第458話 【リレー企画】僕は、「努力とは言えない小さなことを毎日やる」という文化の中で生きている
ミイコさんからバトンを回していただきました。
ありがたいです。いつも優しく接していただきまして、マジ感謝です。
照れて、若者言葉を使っちゃいました。
ミイコさんのこの記事で、バトンを頂きました。
僕の思う文化を自由に書いて、それでも良さそうだったので、
僕の言語化意欲が刺激されました。
文筆家らしく、さささっと、かつ、「ほ~」と言っていただけるような記事(ホントか?)を、書きたいと思います。
◆努力とは言えない小さいことを毎日続ける
僕は、
「コツコツ」
「数年」
が得意です。
多くの人が、あきてやらなくなっても、それでも僕は、しつこくコツコツ続けます。
続けられるのです。
これが、『僕の文化』と言えそうです。
◆コツコツ
コツコツは、
とてもじゃないけど、努力なんて言えない小さいこと
です。
これ、「小さいことでも良い」ではなく、「必ず小さいこと」なのです。
◆数年
数年は、
・毎日
・結果が出ないときは10年間
という意味です。
「できるだけ」毎日、ではありません。「必ず毎日」、なのです。
得たい結果にたどり着いたなら、それ以降は、続けることも止めることも、まったくの自由です。
でも、得たい結果にたどり着いていないのならば、最低、10年間は毎日続けます。
そのようことを、さらっと覚悟します。
◆なので「小さい」
なので、なかなかなことを誓ったり、そこそこなことを掲げたりしちゃダメなのです。
シンプルに、しんどくって続きません。
ウソ偽りなく、謙遜でもなく、比喩でもなく、本当に、
とてもじゃないけど、努力なんて言えない小さいこと
を設定します。
些末なことを、どうでもイイようなことを、「やる」と決めるのです。
◆キッカケ
誰か忘れちゃったんですが(たしか、小説家だった気がする)、
その、とある方が、
「小説家を目指そうと思っている」と、父親に打ち明けたそうです。
すると、
「10年やってみろ」
「10年続ければ、大抵は、食っていけるようになる」
「10年続けてダメなら諦めろ」
「それは、その道の才能がないという証だ」
という、アドバイスを受けたそうです。
そして、10年間が経つより少し前に、
「花が咲き、実が成った」、というお話しでした。
30代の頃に、このエピソードを知って僕は、「へ~、10年間かあ」と、思いました。
この記憶は、鮮明です。
◆僕の、根拠のない自信の根拠
コツコツ。小さいことで良い。
それを10年間、毎日続ける。
その覚悟ができる。
僕の、根拠のない自信の根拠は、どうやらココにありそうです。
誰だって、毎日歯磨きをしています。
でもそれを、「自慢しよう」などとは、別に、思いませんよね。
で、もう10年以上続けていますよね? でしょ?
僕はそう考えるので、サラッと覚悟できちゃいます。
大事なポイントな気がしますので、繰り返します。
とてもじゃないけど、努力なんて言えない小さいこと
が、大事なポイントなのです。
◆僕の本性は厭きっぽい
子どもの頃、僕は、すごく厭きっぽい子どもでした。
「三つ子の魂百まで」が本当ならば、今のコツコツ続けられる性格は、後天的に得た性格と言えそうです。
少なくとも、元々そういう性格だったというようなことは、全くもって違います。
だから、きっと誰でも、再現できると思います。
◆脳科学
この「習慣」について最近では、脳科学者が、確かな研究結果を発表しているようです。
多くの書籍が出ています。
その多くの本の、要約動画も、たくさんYouTubeにアップされています。
それらで、繰り返し説かれているポイントは、
・意思のチカラを信じてはいけない
・習慣化の「仕組み化」が大事
・脳は「変化を嫌う」
・脳は「楽を好む」
・だから、新習慣はなかなか身につかない
(新習慣は、脳にとっては「変化」だから)
・逆に、1度習慣化に成功すれば「楽」になる
(脳は「楽を好む」から、同じ行動の繰り返しが重要)
といったところです。
僕は、この情報を知って、「小さいこと」「毎日」などと、考えたわけではありません。
最初に考えたのは、「10年間続ける」、ということだけでした。
10年間続けるという前提なので、小さいことしか設定できなかった、というのが、正確な順序です。
そして、このような書籍の情報を得て、脳科学者からのお墨付きを頂けたことは、
「僕は、間違っていなかったんだぁ~」
と思えて、勇気や自信が増しました。
◆note
僕は、このnoteで変わりました。
今思えば、「毎日投稿する」と決めて、本当に良かったと思います。
もし、「2日に1記事、投稿しよう!」などとしていたなら、きっと続いていなかったことでしょう。
毎日、どうでも良いようなことから書きました。
戦略もありませんでした。
文章のクオリティもひどかった。
それでも、
毎日書いたので、今では文章も、少しは上達しました。
書くスピードも上がりました。
そして、
ゆかりちゃんの、僕を見る眼が、ハートっぽくなってきました。
何かを始めるならば、
最初は、「クオリティ」とか「完成度」とか「カッコ良さ」とか、
