第221話 幼い僕は、賢かったのか、それともズルかったのか
どっかのオバちゃんが、僕と弟にプレゼントをくれた。
オバちゃんは、お母ちゃんの友だちみたいだ。
プレゼントしてくれたのは、車のオモチャだった。チョロQのようなオモチャだった。後輪を接地させたまま、かるく後ろに引く。すると、ゼンマイが巻かれ、手を放すと前方に、勢い良くダッシュする。
ただし、当時は昭和40年代だ。大きさは、チョロQのように小さくはなく、大きめのスマホくらいのサイズ感があった。子どもの手のひらから、大きくはみ出すサイズだ。
素材も、おそらくはブリキで、けっこう高価なオモチャだったはずだ。
◆僕は、どうしてもスポーツカーが欲しかった
僕と、1つ下の弟。僕は早生まれなので、学年では2つ違いだ。
オモチャの車は2台。
1台は、真っ赤なスポーツカー。
あとで知ることになるのだが、フェアレディZだ。今だに絶大なる人気を誇る、名車中の名車だ。幼い僕は、車名などはわかっちゃいないのだが、その車のデザインは、どこをどう見てもスポーツカーで、めっちゃ興奮した。
子どもでも「カッコイイ~!」と痺れる、素敵なデザインなのだ。
もう1台は、紺の大衆車。
これも、当時は知る由もなかったが、あれはサバンナGTだったはずだ。つまり本当は、こっちもスポーツカーなのだが、ボンネットも短いし、ヘッドライトが普通の丸4灯のデザインなのだ。実はこちらも、知る人ぞ知る、隠れた名車だ。
しかし、幼い僕には、大衆車にしか見えなかった。
◆「お兄ちゃんなんだから」という問題
さて、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」って言われたことはないだろうか?
あるいは、言ったことはないだろうか?
僕は、この幼いときに、すでに何度も言われていて、そして納得していなかったという記憶まである。
この、高価なオモチャ。これはお母ちゃんは、絶対に買ってはくれない。僕は、絶対に、赤いスポーツカーがイイ。こっちが欲しい。
だが、これまでのお母ちゃんの裁きは、「お兄ちゃんなんだからガマンしなさい」だ。もし、弟と取り合いになったら、一時的には僕が勝つが、弟がいつまでも泣いて抗議すれば、お母ちゃん裁きになってしまう。
「お兄ちゃんなんだからガマンしなさい」
って、絶対に、そうなってしまう。
僕は、瞬時に作戦を思いついた。
しかも、2段階作戦だ。
小学校に上がるまえだったから、5~6歳だ。僕は、天才だったのかもしれない。
◆みんな幸せの、素晴らしい作戦
僕が、瞬時に思いついた作戦は以下になる。
①まず弟に、どっちの車が欲しいか、ちゃんと質問する
②ないとは思うが、もし弟が、大衆車(本当はサバンナ)を選んだなら、それはそれで良し
③しかし、絶対に喜ばない 喜ぶと「そっちがイイ」と言い出しかねないから、ここは要注意だ
④弟が、赤いスポーツカーを選んだなら(きっとそうなる)、「おお、そうか」と、素直に渡す
⑤紺の大衆車をゲットしたことを、大げさに喜ぶ
⑥「そっちがイイ」と言い出したなら、しぶしぶ(ここも重要)交換に応じる
何度も言う。5歳か6歳の子どもが、人間の心理を読み、逆手に取る作戦を、瞬時に考え出したのだ。
僕は、天才だったのかもしれない。
◆作戦決行
弟は、予想通り、赤のスポーツカーが欲しいと言った。
(くっ、やはりそうか)と思いながらも表情には出さずに、「おお、そうか」と言って、赤いスポーツカーを、弟に渡した。
「絶対に、『やっぱりそっちがイイ』とか言うなよな~」と、意味深なことを言って、僕は、紺の地味な車を手にした。
そして、その瞬間から、歓喜、歓喜、歓喜、という演技だ。
「やった~! これ欲しかったんだ~! めっちゃカッコイイ~!! 痺れる~! コージは知らんだろうけど、これメッチャ速くてレースでも優勝してるんだぜ~! 良かった~! コージが『こっちがイイ』って言ったら、どうしようって思ってたんだ~!」
紺の大衆車(ホントはサバンナ)の地味なオモチャに、頬ずりまでした。
すると、コージが言った。
「そっちがイイ~」と。
キタ――(゚∀゚)――!!
