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第212話 僕は、小学生のときに『小倉百人一首』に触れたんだ


とあるきっかけがあって、『ド』で終わる文章が必要になった。

しりとり。

文章での、しりとり。

ド、から始まる文ができているから、ドで終わる文が書きたいのだ。

○○○○ど。そんなのあるか? ないか。

あ、「あらねど」って、なんかあったなぁ。俳句か短歌かで。なんだっけ?

ググった。「あらねど」と、素直に、キラキラした瞳でもってググった。

そして、僕のおぼろげな記憶の正体がわかったのだ。

月みればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど
現代語訳:月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど


◆百人一首

僕が、百人一首を知ったのは、小学校5年生のときだ。

5年生、6年生と、2年間お世話になった担任の、安部先生が、百人一首を教えてくれたのだ。競技かるたのルールと、読み方を教えてくれた。国語と道徳の時間を、百人一首に「これでもか!」と使った。

そして、約半年もかけて、リーグ戦を行なった。総当たりだ。リーグ戦の終盤は、国語以外の教科の時間も使った。


僕の小学校は、ど田舎なので、クラス=学年だった。同級生は20人。男子8人と女子12人。とはいえ、リーグ戦だから、全380試合にもなる。

先生は、対戦結果を書き込む表を、大きな模造紙に書いて貼りだしてくれた。

スポーツ万能で、男子を牛耳っていた、負けず嫌いの孝則くんが、この百人一首にハマった。だから、マイペースの豪くん以外の7人は、しょっちゅう百人一首をした。競技カルタだから、それなりに面白いゲームでもあった。


◆村雨の<中略>霧立ち上る秋の夕暮れ

百人一首は、当然だが、100の句がある。そして対戦は、半分の50枚を使う。もう50枚は、別の2人の対戦で使われる。(つまり、目の前に、読まれた札が必ずある、とは限らないのだ)

カルタと違って、取る【札】には、上の句が書かれていない。でも、読み手は上の句から読む。上の句が読まれているうちに、いや、正確には、冒頭の1文字~数文字だけを聞いて、それだけでもって、競技者は、暗記している下の句の札を探し、取るのだ。

僕は、「きりたちのぼる あきのゆうぐれ」(下の句の札は、ひらがな表記)は、取られたことがない。

『む』で始まる句は、これ1つだけなのだ。(1文字で下の句が確定するのは、これだけだと思っていたら、ほかにもあるみたいだ)

つまり、なにが言いたいかというと、見出しの<中略>は、略したんじゃなく、憶えていないのだ。

ということで、またググった。

村雨の露もまだひぬ槇(まき)の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ
現代語訳:にわか雨が通り過ぎていった後、まだその滴も乾いていない杉や檜の葉の茂りから、霧が白く沸き上がっている秋の夕暮れ時である

この句は、僕には良さが、わからない。難しい。

「きりたち」と、僕は命名していた。「きりたちは、絶対に獲らせない!」とか「きりたちはオレのものだ!」って感じで、ま、略称として「きりたち」と言っていた。

ゲットするのに便利な句だったが、「きりたち」で切るのはおかしいと、53歳の今、気がついた。「きりたち」で切ると、「きりたち」「のぼる」で、まるで人の名前みたいになる。

「霧」「立ち上る」だ。

ならば、呼び名は、「きり」にするか「きりたちのぼる」かの2択だったのだ。小5の僕は、「君たち」みたいに「霧たち」と言っていて、なんか恥ずかしい。

タイムマシンができたなら、これを真っ先に、教えに行きたいとおもうほどだ。


◆後に、大好きになった句

小5では、ちと早い。当時は、1ミリも理解できなかった。

しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
現代語訳:心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまっていたようだ。私の恋は、「恋の想いごとでもしているのですか?」と、人に尋ねられるほどになって
じょーじの好きな、別の現代語訳:
私の恋は、誰にも悟られないように秘めてるつもりだったが、どうやら顔色に出ているみたいだ。あの人のことを思うと、人が「どうかしたの?」と訊ねてくるほどなのだから(いつ、どこで知ったのかは失念した)


大人になって、この句の現代語訳を知って、「昔の人、めっちゃロマンチストだなぁ」って、感動した。

そして、この想いを、五七五 七七というルールの中で、さらには、詠んだときの『しらべ』というのかな?メロディ的な良さをも考慮する(のかな?)。

とにかく、恐れ入ったのだ。

こんな素敵な句を、小学生で知っていたのだ。それがなんか、嬉しくもあったなぁ。


◆ここで紹介した、百人一首の情報元

なんって素敵なお店なんだろう。

百人一首の情報、引用元は、おかきの専門店だったのだ!

