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草薙龍瞬さんの『反応しない練習』を読んで、正しさを捨てませんか?
チェーンナーさんの記事で知ったnote勉強会。
テーマは、
『嫌なこと言われた時』
です。
これまで、6記事書きました。
7記事目です。
最初から読む場合は、マガジンの固定記事からどうぞ。
・愛か攻撃か
「コラーッ!」と叱られました。これは攻撃でしょうか?
小学生の下校時。僕と友だちの4人は、何かしら遊びながら歩きました。
横に広がって歩き、そこに車が近づいてきたのです。
それを目撃した近所のオジサンが、「コラーッ!」と、大声で僕たちを叱りました。車の運転手が怒鳴ったのではありません。庭いじりをしていて、たまたま目撃したオジサンです。
僕は、愛ある叱責だったと思います。
子ども心にも、僕たちの安全を考えてのことだと、ちゃんと伝わりました。
「じょーじさん、あたりまえですよ」と思いましたか?
では、質問です。
歩道のない生活道路で、大人4名が広がって歩いています。
あなたは「コラーッ!」と叱りますか?
もしくは、
優しく丁寧な言い方で、「後ろから車が来ますから危ないし、迷惑ですよ」と、声をかけますか?
99%の方が、見て見ぬふりをしますよね。
攻撃したと思われて、反撃されてもバカバカしいから
というのが、見て見ぬふりをする理由なのでは?
愛ある叱責や、愛ある丁寧な注意喚起の言葉も、
「偉そうに正論を振りかざし注意してきやがった」と、解釈されかねない。
攻撃と取られかねない。
いろんな人がいますので、致し方ない判断でしょう。
昭和50年代の田舎の常識は、通用しません。
ここで、押さえておくべきは、
愛ある発言と、攻撃は、紙一重(よく似ている)という点です。
・異なる意見か攻撃か
一昨日、聞き終えた本があります。
コチラです。
僕は、Amazonオーディブルで聞きました。
一部を、ご紹介します。記憶を頼りに活字化しますので、正確な文字起こしではありません。
主人公のリョウは、会議で「業務や作業の無駄を排除するべき」と提案しました。
【残業を減らす】というのが会議のテーマです。
タイムカードを打刻して、サービス残業をする(させる)という方法も、さすがにもう「よろしくない」と会社が判断したのです。
しかし、リョウにライバル心を燃やす同期のツヨシが、こう言ったのです。
「っけ! 排除できる業務なんてない」と。
リョウはカッとしました。反論しようと息を吸ったとき、常に売上げトップのユウが、こう言ったのです。(ユウも同期)
「なるほど~。ツヨシは、排除できる業務なんて無いって、考えているんだ~」
リョウは動揺します。ユウはツヨシの味方なのか、と思ったのです。
ツヨシは「そうなんだ。現状の業務に無駄なんてない。ムリヤリ業務を制限したなら、今の売上は維持できないよ。間違いなく売上げが下がる」と熱弁します。
リョウは、自分の意見を否定されて、怒りを感じます。
にもかかわらず、またしてもユウが、
「うん。なるほど。今の売上げは維持できない、売上げが下がるって思うんだ~」と言いました。
リョウは、ユウにまで否定され、意気消沈します。
ユウが、続けて言いました。
「ツヨシの考えは分かった。なるほど。…でも、僕は違う意見なんだ。僕はリョウと同じで、業務を抜本的に見直した方がイイと思うんだ。見直して、ツヨシの言う通りに、無駄な業務は見つからないかもしれない。でも、1度キチンと見直してみるのは、必要じゃないかな」
リョウは驚きました。
ユウが、自分と同じ意見だったことに。
そして、反対意見に対し冷静だったことに。
さらに、ツヨシが自分の反対意見を受け入れていることに。
この章は、
アドラー心理学では、
「自分と異なる意見を攻撃とみなさない」
「相手と異なる意見を言うことを怖れない」
と教えている。
と、結んでしました。
ちょっと前までは、
「○○だよね~」
「う~ん。僕はそうは思わない」
と言うと、「空気読め」とか「共感力ない」などと言われたりします。
え? 誰に?
