こういう、「次の人への配慮不足」が嫌いだ。
娘は、何度言っても改めなかった。
僕が迷惑、ということではない。
愛する家族が、そういう配慮に欠けた行為をするということ。
それがイヤなのだ。
それに、自宅で習慣化しておかないと、どこかでポロっと、地が出てしまう。
そう思って、口を酸っぱくしていったが、娘には馬耳東風だった。
この、次のトイレットペーパーをセットしない行為は、娘の悪癖だ。
・・・。
・・・ん?
今日、娘は東京にいる。
今年は、コロナウイルスのせいで帰省していない。
ということは、今日のトイレットペーパー10㎝残しは・・・
ゆかりちゃんだ!
◆遺伝だな
ふんどし、というド天然っぷり。
トイレットペーパー10㎝残し。
・・・遺伝だな。
「じょーじ~! きのこの里、買ってあるよ~~!」
今、断捨離中のゆかりちゃんが、奥の和室から叫んだ。
・・・。
どうやら、『きのこの山』か、『たけのこの里』が、買ってあるようだ。
あるいは、その両方かな?
僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。
◆〆
訳が、3つあって、書き直し集が続く。
訳は、省略するが、しかし、1年前の僕の文章は、ヒドイ。
まったくもって、良くない。
この文章も、また、来年になれば、「ヒドイ」と思うのだろうか?
それならそれで、成長しているという証だ。
そう捉えよう。
それにしても、ド天然記事は面白い。
何度も書き直して、最高のクオリティまで高めるのもアリかもしれない。
僕は、ド天然なゆかりちゃんが大好きなのだ。