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stand.fmを聴いて、大掛かりなGoogle社内調査からの、ケンカの原因を言語化

今朝、umiさんのstand.fmを聴きました。
未聴だった2つを一気に聴きました。

なんと!
2つとも、僕に気づきをくださったのです!

1つは、ビジネスアイディアをより具体的に想像するキッカケになりました。

もう1つは、この記事にします。僕の思考が、上手く言語化できそうなのです。僕のケンカの原因が分かった気がします。

◆umiさんのstand.fm

記事にするのはコチラのラジです。

1.僕が参考になったの部分

以下、僕が参考になったの部分を箇条書きして行きます。
umiさんのトークを省略してしまいますので、ぜひstand.fmをお聴きください。
では、箇条書きです。

  • 最近の経営学には『心理的安全性』という概念がある

  • この概念は、Google社の大掛かりな社内調査もあり注目された

  • 『心理的安全性の高いチーム』は成果を上げる

  • 『心理的安全性の低いチーム』は成果を上げにくい


2.心理的安全性が高いチームの条件

  • 問題提起や意義を唱えても仲間やリーダーがしっかりと受け止めてくれる

  • このチームでは何を言っても安全と思える


3.心理的安全性が低いチームの特徴

  • 発言を、無視される

  • 頭ごなしに否定される

  • 嘲笑ちょうしょうされる(バカにされたように笑われる)

  • (だから)誰もが黙りがち

  • (だから)新しい発想やイノベーションが生まれない

イノベーション:物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」のこと

引用:Wikipedia


4.安全性の高いチームとぬるいチームは別物

  • ぬるいチームは、求められる仕事の水準が低い

  • 居心地は良いが、充実感や自己成長感はない

  • 要求水準が高くかつ安全性の高いチームには、健全な衝突が起こる

  • 組織としての学習がうながされ、優れた成果を上げやすい

以上のことが、僕の脳を刺激しました。


◆僕にとって議論は娯楽

分かる方には分かると思います。
分からない方には全然分からないと思います。

議論は、議論好きにとっては娯楽なのです。
楽しいのです。
僕は大の議論好きです。真剣な喧々諤々けんけんがくがくの議論は、ちょっとしたエンターテイメントです。

しかし、そのような議論は、はたからはケンカに見えるようです。
「ケンカなんかするなよぉ~」とか「ちょっと、ちょっと、冷静に」などと、しょっちゅう止められたり心配されたりします。

キングコング西野さんが、「ロザンの菅さんと話していると、周りがケンカと勘違いする」と言っていました。

世の中には、こういう議論好きがいます。

僕は、ディベートも大好きです。ディベートとは本人の主義主張ではなく、あえて異なる立場に分かれて議論することです。
2人とも『賛成』では議論になりませんので、あえて反対の立場に立って意見を言ってみる。それに対して、的確な反論がなされるのかさらにレベルの高い意見になるだろうか、そんなことを楽しみます。

自分にはない思考を知ることもできます。自分の論理が甘いことにも気づけます。
勉強になるのです。


◆僕はまだ真の議論好きではない

真剣に議論することと、感情的になってケンカするのは、似て非なるものです。
僕は、論破したときの快感も求める傾向があります。

A案、B案で議論し場合、より深い納得とか、より良いC案D案が生まれることが議論の目的です。
しかし僕は、途中から「自分の意見が正しい」という結論ありきで、理屈を言い出すクセがあります。

議論から、説得に変わってしまう
そんな悪いクセがあります。
僕は、ここを改めなければ真の議論好きとは言えません。


◆僕が妻とケンカする理由を言語化

妻のゆかりちゃんだけではありません。
一昨日おとといの先輩とのケンカもそうです。

僕は、会話の相手が大好きな人の場合、
安全性が高く、かつ、レベルの高い会話】
というものを、無意識に求めていました。

求めているというよりも「そうあってしかるべきだ」と思っていました。

無視されたりすると安全性を感じなくて、僕は哀しくなり怒ります。
会話のレベルが低いとガッカリして、僕は怒ります。
そんな僕の深層心理を、見つけてしまいました。

仕事以外の時間でも休日でも、Google社内のようなマインドだったのです。
いつもではありませんが、意見がぶつかったときに議論モードのスイッチがONになります。

家庭内での雑談で、こんなふうに議論を吹っ掛けられたなら、ゆかりちゃんにしてみたら溜まったもんじゃありません。
酒の席で真剣な議論など想像もできなくて、先輩はまさに青天の霹靂へきれきだったでしょう。


◆僕が気をつけること

僕が2度とケンカをしないために、気をつけることを言語化できそうです。

  • 議論好きは『少数派』なのだと心と脳に刻む

  • 議論好きではない人に、決して議論を仕向けない

  • その人はそう思っているという事実を尊重する

  • 議論好き同士であっても、議論嫌いの人が同席している場合は行なわない

  • 結論ありきの議論をしない(それは『独演会』で語るべきことだ)

  • 真剣になるのは、論理の説明と、相手に理解してもらうための言葉の選択

  • 論破することを目的にしてはいけない(勝ち負けではない)

  • 僕は、大好きな人に議論を始めてしまうクセがあると自覚し、気をつける

  • 負けず嫌いは議論に不要(負けず嫌いは人生にも不要なのかもしれない)


◆umiさんのもう1つのstand.fm

もう1つはコチラです。

こちらからも気づきを得ましたが、こちらは記事にしません。
まだ、絵に描いた餅といった、そんなアイディアですので……。


◆umiさんのnote(プロフィール記事)


僕は、このプロフィール記事の、

400㏄のスズキのバイクに乗っていたことがあります。ただひどい方向音痴、加えて地図が苦手。

ここを読んでハラハラドキドキしました。


◆感情も綴って…

朝、stand.fmを聴いて気づきを得て
それを説明して、
自分の思考も言語化して説明する。

エッセイには、感情も加えた方が良いですよね。

この感情は複雑なんです。

「じょーじ、54歳、まだまだアカンなぁ」という情けない気持ち。
「こんなにキチンと思考を言語化できて、われながら凄いなぁ」という自画自賛。

ケンカしてしまった後味の悪さ。
申し訳なさ。
まだ完全に消しきれていない「僕は間違っていない」という、どうしようもない子どもじみた負けず嫌いという性根のようなもの。
そんなのは「くだらない」と思うのに、0.00000001グラム残っている気がする…。
ああ、なんって情けないんだ。
でも、反省し、言語化し、改める為の1歩を踏み出したオレ。偉いじゃん。

ふん。その程度で「偉い」って? アホか!

このように感情はグチャグチャです。
ですが、今書いたなら、少しスッキリしてきました。


◆〆

ゆかりちゃんはバイクには乗れません。
地図も読めません。

でも、方向にはモノ凄い正確さを発揮します。
どこに行っても正確な方向を示すのです。

それは、驚くほど正確です。
方向音痴の逆です。
方向プロシンガーです。

音痴の対義語って無いみたいですね~。


僕は、ゆかりちゃんが大好きです。




おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第656話です


PS.僕の初のKindle本『いいかい、タケルくん』です!


ご一読いただけたら幸いです。

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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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