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第236話 あまりにも哀しすぎる『ケラケラ』


語ってくれた方は、Aさん。

つい最近、聞いた話だ。

僕は、この話を、Aさんから直接聞いた。Aさんが語ってくれたのは、Yさんのことだ。Yさんとの会話を教えてくれた。

僕は、Yさんとはお話していない。


=====以下、Aさんから聞いた話の概要=====

Yさんの息子さんは、意識がない
交通事故で、いわゆる植物状態となってしまったのだ
Yさんは、その子の母親
息子さんは、ず~っと寝たきり
息子さんは、唾を飲めない
Yさんは、2時間おきに、息子の痰や唾を吸引する
Aさんが「夜は?」と聞いた
Yさんは「夜も、2時間おきに、痰を吸引しますよ」と答えた
Yさんは「私は、座ってうたた寝です。横にはなりません」と言った
Yさんは、そう言って『ケラケラ』笑った
Yさんはベッドで寝てない 息子がそうなってから1日も
Yさんは言った「もう25年、布団で寝てません」と
Yさんは『ケラケラ』笑って言ったのだ
そんなだから、Yさんは、25年間、旅行なども行ってない
私は、かける言葉が見つかりませんでした  
引用:Aさんの話(じょーじの記憶)


あまりのも哀しすぎる。

こんなにも哀しい、「ケラケラ笑って言うんです」って、あるだろうか?

涙が枯れると「ケラケラ」が出てくるものなのだろうか? 哀しすぎる現実と、長い年月と、そして達観とが、掛け合わされると、「ケラケラ」になるのだろうか?


◆交通事故について

交通事故の【死者数】は減少している。

過去最高は1970年で、交通事故での死者数は、約17,000人。「交通戦争」などという言葉も生まれた。

それに対し、昨年の交通事故での死者数は、約3200人。1970年の5分の1以下に減少した。

しかし、事故件数は、死者数ほど減ってはいない。

1970年の事故件数は、おおよそ70万件で、2016年はおおよそ50万件。半分にもなっていない。ちなみに、これらの数字は、ネット検索すれば簡単に調べられる。


◆死者数が減った原因は?

考えられる減少原因は、

①車の【安全性】の向上 (シートベルトやエアバッグなどが、その代表例)

②医療の進化

と言われている。

死者数が減ったことは、間違いなく【良いこと】だ。

ただ、ことが単純じゃないのは、事故件数はそこまで減っていないということだ。これは、車の台数が増えたのだから、これまた単純には論じれない。

そこは分かった上で、あえて単純に、【事故件数がさほど減っていない】ということと、【死者数は激減した】の2点に絞って考えてみる。

この死者数減少の、『陽』の面には、「救われた命がある」があげられる。そして『陰』の面の1つに、「命は助かったが重い障害が残った」がある、とはいえないだろうか。

数字に現れない【哀しさ】【痛さ】【辛さ】【後悔】【無念】【叫び】【悲鳴】【嗚咽】【慟哭】などが隠れているのではないか?


言ってもっどうにもならない。

ならなかった。

「ケラケラ」と、笑ってみるしかない。そんな、声なき声が、たくさんあるのではないか?

国土交通省は、『重度の障害者数』を集計し、そして公表し、検討すべきではないだろうか?


◆僕の妄想

先の、Aさんの話を聞いて、僕は妄想した。

これは、100%妄想だ。

=====じょーじ、妄想中=====

交通事故には、さまざまなケースがある。

この事故を、仮に、Yさんの息子は『自転車に乗っていた』と仮定しよう。

事故の相手は、乗用車。

『車が圧倒的に悪い』、という事故もあるだろう。逆に、『自転車が圧倒的に悪い』という事故もあるだろう。

ま、ここは、今日は妄想するのをやめておこう。

そして、この寝たきりとなった彼の、心理はどうだったのだろうか? 日頃の【心理】だ。深層心理というヤツだ。

自転車に乗る人の意識の中に、「最悪、事故を起こしても、【車が悪い】と判断される」という認知があるはずだ。

僕なら、ある。

なんなら、乱暴な運転の車に対し「軽くぶつかってれば良かった! 賠償金をふんだくったのに!」と、思ったこともある。

1~2ミリ、そんな邪が浮かび、「いかん、いかん」と打ち消した。最近はないが、遠い昔に、そんなことを、何度か思ったことがある。

そう考えるている人は一定数いると思うし、そう考えることも、『理解』はできる。

少なくとも、交通ルールや交通マナーを守らない、やんちゃな運転の自転車乗りには、深層心理に、日本の交通事故における【弱者救済】があると思う。

僕は、そう妄想する。

仮に、Yさんの息子さんが、そうだったなら。

息子さんは、『加害者』でもある。今、介護をせざるを得ない、自分の母親に対しての、加害者ではないか。


====妄想、終了=====


◆僕が言いたいこと

この、「ケラケラ」笑って話すお母さんの、この『事実』を知った上で、車や自転車に乗る人。

知らずに乗る人。

運転や、安全確認に、差が出るのではないか?

僕は、自転車も、バイクと同じ『免許制』にすべきだと思っている。そして、『弱者救済』という概念が、1周まわって、逆に危険を生み出している場合があると思っている。

小さい子どもなら、最低限の交通ルールの講習をし、そして、このYさんの現実を、簡単なドラマにして見せるといいと思う。

「自分の行為で、自分の親に、とんでもない負担を背負わせることがあり得る」と、そう知ってもらうだけでも、かなり違うと思うのだ。


◆〆

さっき、ゆかりちゃんが言った。

「わたしが右の店に入りたかったの。そしたら対向車のお婆ちゃんが、手で『しっ! しっ!」って、払うようにするのよ~」

「ほう」(おそらくは「入ってイイよ」、っていう意味だろうなぁ)

「そしたら、『入れ』っていう意味だったみたいでさぁ~。びっくり~!」

「(?)」

「入れ、っていう合図なら、パッシングしてほしいわ~。普通パッシングでしょ~」

「お、おお~」

「お婆ちゃんドライバーには~、もう~、まいっちゃうわ~」

「う、ううん」


さっきは、なにも指摘しなかったが(カーネギーを発動)、でも、ゆかりちゃんが事故にならないように、やはり、僕の見解を書く。


パッシング=ゆずってくれた と思っているのなら、これは危険だ。

パッシングには、「行っていいよ~」という合図もあるし、「おい、ライトつけっぱだぞ~」もあるし、「向こうで、警察が取り締まりしてたぞ~」もある。

あと、「行っていいよ」という合図は、手の動作とパッシングなら、僕の感覚では半々かなぁ。女性ドライバーは、あまりパッシングはしないなぁ。

なんにせよ。決めつけは危険だ。


もう1つ。

車の運転は『予想』が大事だ。

「ん? 対向車がスピードを緩めてくれた。こっちのウインカーに気づいてくれたのかな?」

という予想だ。

他にも、「まえの車、そのまえの車に近いなぁ、車線変更するかもなぁ」とか、「右に寄って、スピードが落ちた。反対側のお店に入りたいのかなぁ」とかだ。

そして、予想はしても、決めつけないのが肝心なのだ。


ゆかりちゃんが、事故にあったら、絶対にイヤだ。

充分に、注意してほしい。


僕は、ゆかりちゃんが大好きなのだ。




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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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