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第123話 教育


僕は昔、教育に携わっていた。講師や先生ではなかったが、大学受験に挑む高校生とその親に、とても長く、そしてとても深く関わった。

7支社を統括するエリアマネージャーで、社内コンテストでは9連覇という圧倒的な結果も残した。

家庭をかえりみることのない【仕事人間】だった。1日16時間以上働き、月に休みは1日か2日くらい。それも会社から強制されてではなく、自ら喜んでそうしていたのだ。

やらされる仕事ではなく、自由にやる仕事というものは、遊び以上に面白い。ゲームやドラマやエンターテインメント以上に面白いのだ。

インターネットのない時代だった。ビジネス書や教育関連の本を大量に買って読んだし、自腹で教育訓練会社の研修を受け、自腹でリーダー研修合宿へ参加し、自腹で半年間の経営幹部トレーニングプログラム受講しと、これでもかと自己投資した。

部下の教育にも、金と時間を惜しまなかった。部下には仕事をさせず、1日の半分以上の時間を【勉強会】にあてた。

人を育てることに注力しまくった。


今はもう、教育には関わっていない。

・・・それでも捨てられない、名著がある。


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1番上の本だけは、最近買った本だ。昔の部下が「この本、本物ですよ」と教えてくれたのだ。

その、下に見え隠れする本たちは、教育業界に携わっていた時の僕を、救ってくれた【神々】のような本たちだ。

もし誰かに、1冊しか紹介できないのなら、僕は【神々】ではなく、この1番上の『山の学校は✕年✕組』著者:島居義侑 を選ぶ。

文庫本サイズで、定価は700円+税なのに、今、Amazonで検索したら中古品しかない。プレミアがついて900円で、1冊しか売っていないみたいだ。



◆僕の夢

僕は最近「やりたいことリスト100」を書いた。

なぜ書いたのか。

やりたいこと100とは。


・・・書きたい。

・・・書きたいが、話がぶれるので別の機会にする。


その「やりたいことリスト」の上位に【松下村塾】と書かれている。

松下村塾。ご存じ、吉田松陰が開いた塾だ。ここから、幕末や明治の英雄たちが生まれたのだ。

要するに僕は、死ぬまでに【塾】を運営したいのだ。

学習塾ではなく、将来、日本や世界のリーダーになる、そんな人材の土台作りに貢献したいのだ。

日本や世界のリーダーになりうる人材育成。大学受験ぐらいは楽勝でクリアーする。幸い僕は、大学受験のノウハウはあるし。そもそも学歴は重要ではないし。

松下村塾という名前で開塾するわけではない。今はまだ塾名は決まっていない。『じょーじ塾』にするかもしれない。「人材育成」の象徴として、やりたいことリストには、松下村塾と書いてあるだけだ。

* * *

しかし、『山の学校は✕年✕組』を読んで、僕のこの夢は1度ブッ飛んだ。

僕の理想の学校が、現実に、すでに、ある!?

いや、・・・僕の、理想以上じゃないか!


これなら大丈夫だ。そう思った。

僕が頑張らなくっても、こんな素晴らしい教育者がいるのなら、その方たちに任せればイイ。任せた方がイイ。

人生の晩年に、もし、ほんの少しでも関われたなら、そんな夢で充分だ。

そう考えた。


今は違う。同じような考えの塾があって良いと思うようになった。

学校にはできるけど、塾にできないことがあるように、

逆に、学校にできないことが、塾だとできるかもしれない。


志を同じくするものが、それぞれ頑張って、相乗効果を生んだってイイ。



◆体験

娘がイジメられる、という体験をした。

娘は、ゆかりちゃんとの娘ではない。僕の1度目の奥さんとの娘だ。


娘が、小学2年か3年だった。別れた元妻からSOSがあったのだ。「一緒に学校へ行ってほしい」と。

待ち合わせて、簡単に事情を聞くと、上履きを隠されたり、ランドセルにゴミを入れられたり、それらを見てニヤニヤされたり、というオーソドックスなイジメだった。

「これだから公立はダメ!」「担任はやる気ナシ!」「学年主任は教頭の顔色ばかりうかがっている!」

気の強い元妻が、頭から湯気が出るのでは?と思うほど、怒り狂っている。

「女親だけでは、どうしても甘く見られるの!」

僕まで、怒られているみたいな、そんな感じだ。

1言えば、65くらい返ってくることを結婚時代で熟知している僕は、何も言わずに、ただ受け止めた。受け止めたフリではあるが。


僕は、僕自身が小学生の時にイジメられた経験から「ほおっといても大丈夫」とか「気の強い娘だから、ま、イジメられるかもな」とか、そんな風に思っていた。

もし離婚していなかったなら、仕事を優先し、こうして学校へ行くこともなかったかもしれない。

何も、父親らしいことをしていないという負い目から、素直に、元妻の要望に従っていたのだ。

学校に着き、応接室みたいなところへ通された。

担任の女性の先生が来たが、顔が怒っている。これまで何度も、元妻とバチバチやりあった証だ。この眼は、モンスターペアレントを見る眼だ。

男性の学年主任が現れた。そいつは卑屈にペコペコしすぎで、そこに【本心】は無いと明らかだった。穏便に治めたいだけだ。

そして、教頭先生も加わった。他人事という顔だ。当人は【努めて冷静な表情】の、つもりだったのかもしれないが。

「これだけはまず、先に言わせてください。私は、いじめ問題は【イジメられる側にも問題がある】とは、決して考えてはいけない! これが大、大、大前提です! それは、心からそのように考えております!」