やっと来た、その言葉!
でも、焦っちゃダメだ。「ええ~!?」っと渋る。「絶対に言うなって、いっただろ~」、ともったいぶる。
「そっちがイイ、そっちがイイ、そっちがイイ!!」
「しかたないなぁ」
と、あくまでもシブシブを演じた。
心の中でのみ、僕はガッツポーズしたのだ。表には出さなかった。
どんなに演じても、それでもコージが「僕は赤がイイ」という可能性もあるわけで、そのリスクをしょって、ドキドキしながらこの作戦に挑み、そして交換を成功させた僕は、非常に満足だった。
コージも幸せ。僕も幸せ。兄弟ケンカにならずに、お母ちゃんも幸せ。
結果としては、みんなが幸せになる、そんな作戦だった。
◆長年、ず~っと引きずっていた
僕は、この作戦を思いついた自分を「われながら賢いなぁ」と思った。
思ったのは、大人になってからではない。この、作戦成功の瞬間から思ったのだ。
と同時に、「オレって、ズルいなぁ」という自己嫌悪も浮かんだ。
だからなのか、以降、ずる賢く考えるのを、拒否することが、ときどきあった。小さな満足を手に入れたとしても、もっと小さいけれども、でもそのかわりに、ず~っと長~い年月、「オレって、ズルいなぁ」という、負い目を抱えているのだ。
賢さの発動に、ブレーキをかける。
そんな無意識が、常にあった気がする。深層心理に、ず~っと、あった気がする。
タイトル通りなのだが、幼い僕は『賢い』のか?
それとも、『ズルい』のか?
「ずる賢い」という意見は、身も蓋もないので、ご容赦いただきたい。
◆〆
昨日、久しぶりに、おばあちゃんとランチをした。
おばあちゃんとは、ゆかりちゃんのお母さんのことだ。ゆかりちゃんと3人でランチに行ったのだ。
食事中、僕は、おばちゃんの顔を、じっくりと拝見した。(ガン見した)
(ゆかりちゃんは、やがて、この顔になるんだなぁ)
(ならば、見慣れておこう)
と、なぜか、そう思ったのだ。
もちろん、口には出さないし、あとで、ゆかりちゃんに言うつもりもなかった。
そして、おばあちゃんのとなりに座っている、ゆかりちゃんへと視線を変えた。
ビックリした。
驚いた。
顔にシワがない! シワが、ナッシングー!
いや、冷静に考えれば、ないはずはない。だが、シワのたくさんある、おばあちゃんを見た後なので、まるで20代の女性かのように、ぜんぜん無いように感じたのだ。
(うわ! 顔、キレイ!)って、思ったのだ。
注:これは盛ってない。僕のこの記事のモットーは、『事実を書く』だから
おばあちゃんと別れ、自宅に帰ってから、僕はこのことを、ゆかりちゃんに説明した。
「おばあちゃん見たあと、ゆかりちゃんを見たら、シワがなくて、びっくりしたんだよ~」と。
「ああなるんやで~。よく見て、慣れとき~」と、ゆかりちゃんは、そういった。
僕が、(言葉にはしないでおこう)、と思ったセリフを、ゆかりちゃんが言葉にしたのだ。
なんか、ほっこりした。
ならば、今度、おばあちゃんと会ったら、おばあちゃんが頬を染めるくらい、ガン見したろう。
僕は、「ああなるんやで~。よく見て、慣れとき~」と言う、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。