妻のゆかりちゃんにです。
このケースは、僕も悪い。
「なるほど。ゆかりちゃんはそう思うんだね~」という、ゆかりちゃんの意見を、ちゃんと受け取ったというリアクションを省いていますから。
お分かりかと思うのですが、僕には攻撃や否定や非難の意図はありません。
ただ、素直な感想を言っただけです。
こんなこともありました。
ある朝。トイレから出た僕は着替えようと思いました。
が、先に歯磨きをし洗面台を、ゆかりちゃんに明け渡した方がイイかも、と思いなおしたのです。
「あ、先に歯磨きした方がイイよね」
と、ゆかりちゃんに言いました。
「うん、そうね♡」とか、「うん、ありがとう♡」とか、「うん♡」と返ってくるものと思っての発言です。
返ってきた言葉は、思いのほか長く、
「あなたに先に洗面台を使って、終えて欲しくて、空けて待っていましたけど! そうして下さい。そうしてくれないと困る」
というものだったのです。
僕は、念のため確認しました。
「今の言葉、『攻撃』に感じたけど、攻撃?」と。
「は~? (何言ってんの)当り前じゃない! (聞こえてなかったの?)使いたいのに使わずに待っていたのよ!」
攻撃かな?と思って確認したなら、攻撃だったという実例です。笑。
・大谷翔平さん
昨日の記事にも貼りました。
ぜひ見て欲しい。
この”毒舌野球ジャーナリスト”のスミスさんは、2021年のシーズン中盤で、
「メジャーを代表する選手が通訳を必要とするとは、野球界に害をなす」
「TVや球場で観戦する観客のことを考えると、その1番の顔が、通訳を必要とする男だというのはマズイんじゃないか?」
と言ってしまいました。
人種差別発言だと、大炎上します。
謝罪文を掲載することになりました。
大谷選手は、2021年MVPを獲得します。
明けて2022年。雑誌のインタビューで、このスミス氏の発言について感想を訊ねられました。
「もちろん英語を話せるならそうしたい。英語を話せるようになって損はないと思う。そこから生まれるのはポジティブなものだけでしょう」
「でも、僕は野球をするためにここに来た。だから”フィールド上でのプレー”が、色んな人々やファンとのコミュニケーションになると思っています」
「それが、最終的に僕が得た全てですね」
大谷選手は、スミス氏の発言を『攻撃』とは受け取っていなかったのです。
スミス氏から、「メジャーの顔」と評されたことについては、
「そう呼ばれることは嬉しく思う」
「僕は、最高の選手になるためにここに来たので、そう呼ばれることでモチベーションも高まる」
と、このように答えているのです。
人間ができている?
やさしい?
寛大?
心が広い?
全てそうかもしれません。
しかし、事の本質は『課題の分離』を行なっているのです。
・課題の分離
課題の分離については、詳しくは、アドラー心理学の書籍に譲ります。
大谷選手とジャーナリストスミス氏の会話を使って、解説します。
スミス氏の、
「メジャーを代表する選手が通訳を必要とするとは、野球界に害をなす」
「TVや球場で観戦する観客のことを考えると、その1番の顔が、通訳を必要とする男だというのはマズイんじゃないか?」
この発言を、(おそらく)大谷選手は、「彼の感想」と受け取ったのです。
スミス氏
「僕は、メジャーを代表する選手が通訳を必要とするとは、野球界に害をなす、と思うんだよなぁ」
「TVや球場で観戦する観客のことを考えると、その1番の顔が、通訳を必要とする男だというのはマズイんじゃないか?って思うんだよ~」
大谷選手
「OKスミスさん、なるほど~。もちろん英語を話せるならそうしたい。英語を話せるようになって損はないと思う。そこから生まれるのはポジティブなものだけでしょう」
「でも、僕は野球をするためにここに来たんです。だから”フィールド上でのプレー”が、色んな人々やファンとのコミュニケーションになると思っています」
「僕は、そう考えているので、最重要なのはプレーで、そのためのトレーニングです。でも、英語も話せるようになるようトライしますよ」
太字は僕の創作ですが、会話として、成立していませんか?
発言者が、攻撃の意図で言ったのか、そうではなかったのか。
これは、受信者の課題ではありません。
真意も、発言者しか知り得ません。
受信者の課題は、攻撃と取るか、攻撃ではなく単なる意見や感想と取るか。
これが受信者の課題です。
真意など、どうでもイイのです。
自分が選べばいい。
攻撃と取って、腹を立てるのも自由。
攻撃と取って、凹むのも自由。
単なる感想(意見)と取って、「へ~」と流すのも自由。
単なる感想(意見)と取って、「なるほど~」と受け取るのも自由。
あなたは、一戸建派ですか?
それとも、マンション派?
違う意見の人と、ケンカするのですか?
あ、これでケンカしている人もいるかも。
例えを変えます。
あなたは、赤が好きな色です。
友だちが、「青が好き」と言ったとき、否定されたと取ります?
友だちが何色を好きでも自由で、
あなたが何色を好きでも自由ですよね。
・『1つの正しさ(正解)』があると思っている
僕は、アドラー心理学を知るまえに、草薙龍瞬さんの『反応しない練習』を読みました。
Amazonオーディブルで、10回以上聞きました。
この本で叩き込まれたのが、「正しさなんてない」です。
あるのは、『その人の(脳内での)正しさ』だけです。
あなたの目の前には、あなたの意見と真逆の人がいます。
あなたは、その人の考えが間違っていると思います。
しかし、
あなたが、その人と同じ環境で、同じ年月生きたなら?
あなたの親が、その人の両親で。つまり、その人と同じ遺伝子で生まれて、です。
その場合は、あなたであっても、目の前の人と同じ意見を持ちます。
同じ考えになるのです。
つまり、この日本には、約1億の正しさがあります。
世界には、何十億の正しさがあります。
人の数だけ正しさがある。
国も同じです。
A国にはA国の正しさがあり、B国にはB国の正しさがあります。
「それが戦争だよ」と、ドラえもんが教えてくれています。
国の数だけ正しさがある。
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この前提があれば、
自分と異なる意見を『攻撃』とみなすことはないでしょう。
転じて、
相手と異なる意見を言うことも、別段怖くはなくなります。
攻撃しているつもりがないですから。
そして、攻撃しているつもりがないのに、「攻撃した」ととられます。
僕は、このヘマをときにやらかします。
明日は、ここに触れます。
・〆
明日こそ、アドラー心理学の記事を、一旦締めくくろうと思います。
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
チャオ!
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1079話です
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