第451話 「お土産は要らない」という人がいて、アドラー心理学を根幹に自分の言動を整えた
◆53歳で起こったパラダイムシフト
『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』は、ともに岸見一郎氏と古賀史健氏の共著だ。
僕は、この本を読んで、アドラー心理学を知った。
この2冊は、僕の人生を「ガラッ」と変えた。
パラダイムシフトとは、「価値観の大転換」という意味だが、正に、僕の価値観が大きく、かつ、劇的に変わった。
まだ、パラダイムシフトしたばかりなので、僕の脳内の整理が、完了していない。
言語化を試みると、脳内の整理が進む。
脳内の整理が、進む場合が多い。
はじめての試みだが、このnoteの記事で、
『言語化』→『脳内整理』
と、本当にそうなるのか実験してみたい。
脳内で、かなりモヤモヤしていて、でも、遠くに灯りが見えた気がして、もしかするとスッキリするかも、というテーマを、ここで思考してみる。
リアルタイム思考記事だ。
逆か?
記事を書きながら、思考の整理に挑む。
◆お土産①
お土産は旅行先で買ったり、久しぶりに友人に会う時に、手土産を買ったりする。
「これ美味しいから、あの人にも食べて欲しいなぁ」
「きっと喜んでくれると思うなぁ」
そんな想いで購入する。
ならば、
普段から「お土産は要らない」という友人には、買わないことが優しさになる(?)、のだろうか?
◆お土産②
「Aさんに買って、Bさんに買わないわけには、いかないよなぁ~」と、
そう思って購入するお土産は、【忖度お土】だ。
これは、アドラーなら「あなたは、見返りの世界観で生きているのですね」と、指摘するだろう。
このとき、Bさんに『お土産を購入した理由』は、純粋なプレゼントではない。
(気を使ったので、私のことを嫌ったり、攻撃したりしないでね)という、お土産の『対価』を期待している。
◆お土産③
Aさん、Bさん、Cさん、の3人に久しぶりに会う。(とする)
Aさん、Bさんは、手土産を喜ぶ人。
Cさんは、「お土産は要らない」と、日ごろから公言している人。
このとき、Cさんの目の前で、堂々と、Aさん、Bさんに、お土産を渡すか?
それとも、こっそり渡すか?
堂々と渡した場合、Cさんは、ホンの少しも気分を害さないのか? 寂しく感じたりしないのか?
よし、自分が「お土産をいただく側」になって想像してみよう。
自分は、美味しいお土産は『嬉しい派』なので、なかなか『要らない派』の気持ちになり切れない。
そこで、お土産の品を【木彫りの置物】として、思考してみよう。
木彫りの熊も、ミニトーテムポールも、人形も、僕は一切要らない。いただいたら迷惑千万だ。
おお、周りのみんなそれぞれに、【木彫りの置物】が配られて、みんなが「嬉しい~!」と言っていても、僕は、まったくもって平気だ。
本当に要らないから、堂々と渡してもらって構わないなぁ。
◆美味しいお菓子でも要らないのか?
差し入れを「やめて!」というキンコン西野さん。
その理由には、すごく納得した。
西野さんは、たとえ、美味しいお菓子でも、要らないのだ。
たくさんのファンが、西野さんに手土産を渡したなら、どうなるか?
重い、
かさばる、
食べきれない、
もったいない、
食べ物を粗末にしたという罪悪感を抱く、
そのお土産の処分に時間を奪われる、
などなど、迷惑だらけだ。
このような心配やシチュエーションが、はたして一般人にもあるか?
ちなみに僕には、そのような経験はない。
精神的負担が、あるだろうか?
(もらってばかりで悪いなぁ)という負担。
それを解消するために、『お返し』を買うという行為が、なかなかな負担。
(主に、時間を消費するという負担)
だから要らない? ・・・のかな?
ん。
そうか!
「要らない」と言っている人が、「なぜ、要らないのか」という分析も、
「本心か否か」という詮索も、
すべて、要らないんだ!
理由がなんであれ、「要らない」と言っているのだから・・・。
そのことを、「そのまま尊重」すればイイんだ!
真意や理由の詮索は、きっと「余計なお世話」だ。
「ほっといてちょうだい」と思っているかもしれない。ならば、ほっといてあげよう。
他者を、完全に理解することは不可能だ。
理解できると思っていたことが、おこがましいのかもしれない。
◆結論
①世の中には「お土産は要らない」という人がいる。
②その人に、お土産を買う必要はない。
③その人の前で、別の人にお土産を渡しても、失礼でも無礼でもない。NO問題で、まったく構わない。
④その人の、真意や理由などを探るのは、下衆の勘繰りにあたる。
⑤他者は、完全に理解できるものではない。
⑥理解できなくても、尊重はできる。
◆まだ続く
やはり、書くと思考がまとまる。整理できる。
でも、まだ続く。
今度は、『プレゼント』だ。もしくは『開店祝い』だ。
こちらは、遠くに【灯り】が見ていない。
真っ暗闇だ。
はたして、書いてゆけば、モヤモヤが晴れてスッキリするのだろうか。
また、トライしてみよう。
◆〆
昔、クイズダービーというTV番組があった。
竹下景子さんは「三択の女王」と呼ばれた。
ゆかりちゃんは、「忖度の女王」かもしれない。
このダジャレは面白いだろうか?
意外と、ゆかりちゃんは爆笑するかもしれない。
僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。