共感されないと悶々とする? 僕は、共感は重要ではなく、理解されないと悲しい
昨日の記事 ↓ の続きです。
意地悪や嫌がらせをされると、悶々とするじゃないですか。
それを、僕は、どう考えているのか。
これがホンの少し、読者の方の参考になります!
たぶん、なると思う…。
参考に、なるんじゃないかな…。
関連記事をまとめているマガジンです。
最初から読みたい方は、マガジンの固定記事からどうぞ。
・多くの方は、共感が大事みたい
昨日や一昨日の記事にコメントをいただいて、
多くの方は、『共感を大事にしている』と、僕は感じました。
女性は、特にそうで…。
「共感の中で生きているんだなぁ」と感じました。
Akiraさんは例外で、共感は重要じゃないという、僕と同じタイプに感じました~。笑(Akiraさん、間違っていたならゴメンナサ~イ)
陰口ではない証に、Akiraさんが気づくよう、Akiraさんの記事を貼っておきます。
話を戻します。
多くの方は、共感を求めている。
でも僕は、そこまで共感を求めていない、と気づいたのです。
僕は、共感されても、そこまで嬉しいと思ったことがありません。
共感も、嬉しいのですが、小さな喜びです。
「あ、この○○さんは、僕と同じ考えの人だ~」と、認知する程度です。
と同時に、
「でも、気を使って、言ってくれてるって可能性もあるしね」と、ホンの少し思います。
僕は、ひねくれているのかな?
逆に、超~素直に、心象を言語化しているだけ、とも考えられますよね。
・僕は、(正しく)理解してほしい
僕は、理解の方が、断然嬉しいです。
こういうのが、最高に好きなんです。
共感も、僕も好きですよ。誤解なさらないでくださいね。
なんて、大歓迎です。
嬉しくって、話だって弾むことでしょう。
でも、
さだまさしさんや中島みゆきさんを「暗い」と言う人も、
ハッキリと「嫌い」という人も、
僕は、別に、気になりません。
その方とも、ぜんぜん、仲良くなれます。
僕が苦手なのは、
例えば、僕が好まない音楽ジャンルやアーティストを「僕は好まない」と、説明しただけなのに、
その説明を、「攻撃」とか「否定」とか「批判した」などと受け取って、
「共感せよ」とか「訂正せよ」などと迫る、
そういう思考や言動をする方々です。
同じでもいいけど、
同じじゃなくっても、別に、イイんじゃないかなぁ~。
あと、雑な理解って、なんかイヤなんです。
で、見せた車が、こんな色だと嫌です。
グリーンでもない。
これは、ミントグリーンですよね。
その前に、まず僕は、「車なら何でもダークグリーンが好き」なんて思っていません。だからきっと、そんな発言をしていない。
車種によって似合う色は、異なると思っていますから。
また、僕の言うダークグリーンは、見る角度によっては黒に見える。そんなダークグリーンです。
古いジャガーには、ダークグリーンがよく合います。
僕は、共感しなくても構いません。
でも僕は、
正しく理解してほしいと、切に願う人間なのです。
・批判コメント
だいぶ前ですが、僕の記事を否定し、批判するコメントがありました。
初コメントのnoterさんでした。
確か、互いにフォローを、していなかったと思います。
多くの方は、自分の記事を批判するコメントに、心を痛めるでしょう。
怒りを覚える方も多いでしょう。
僕も、ほんの少しですが、そういう気持ちになりました。
でも、ほんの少しです。
僕が、そのコメントを読んで思ったのは、
です。
でも、僕は、そのままコメントにはしません。
こんなふうに書きました。
こんな感じです。
そこまで凹みませんし、この方をブロックすることもありませんでした。
もし、これ以上うるさいようなら、ブロックするしかないな…
この方には、あまり近づかない方がイイな…
と、そのように思考しただけです。
それ以上の絡みもなかったので、この問題は、綺麗にフェードアウトしました。
・心、深く傷つく方って
このケースで、心を深く傷つく方って、けっこういるように感じます。
心、傷つく方たちの、メンタルを分析してみますと…。
(僕は、同じタイプのメンタルではないので、あくまでも想像です)
このケースで、心傷つく方たちは、共感が得られなかったから、哀しいのかな?
批判されて、自信&自己肯定感が下がって、哀しくなったのかな?
どうでしょうか。
まあまあ、合っていると仮定して話を進めます。
僕は、こう思うのです。
1人や2人に共感を得られなくても、それは、僕は「普通だ」と思います。
大ヒットした作品や、歴史ある賞の受賞作でも、批判は山のようにありますからね~。
逆の場合、って、どうなんでしょうか。
共感された場合です。
嬉しくて、自己肯定感アゲアゲ。自信もアゲアゲ⤴。
なのでしょうか。
僕がオカシイのかなぁ~。
他人の、否定や批判や、
他人の、賞賛や共感や、
そんなのに振り回されて、まるで、他人のために生きているみたい……。
僕は、
心の中の僕が、どう言うか。
心の中の僕が、どう思うか。
こっちが何十倍も大事なのです。
他人の好みの中で、生きていきたくはないです。
僕は、僕の好みの中で生きていきたい。
・課題の分離
これまで僕が書いてきたことは、分かる方には分かったと思います。
僕の思考は、『嫌われる勇気』で読んだ、アドラー心理学の【課題の分離】です。
昔、読んだ『7つの習慣』で言えば、【影響の輪・関心の輪】です。
共にベストセラーですので、ここでの説明は省きます。
気になる方は、ネット検索してください。
分かりやすく解説しているサイトが、たくさんあります。
浅い理解は、ごく簡単にできちゃいます。
オススメは、読書ですけどね。
読書なら、深く理解できます。
オーディブルで、何度も繰り返し聞くことが、僕のイチ押しの方法です。
・好意の1対2対7の法則
『嫌われる勇気』に、このように書かれていました。
僕は、「2人いたら、充分」と思いました。
100人中2人でも充分です。
1,000人に2人でも充分。
1,000人に2人でも、日本には1億人と少しいますので、約10万人に受け入れられます。凄い!
で、大事なので、もう1度繰り返します。
誰かに好かれるか、そんなことよりも、僕が、僕を好きか。
こっちが大事じゃないですか?
あなたが、あなたを好きか。
うそ偽りなく、好きか。
浅いところで好きなのではなく、深層心理の深いところでも、ちゃんと自分のことが好きでしょうか。
僕は、こっちがメチャクチャ大事だと思うのです。
・続きの記事は、
と感じましたので、ここに触れます。やはり、課題の分離です。
アドラー心理学では、
と、説きます。
課題の分離は、難解です。
やっと理解できても、実践できるかというと、実践は超~~~難しいっす!
しかし、世界が変わります。
世界はシンプルで、幸せもシンプルで、誰でも変われて、
誰でも幸せになれるのです。
次の記事 ↓
・〆
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
チャオ!