長岡京 小倉山荘 『ちょっと差がつく百人一首講座』

京都のおかき専門店『長岡京 小倉山荘』


サイトをのぞいてほしい。めっちゃ粋。

ステキなお店。オンラインショップもあるようだが、京都に行ったときに、ぜひ寄ってみたい!


◆今日は、あえて書かないこと

安部先生の思い出。

百人一首以外の、僕の好きな句。

これらは、別記事にしようと思っている。

実は、今日は、全く違う記事をアップする予定だった。マインドマップはもう、でき上がっている。この記事の冒頭の、とあることで、書きたいことが3つも増えた。

メッチャありがたい。


◆最近は、記事のネタに困らなくなった

なんなら、今、目の前にある【シャープペン】でも、1記事書ける。

***

シャープペン。「シャーペン」って言うなぁ。「プ」は、どこ行った?

そもそも、「シャープペンシル」が正しいのか?

これは、製品名か? はたまた商品名か?

有名なところでいうと、「ウォークマン」や「ウォシュレット」。商品名だが、有名すぎて、一般的には製品名として使われているヤツだ。

シャーペンに話を戻すと、会社の、絶対に安いシャーペンが、僕にはメッチャ書き心地が良い。見たら【B】の芯だった。そこで、自宅でのモーニングページ用にと、文房具売り場で10分も悩んで、わりと良いシャーペンを買った。400円くらいした。

だが、会社の方が、書き心地が良い。なんでだ? 安いはずなのに。

あっ。『0.9ミリ』の芯?

0.9って、そんなのあるの? 失敗した~。また、文房具店に行かなくっちゃ~。

***

3分で、ざっと書いたが、その気になれば、1記事になる。


◆むりやり書き出せばいい

まえは、「なにを書こうか?」と悩んでいた。

そして、最近気づいた。

苦し紛れで、まえにはボツにしたネタを採用し、そして記事にする。すると不思議なことに、けっこう良い記事になったりするのだ。

これが、ちょくちょく起こるのだ。

ネタ自体には、パワーが不足しているので、詳しく丁寧に事実を書いたり、あやふやなところはググったり、または、書きたいことの『背景』を丁寧に書いたりすることになる。

ようするに、『枝葉』が自由に、どうとでも書けるのだ。この【自由度】が、自画自賛できる記事になる、ポイントなんだと思う。

さらに、ネタのパワーに頼らないから、それこそ『文章化能力』『言語化能力』なるものが、発揮されてしまうのだ。発揮どころだらけなのだ。のびのびと書ける。

書きたいことが、重かったり、深かったりすると、『言いたいことの整理』に終始することに、実はなりがちだ。言いたいことでさえ、論点がぶれるからと省いたりする。

ネタのパワーが強烈だと、家電製品に「サイトーさん」と名づけたことなどは、端折ってしまうことになるのだ。


◆〆

きっかけは、何だったのかは、長くなるから端折ってしまおう。(ホントか? 長くなるか?) と、当初は思っていたが、やはり紹介しよう。

この、にゅいさんの記事が、きっかけとなって百人一首を調べることになり、そして『第212話』が生まれたのだ。

この、にゅいさんのコメント欄に、しりとりでコメントをしたかったのだ。「あらねど」を使いたく、でも、結局『ド』で始まる文はなくなったのだが・・・。


* * *


ゆかりちゃんは、細かいことは気にするタイプではない。ただ、「気にするな」というと、逆に気にする【アマノジャク】ではある。

そこで、この特徴を逆手にとり、聞いてほしいときには、「気にするな」とすれば良いと、僕は、そう思いついたのだ。僕は、なかなかに悪知恵が働くのだ。

あ、悪知恵で思い出した! 1記事書ける!

ゆかりちゃんも、ブログを書いているのだが、ネタを「探したり」「見つけたり」はしないで、なんでもいいから、「今日は、これを書く」と決めて、書き始めてみてほしい。


僕は、アマノジャクなゆかりちゃんが、大好きなのだ!




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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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