学年主任が、そのようにのたまわった。

元妻は、わが意を得たりという表情をしている。その後、くだらないやりとりを約15分間、僕は黙って聞いていた。

満を持す作戦だった。

ただ黙って待つと・・・。何も言わないと・・・。

その人は何を考えているのか、と

もしくは「なにか言えよ」と、いずれにせよ注目が集まるからだ。

元妻と担任が、敵対関係にあることは明らかで、それを学校側は「そんなことは一切ない」「お母さんは悪くない」と言いたいだけなのだ。

だが、具体的な解決策はない。

子どものイジメは狡猾だ。イジメられたからわかるが、大人たちに首謀者を見抜いたり、裁いたりなんか、絶対にできない。

解決なんて、できっこない。

子どもの世界からしか、見えないものがあるのだ。


責任がどっちとか、そんなのはどうでもいい。

娘が、結果的に、またスクスクと学校生活を謳歌してくれればいい。


僕は、満を持して、その重い口を開いた。(僕の『軽口』しか知らないゆかりちゃんは、この【重い口】を信じないかもしれない)


「ん、んん。・・・いいですか?」

間を置いた。


「娘も、悪いかもしれない」


(先生方の、言葉には出さないが「え?」という表情を確認)


「この問題は、親と学校が、・・・対立する必要はない! と考えます」

(紳士的に、ですます調だ)


「共に、子どもを育てましょう」

「そこで私から、1つだけお願いがあります」


(また間をあけて)


「子どもたちに、【卑怯】という概念を、教えてあげてほしい」

「卑怯ということは『最も恥ずかしいこと』なんだと、そう教えてほしい」


応接間には、大人が5人いた。

そのうち大人3名の【声にならない感動】を、その場の空気で確認した。


僕の横に座っている元妻の表情は(怖くて)確認できなかったが、漂うオーラからは(なにヌルイこと言ってんだよ)という、そんな罵声を感じた。


* * *


その数日後、また来てほしいと元妻から依頼があった。

イジメた子どもたちを、その母親たちが「謝らせたい」と言っていて、その儀式に父親も参加してほしい。そういう依頼だった。

「ただ居ればいいの。何も言わないで。余計なことは言わないで。男親が居る、というだけでいいの」と、要は、黙っていろと指示された。

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やはり、前回の僕の発言を、元妻はお気に召さなかったようだ。

実の娘のそばに居ないという負い目から、僕はその指示に完璧に従った。

当時は、「子どものケンカは、子ども自身が解決した方がイイ」「その方が、むしろイイ経験になる」と、思っていた。それが僕の自論だった。

だが、今は違う。


あれから約13年。

やはり、携わってはいなくても、それでも僕のアンテナに教育の情報は引っかかる。

考え方も、何度もアップデートした。

時代の変化も大きい。


娘は、あれ以来イジメられることはなかったようだ。

公立中学、公立高校と進み、6年間ブラスバンドでトランペットを頑張った。【ダメ金】というのが最高成績らしい。

そして早稲田大学に現役で合格した。

その努力に、頭がさがる。


僕も元妻も高卒だ。それも、田舎の進学校ですらない。

だが、学歴など、どうでもいいのだ。大切なのは、そんなもんじゃない。



◆結論

あの時の元妻の対応は、100点満点だったと思う。


全力で、わが子を守った。

100%わが子は悪くないと信じた。

学校が変わらなければ、転校や、引越しまで視野に入れて考えていた。

自分の、メリット・デメリットなんか度外視で、ただただ娘に寄り添った。損得も、プライドも、美学も、別れた夫にSOSを出す屈辱も、全部些末なことだったのだ。

全力で守った。

全力で守ってくれている。

確実に、そのまんま娘に伝わったと思う。


僕の自論で対処したならば、つまり「なんとかなる」とほっといたならば、娘は、もしかしたなら「居場所がない」と追い込まれたかもしれない。


元妻の、全力守り・全力肯定なら、学校がダメでも、自分には母がいると、そう思える。

そして、父も駆けつけてくれた。


「どうやら自分は大丈夫だ」


娘は、無意識レベルで、そう思えただろう。

大正解だ。大正解だった。今の僕は、そう思う。


* * *


僕が、教育に携わっていたとき、高校生や親に強烈に訴えたのことがある。

部下に、育ってほしいから、成長してほしいから、ゆえに強烈に訴えたことがある。

それは、ひとつの真実だ。


教わる側は「魚を欲しがるな」

教える側は「魚を与えるな」


「魚の釣り方を体得せよ」

「魚の釣り方を教えよ」


この真実だ。


幸せは、与えられない。

掴み方を教える。

いや、掴み方も教えられない。そのヒントなら教えられる。


そういうことなのだ。

そもそも「幸せ」とは、「人の数」だけある。

誰かの幸せが、その人の幸せとは限らない。


幸せの見つけ方も、掴み方も、そもそも幸せの定義も、己で見つけ、己で掴み、己で決めるしかない。



◆おまけ

とある、きっかけがあって、今日はこのような記事になった。


ほとんどを、ゆかりちゃんには語っているから、そう驚きはしないだろう。

ただ、たまに、・・・いや、ちょくちょく、・・・まてよ、しょっちゅう、ゆかりちゃんは僕の話を聞き流しているから、ひょっとかすると

「え~⁉ こんなことあったの~⁉」

と驚くかもしれない。


でも僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。



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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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