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「承認欲求に囚われていないオレって、どう?」という承認欲求…


あなたは、
承認欲求の奴隷になっていませんか?


承認欲求を求め追及することに、何ら疑問がない人もいるでしょう。
承認欲求を満たし、幸せな人もいるでしょう。
承認欲求を手放したいのに、なかなか上手くいかない人もいるでしょう。


僕は、承認欲求が強かった。

激しく強いタイプではなかった。
しかし、僕の承認欲求は、とても根強かった。頑固だった。


* * *


妻のゆかりちゃんと出会ったのが41歳。
この頃の僕は、心の中でモガキ苦しみ、のたうち回っていたと思う。
承認欲求が満たされていなかったからだ。

もちろん、僕はそれを、言葉や態度には出さなかった。
僕は、承認されることだけが,イコール,素晴らしいことではない、と知っていたのだ。

僕は、相田みつをさんの作品集を購入し、熟読していたからだ。


* * *


僕は、30代前半に、相田みつをさんの作品に出合った。

相田みつをさんは、承認欲求を否定してはいなかった。
承認欲求だけという、「だけ」を否定していた。

相田みつをさんの晩年の作品、「じぶんの花を」

に、僕は心を打たれた。
同じタイトルの作品集もある。


この作品が、僕は今でも1番好きだ。

作品を見ると、「かわいい」と言いたくなる。
作品が、
文字が、
バランスが、
余白が、
タッチが、
全てが「かわいい」。

相田みつをさんの晩年の作品は、初期の作品より、より優しいと思う。


* * *


子供の時、僕は間取り図を描くことに夢中になった。
チラシの裏などに、間取り図を描きまくった。

ここまでは、ただ、描きたくて描いた。

実家の間取りに不満があった。それを解決したかった。
間取り図を描くと、幼い僕は、それを母に見せた。
そして、解説した。

「へぇ~」と言われた。「すごい」とも言われた。
よその家に行くと、その間取りを記憶するようになった。

母(本当は何でも「すごい」という母以外が良かったのだが)に、「この間取りは素晴らしい」と言われたくなっていた。

承認欲求が芽生えたのだ。

小学4年生が、何も学ばず調べもせずに描く間取り図は、わずか数か月で壁に当たった。似たような間取り図しか描けなくなったのだ。

母も、
3回くらいまでは「すごい」と言っていた。
10回くらいまでは、「こういうのを描くのが好きなんだね」と言った。「将来は設計士になるとイイね」とも言った。
15回を超えると、「はいはい」「ああ、イイね」と、ちゃんと見ず、軽く言うようになった。

似たり寄ったりのモノしか描けなかったから、幼いながらに僕も、「ちゃんと見て」とは言えなかった。
自分自身が、描いた間取り図にワクワクしていなかったし、母がワクワクするはずもないことを、心のどこかで当然だよなと思っていた。

そして僕は、間取り図を、ごくごくたまにしか描かなくなった。


* * *


時間も忘れて夢中になったのは、プラモデルを作った時だった。
小学5年生だったと思う。
プラモデルを作ることに夢中になり、気がついたら部屋が真っ暗だった。

この時、承認欲求はなかった。

ただ、作りたかった。
ただ、完成させたかった。

よくぞ完成させたという賞賛なんて求めていなかった。
母には逆に、「いつまで作っているの! ご飯だよ!」と叱られた。スーパーカーを作っていたから、母が興味関心を抱かないことは分かっていた。


しかし。
完成させたときには、得体の知れない満足感があった。

心の中で、自分で自分を褒めていたのだと思う。

言語ではなかった。
自分で自分を褒めていたは、少し違うかもしれない。

完成させた自分に酔っていた。こっちが近いかも。


この、10歳の記憶を最後に、僕は承認欲求の世界に入ってしまった。
承認欲求だけの世界に。

僕は、「自分がどう思うか」を、どんどん捨て始めるのだ。


* * *


あの人にどう思われるのか。
他人にどう思われているのか。
周りにどう見られているか。

認められているのか、否定されているのか。
一目置かれているのかさげすまれているのか。

自分がどう思うか、がドンドン減った。

自分がどう思うかを見つめてみても、自分はこう思っているのだ。
「アイツにどう思われたかな」
「あの子にどう思われているのかな」
「先生は僕をどう思っているのかな」

それが僕の、心の中だった。
他者基準の僕が、完成されていたのだと思う。

その他者基準をドンドン増しながら、僕は年齢を重ねた。

30代後半になると、自分基準を持つべきだと考えた。
1つだけ意地を張った。

僕は葛藤した。

「それってただの自己満足じゃないか」
「それで構わない」

「嘘つけ。自分でもミジメだって思っているだろ」
「うっ……」

「評価って他者がするものだぜ」
「知ってるけど、そんなのクソ喰らえだ」


承認欲求は厄介だった。

「承認欲求に囚われていないオレって、どう?」という、変な承認欲求が現れたりした。


* * *


53歳のとき、アドラー心理学を知った。
岸見一郎氏、古賀史健氏の共著『嫌われる勇気』を読んだ。


この本との出会いによって、僕は肚を括った。

「じぶんの花を」

と。


30代の頃、心に引っかかった言葉(作品)に、やっと……。
53歳で、やっと、「他者基準なんてどうでもいい」と肚を括った。


* * *


今の僕の目標? ライバルかな? それは、小学5年生の僕だ。
夢中になって、時を忘れてプラモデルを作っていた僕だ。

僕は、自分の心に素直になる。

夢中になって、夢中の中で生きる。
そして、僕の花を咲かせるのだ。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1587話です
※僕は、ゆかりちゃんが大好きです

PS

私、奈星 丞持(なせ じょーじ)は、note創作大賞2024に応募しました。
恋愛小説です。
タイトルは『恋の賭け、成立条件緩和中』です。

こちら ↓ です。

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