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第280話 努力ってカッコイイ? カッコ悪い?
ふと、思い出した。
思春期のころの僕は、努力しない方がカッコイイと思っていた。
◆中学時代
成績は、数学と理科が5、他は4だった。英語の辞書を引いたことがなく、5、4、3と、学年が上がるにしたがって成績を下げた。
予習・復習をしたことがないし、テスト勉強もしなかった。
それでも、ド田舎の、学年20人の中学では、成績は1位か2位だった。授業を聞いていれば、テストはなんとかなった。
僕は、努力してないのに、それでも成績が良いことを、メッチャ気に入っていた。
同じころ、遠く離れて1学年上のゆかりちゃんは、校庭を飛び回るトンボを見ていて、パーセントと小数点の授業を聞いていなかったハズだ。(想像)
◆高校生時代
中学時代と同じように努力しなかった。それでも何とかなると、高を括っていた。
しかも、授業中に、寝ることをおぼえた。
行きは30分、帰りは1時間という、自転車通学。つまり、帰り道は上り坂が、ず~っと続くのだ。ちなみに、僕の出身中学生で、自転車通学者は皆無だった。
僕のようなガリガリの、ゆかりちゃんに言わせれば「のび太君」みたいなヤツが、すぐに値を上げるかと思いきや、ず~っと自転車通学しているので、バス通学だった同級生も、2年生くらいからは自転車通学するようになった。
後輩たちは、普通に自転車通学するようになり、その先駆者が、実は僕だったのだ。
ちなみに、僕が自転車通学に拘ったのは、ドロップハンドルの自転車に憧れたから。
自宅と中学が近く、自転車を買ってもらえなかった。遠くから通学する同級生は、セミドロップの、カッコイイ自転車で通学していて、ものすごく羨ましかったのだ。
体操部の練習を8時まで行ない、1時間坂道を登って帰宅。
それでも、高校生だから早寝などはしない。TVやマンガなどを見て、夜更かしが習慣となった。
自然と授業中眠くなり、クラスに46人もいるから、寝るヤツもいて、僕も授業中寝るようになった。
そしてすぐに、クラスで、授業中に1番寝るヤツになった。
それでもなお、テスト勉強しなかった。なんとかなると思っていた。
数学と理科は、なんとかなったが、それ以外はボロボロだった。総合で、クラスの真ん中くらいかと思ったら、下から3番目だった。
ビックリした。
僕のすぐ下に、クラスの人気者のヨッチがいて、僕らはビリ争いをするようになる。
良い点を取ると「裏切者~」と、お決まりのツッコミを入れる。
そして、「オレたちより下って、誰だ?」と、それはそれは、楽しい青春だった。
僕もヨッチも、努力ゼロなのだ。
お互いに、頑張ればできると思っていた。頑張っていないだけと、そいう逃げ道があった。
同じころ、遠く離れて、1学年上のゆかりちゃんは、体育の授業をサボり、となりのクラスの他人の弁当を、勝手に食べていた。(事実)
◆中学時代の心理
努力していないのに成績が良いというは、僕のくだらない優越感を育てた。
僕の姉ちゃんが、超努力の人だった。同じ土俵で、僕も超絶な努力をしない限り、絶対に勝てっこないのだ。すごい努力量なのだ。
姉ちゃんは、オール5の人間で、テストでは、全教科満点を目標とする人間だ。思想が高いのだ。
うちは貧乏だったから、姉ちゃんは図書館によく行って、「小学校の図書館の本は全部読んだ」と言っていたが、ウソとか冗談とは思えなかった。
中学生で『赤と黒』とかを読んでいて、「罪と罰がおもしろい」などのたまわっていた。
弟たちがうるさいからと、早く就寝して深夜に起き、夜中から朝までを勉強時間とする習慣を、中高の6年間続けたのだ。
その姉ちゃんに対抗するには、「頑張ってないのに、まあまあ良い成績」というポジションを取るしかなかった。
当時の、真っ当な努力をしたくないという安直な僕は、そんな姑息な手段を、ごく自然に見つけ出した。
「頑張れば、負けない(かも)」
「努力すれば、オレだって」
という、【可能性を残したい】のだ。
頑張って、それでも姉ちゃんの成績に及ばなかったなら、姉ちゃんの方が頭が良いということになってしまう。
でも、僕が頑張らなければ、「僕の方が頭良いのかも」という、可能性が残る。
『嫌われる勇気』で、このような心理や行為を、心理学者のアドラーは、「人生のウソ」と喝破している。
正に、思春期の僕は、人生のウソの中で生きていて、その人生のウソという世界が大スキだった。なんせ、楽なんだもん。
◆高校時代の心理
高校2年生のテストで、1度だけ、1週間猛勉強をした。
普段は、46人クラスで43~44位の成績だったが、この1度だけは、夢の中でも勉強するほどの、猛勉強をした。睡眠時間も、かなり削った。
結果は、総合成績でクラス6位。数学は満点。
「やればできる」を証明したので、僕は、大変満足だった。
本当は、それより上位になるには、特に、1位になるには、想像以上の努力が必要なのだが、当時の僕は、そんな真理など知らなかったし、興味もなかった。
「1週間の努力で6位だから、もう少し努力するだけで、簡単にクラスで1位になれる」(はず)という、またしても、可能性の世界へ戻ったのだ。
この世界は、居心地が良いのだ。
僕は、「人生のウソ」の中で生きている若者だった。
◆いつから変わったのだろうか?
佐川急便時代に、「仕事って、サボっても面白くないなぁ」と気づいた。「頑張った方が面白いじゃないか」と。
本格的に努力したのは、営業マンになってからだ。
そして、ものすごく努力するようになったのは、セールスマネージャーに昇格してから。部下を抱えて、仕事がメッチャ面白くなったのだ。
今では、「僕には『コツコツ』『何年も』『努力すること』、それくらいしか長所がない」と、そう自覚している。
そして、この長所があれば、「10年努力し続ければ、大抵のことは叶えることができる」ということを、僕は、実体験で知っている。
いつの間にか、僕は、努力の人間になっていた。
努力不要の、天才のつもりだったのに。
◆〆
僕は、お札を3つ折りにする。4つ折りにはしない。
野口英世さん、樋口一葉さん、福沢諭吉さんの、お顔に折れ目を入れたくないのだ。野口英世さんだけ、難しいのだが、それでも極力少なくしようと心がけて、丁寧に折る。
今、それを、ゆかりちゃんが、まじまじと見ていたので、簡単に説明した。
「わたしの顔は踏みつけるのに?」
と、ゆかりちゃんは、謎のボケをかました。当然だが、僕は、そんなことは1度もしたことがない。
「あ~、夢だったかなぁ~」
と、ゆかりちゃんは、更にボケを追加した。これも、1ミリも面白くない。
天然ボケの面白さは物凄いのに、ちょっと『ウケを狙う』と、ゆかりちゃんのジョークは、大スベリする。
ゆかりちゃんが、狙って言うボケは、ちっとも笑えないのだ。
僕の、勉強や仕事は努力が必要で、そいう点で、僕は天才ではなかった。
ゆかりちゃんのジョークは、努力不要だ。
計算も不要だ。
ゆかりちゃんは、天然ボケに関しては、間違いなく『天才』なのだ。
僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。
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![奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76807197/profile_1b131e63b956beac74502f9366356404.jpg?width=600&crop=1:1,smart)