そんなのは全部、生ゴミと一緒に捨ててしまいましょう。
続けてさえ行けば、自然にクオリティも高くなります。(なるはず)
逆に、いきなり高いクオリティに仕上げようと頑張ったならば、
そんな大変な作業が、続くはずはありません。
◆公園
思えば、今、僕が行なっている公園でのトレーニングも、最初は「散歩」と「懸垂」だけでした。
懸垂は、1回もできませんでしたから、事実上は「散歩」だけでした。
今では、
・ストレッチを数種類、
・腕立て伏せ3種類、
・懸垂、
・懸垂のためのトレーニング、
・ダッシュ、
・ダッシュのためのトレーニング、
・左投球
と、ごく自然に変化しました。
さらには、車を売り払って、片道25分間の【自転車通勤】です。
最初は、「公園に行く」だけからスタートしたのです。
不思議なものですね。
◆努力とは言えない小さいことを毎日やる
この、「努力とは言えない小さいことを毎日やる」は、僕の言葉ではありません。
キングコングの西野さんの言葉です。
本当はタイトルにも入れたかったのですが、長くなりすぎてやめました。
「努力とは言えない小さいことを毎日やる」
これは、習慣化のコツとして、西野さんが語った言葉です。
僕は、この言葉に、もの凄く救われました。
気が楽になったのです。
毎日投稿などを継続中の僕が、この言葉に救われたのです。
経験者の、経験談です。
「そうだ、その通りだ」と腑に落ちました。
立派な記事を、週に1~2回書く方が、その方が継続は難しいと思います。
きっと、そういうものなのです。
◆stand.fm
だから、僕はstand.fmも、もの凄く簡単なルールにしました。
ノー台本、ノー編集、スマホだけで完成させる、などなどを、
「あえて、そうする」と、戦略的に選択しました。
一見、戦略無しの、思いつきスタートと、そう感じちゃいますよね。
継続が大切なのです。
今は、ホンの少しだけ『マイク』の購入を考えています。
が、たぶん買わないかなぁ。
現状なら、旅行に行っても、夕食後に投稿できるんですよね~。
メンタリストDaiGoさんも、iPhoneでYouTube配信されていますし、クオリティの追求は、しばらくは放置ですねぇ。
(でも、旅行にマイクを持って行くだけ、とも言えますので、もしかしたならマイクを買うかもしれません)
◆インプット
インプットも、ほぼ毎日です。
西野さんのサロンの記事とVoicy、鴨頭さんのVoicy、土方愛さんのVoicy(娯楽)、安倍照雄さんのVoicy、
みんな、毎日投稿されています。
だから、読んだり聴いたりする僕も、毎日の習慣となりました。
これ、本当にありがたいです。
◆結論
僕は、「毎日の方が、楽に続けられるよねぇ」という文化で生きています。
毎日やる事は、「努力なんて言えない小さいことがイイんだよねぇ」という文化です。
そして、「10年続ければ、飯が食えるようになるんだよねぇ」ということを信じる、そんな文化を大切にして生きています。
◆チェーンナーさん
今回の企画は、noterさんなら説明不要の、チェーンナーさんの【バトンリレー企画】です。
※チェーンナーに返します
僕は、受け取ったバトンを、チェーンナーさんにお返しします。
理由は、
今の僕は、自分のことのみに精一杯で、他のnoterさんのところへ、まともに訪問していないのです。
にもかかわらず、バトンをお渡しするのが、なんか申し訳なくて…
◆「バトン」で思い出したプラスα
僕は、今、バトンを持っています。
ややこしいのですが、この企画のバトンのことではありません。
先輩諸氏からいただいた「バトン」です。
おじいさんや、おばあさんや、
父ちゃんや、母ちゃんや、
幕末の志士や、
明治の英雄や、
昭和の猛者や、
先人たちの、努力や、知恵や、
汗や、涙や、
笑いや喜びや、
先人たちの、想いを、今は、僕が持っています。
僕は、「今は僕が持っている」と考えています。
現代は、「個の時代」などと言われたりして、
価値観も多様化し、ライフスタイルも変化しました。
幸せは人の数だけあって、他人の生き方にとやかく言うつもりは、僕には全くありません。
死ぬまで、楽しいことだけをして、面白いことだけをして、遊んで過ごす、という生き方も、1%たりとも否定しません。
その方の自由です。
ただ、
僕は、「今は僕がバトンを持っている」と、考えています。
僕は、電気や水道や道路などのインフラを整えていません。
今の「便利な世界」の、その多くは先人たちのおかげです。
僕は、まちがいなく、その恩恵を享受しています。
ならば僕も、何かを後世に残したい。
ただただ享受して終わる人生は、僕が僕を良しとできません。
僕は、後世に、どんなに小さくても、何かを残したい。
残せなくても仕方ありませんが、「残したい」と思って生きています。
これも、僕の文化、なのかもしれません。
◆〆
はたして、僕は何が残せるのでしょうか?
ちなみに、
今日からこのnote記事は、「ですます調」に変更します。
ゆかりちゃんと、仲良く過ごした記録だけは、残せるかもしれません。
僕は、ゆかりちゃんが大好きなのです。